『反日中国の文明史』という本が書店で目についたので買ってみました。
著者の平野聡氏がどういう思想の持ち主かは、要注意という感じで読み始めました。
まだ、読了していませんが、中国大陸史・朝鮮半島史の基礎知識がある人には、よくまとまって読みやすいと思います。
以下引用し、Fugenこと私が、独自に解釈して記事にしました。
『反日中国の文明史』の著者の平野聡氏の主張と大幅に異なる点があるだろうことを始めにお断りしておきます。
例えば、この本では儒教の説く『易姓革命』について説明しています。
仰々しい言葉ですが、『易姓革命』とは、簡単に言えば、『正義は勝つ』という、征服者には非常に都合の良い、極めて子供じみたバカバカしい儒教の教えです。
本書の内容をみてみましょう。
【引用開始】<<
騒乱が起こるということは、儒学が目指す調和がかき乱された状態を意味する。では「それは決して許されない、いかなる不満があっても下の者は上下関係を守らなければならない」と考えるべきなのか。答えは否である。何故なら、社会の乱れの根本は、君主が「天理」をわきまえず、自らと世の乱れを放置したという不徳によるからである。そのような君主は既に君主としての資格=「天命」を失っているので、武装反乱で排除されるのは当然ではないか。
したがって、反乱を起こした人間は失敗する限り反逆者であるが、反逆の成功自体、「天命」が自らの側にあることを示す何よりの証拠であり、その瞬間から反乱の指導者は新たな聖人君子となる。「正しい乱」とは許されるし、天の意志にかなう。
このような反逆の過程と論理を「易姓革命」という。天が命を革め、聖人の姓を易える、という意味である。したがって、聖人君子の支配に於いては、必要とあらば武力も当然肯定されるし、易姓革命で生まれたあらゆる王朝の指導者には血なまぐささが漂うことは否めない。
>>【引用終了】『反日中国の文明史』P43より
繰り返しますが、簡単に言えば、誰であろうと勝ちさえすれば聖人君子というのが儒教の考え方なのです。
『聖人君子だからという理由で勝利という結果になった』というのが儒教の教えなのです。しかし、実際は『勝ったという理由で聖人君子とされる結果になった』というのが当然のことです。
征服者に都合がいいのが儒教なのです。
また、漢人・漢民族の滅亡と騎馬民族による漢字の普及についても本書ではふれています。なお著者の平野聡氏の考えは、私にとっては下らないので省略しています。
【引用開始】<<
そもそも、洛陽周辺=中原の地を振り出しに「華夏」の甲骨文字・漢字文明が興った当初、その範囲=中原はきわめて狭かった。今日の中華人民共和国の約半分近くを占める漢人地域のほとんどは「夷狄」の世界であった。しかし、周囲の「夷狄」が漢字と「礼」に憧れて以来漢字は広がり、さらに秦・漢といった帝国が漢字を使う諸国を統一し、漢においては儒学が正式に国家の学問となったことで、漢字の社会的影響力も圧倒的なものになった。
ところが、このような漢字の共有によって拡大した古代の漢人社会は、いったん滅亡に近い打撃をこうむった。黄巾の乱(184年)の極端な破壊により、漢の時代の人口五千数百万人は1千万人以下に激減し、その荒涼とした風景の中に出現した五胡十六国は、その名が示す通り、北方の騎馬民族由来の国家だったからである。今日の漢人のうち、華北に住む人びとの体型がモンゴル人などに近い大柄・丸顔であるのはこのためである。
とはいえ、漢字そのものは死滅しないどころか、むしろ新たな生命力を発揮した。これら北方の「夷狄」が入り乱れる中で、各地ごとに元の騎馬民族の言語の影響を受けた発音で漢字を読み、共通の文書行政用語として流通させたからである。この流れのうえに隋・唐帝国があらわれ、空前の「盛世」をつくった。
--(後略)
>>【引用終了】『反日中国の文明史』P51より
漢帝国が滅亡後、激減した農耕民の漢民族の土地は、北方騎馬民族によって征服されます。
勿論、農耕民の漢民族は北方騎馬民族に支配されます。
ところで、騎馬民族の財産は何でしょうか?馬や羊などの家畜です。
騎馬民族は、家畜の飼育が上手なのです。常識ですね。
漢民族を支配下においた、騎馬民族は何をしたかといえば、農耕民を家畜化したのです。激減した人口を増やしたのです。
自分の支配下の土地を肥沃な農耕地にして収奪するために、漢民族を養鶏所のニワトリのように増やすわけです。勿論ニワトリ(=農耕民)を増やして養鶏所(王国)を大きくすればするほど儲かります。そうやってできたのが、騎馬民族の鮮卑族の王朝である隋・唐帝国です。
家畜の飼育に秀でた騎馬民族は、漢民族の家畜化にも巧みでした。
漢民族を養鶏所のニワトリのように肥育する道具として、漢字や儒教を使ったのです。
上記に引用したように、騎馬民族の言語の影響を受けた発音で漢字を読み、共通の文書行政用語として流通させ
、誰であろうと勝ちさえすれば聖人君子(=易姓革命)という征服者には都合の良い、儒教を漢民族に広めたわけです。
儒教は、漢民族にとっても好都合でした。何しろ聖人君子が王様なのですから、支配されて当たり前です。そう考えれば、漢民族の自尊心は傷つきません。コッコ・コッコと嬉しそうに鳴きながら、喜んでエサをつついているニワトリを思い浮かべればよいのです。
さて、『反日中国の文明史』を振り返りましょう。儒教の本質について記している部分を引用します。
【引用開始】<<
では、人間関係を保つための根本的な秘訣は一体何であろうか。答えは簡単。あらゆる人間、そして生霊が、すべて親から生まれ、やがて子を産むことを考えれば、上下関係を厳しく保つことが最も重要である。上下関係は、家族のみならず主君と家臣・先輩と後輩など、社会の様々な場面にあまねく存在するが、これらも血縁関係と同様に上下関係としてとらえ、上のものが下を慈しみ、下の者が上を敬うならば、誰もが安心と満足を得ることはいうまでもない。修身・斉家・治国・平天下。何と素晴らしい上下関係の予定調和であろうか。
>>【引用終了】『反日中国の文明史』P41より
儒教の説く、素晴らしい上下関係の予定調和があれば、養鶏所のニワトリは本当に幸せそのものだと、私は思います。
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