日曜美術館で福田平八郎という日本画家の作品を見た。
若いころから写実的絵画で頭角を現した彼は、
動物や植物を限界まで観察して表現。
高く評価されたのは鯉の絵。
うろこの数まで数えて書いたそう。
水中を気ままに行き交う鯉の姿。
「描かずして水を描いた」傑作。
誰もが一度は目にしたことがある、ぱっと記憶に浮かぶ光景。
ところが彼は
「絵が細かすぎる」などの批判を受け
三十代で「神経衰弱」を発症。
見えるものをそのまま描く方法しか自分にはない
と思い悩んだそう。
療養中に恩師に誘われ琵琶湖へ釣りに行った彼は
その湖面のさざ波に魅了され、
観察とスケッチを開始する。
そして何度も練習画を経て描き上げたのがこれ
「漣」
写実的な表現から抜け出し、
彼は自分が見えるままを描いたように見える。
この作品について彼は
「これが私の心だ」(←確認次第きちんと修正します)
のような意味のことを言っている。
見えるものをそのまま再現できる才能があった彼は
その才能によって押しつぶされそうになったのだと思う
けれどもその壁を破った先には
彼の心にしか見えないものを彼だけの表現方法で描く
という次のステージがあった。
その後はさらに観察を進め、
何気なくものを見る凡人を目覚めさせるような、
意外でありながら存在しうる多彩な色を見せつける。
「竹」
竹は緑とは限らない。
君もよく見てごらん・・
そんな風に問いかけられているかのよう
作品「漣」について千住氏がこう話していた
「誰もが持っている記憶の映像を絵にする
”これは私が描きたかった記憶の絵で、それを描いてくれた”
という共感が芸術だ」と
千住氏は言った。
<見たままの映像>と
<心に残る映像>は違う
目に訴える絵画と
心に働きかける絵画
絵画には二種類あるのかもしれない。
芸術は心に訴えかけるものだ
福田平八郎が描いた作品を通じて
その意味がなんとなく分かった気がした。