11/30(木)
希美がまだ20代の若かりし頃のお話。。
文学座の研究所に3年通ったあと
準座員には上がれなかったので
どうしようかなぁと思っていたら
研究所の卒業公演を観に来てくださっていた
とある映像事務所さまから
最高のタイミングでご連絡をいただいた
さまざま、映像のお仕事や
舞台のお仕事などもさせていただいて
7.8年お世話になったのちその事務所をやめて
フリーになった
そこから私は歌も本格的に始めて
今に至るわけなのですが…
このたび、またご縁をいただいて
お世話になっていたその事務所様に
「預かり」という形で
お世話になることになりました
宝井プロジェクト
http://www.takaraipro.com/index.html
今まで通り
自分の活動を自由にさせていただきながら
ご縁と良きタイミングとに恵まれる場合に
事務所からのお仕事もいただく、という形です
事務所のホームページに
私のページも作っていただきました
ありがとうございます!
そしてどうぞよろしくお願いいたします!
http://www.takaraipro.com/members/hinohara.html
先日、ゲンさんと共に出演させていただいた
貴楽屋さんの「恋、おばあちゃんの」に
事務所の前社長(現・会長)がお越しくださいました
久しぶりにお目にかかれて
とーっても嬉しかったのですが
舞台のこともとても喜びほめてくださって
それはそれは本当に嬉しかったのです
るんるんでその日お別れして数日後に
再度メールでのやり取りの中で会長が
「昔々、
日野原ちゃんは何がやりたいの?と聞いたら
「歌手」って言ったのよ
かなえたね、おめでとう!」
と書いてくださっていて!!
ありがたくて感激。。
…と、同時に…
私はそんな質問をいただいたことも
自分が「歌手」と答えたことも
まったく覚えておらず…
というか、、
おそらく24歳の私がそう答えたのだと
推測されるわけなのですけれども…
映像などの役者事務所に入って
「何がやりたいの?」と聞かれて
「歌手」と答える若造に
私は間違いなくドン引きする!!と思って!!
もう、顔から火が出る思いでした
…24歳の自分、、怖い子、、
でも私、歌手になりたかったんだね
…覚えてなかったけど
心のどこかに
ずっと消えずにいた想いが根付いてたんだね
たぶん、最初に歌手になりたいと思ったのは
箸でもフォークでも
なんでもマイクにして歌ってた
もっとずっと幼いころだった
すごいねぇ
叶えてるんだねぇ
しかし…
「歌手」って言えること自体はすごいけど
言うタイミングとか、、完全に間違ってて
自分で自分が本当に怖い
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