2/28(日)
本日ゲンさんはピアノ伴奏のお仕事
昨夜、とある作品をとある場所へと提出するのに
夜中もずっと作業していたみたいで
(希美さんはグースカピーと夢の中)
結局寝ずに朝からお仕事に向かいました
なので今、ちょっと腰にきているみたいでございます
希美さんは希美父の所へ
次男兄も時間があるとのことで
一緒に希美父の新居へと行って参りました
次男兄は初めて父の新しいお部屋へ
3人で亡き母のことやら世間話やら
様々話に花を咲かせて
兄は、初めて訪れる部屋だけど
ずっと父母が使っていたものに囲まれているからか
「な~んかあれね、落ちつくよなぁ、ここ」
と言いながらめちゃめちゃ寛いで
リラックスな昼寝までしておりました
最近、ゲンさんとの時間でもそうなのですが
亡き母の話で盛り上がることが多々あります
こうして話題にされて母も喜んでることでしょうね
私ね、「忘れられる」 ってことは
ないんじゃないかって最近思うのです。
もちろん顔も、名前も、その存在すらも
年月が経てば 「誰も知らない」 「覚えていない」 って
そんな時代はいつか必ず来るのでしょう。
でもね、その知らない存在に対してですら
私の心は感謝の気持ちでいっぱいになったりするんですよ。
何をしたかとか、どんな思いで生きていたかとか、
何に苦しんで、何に悩んで、
どんなことに喜びを抱いて生きていたかとか、
わからないことだらけすぎて申し訳なかったりもするけど
でも、顔も名前も知らない 「誰か」 が
繋いでいた命のバトンを感じずにはいられない。
その重みを感じずにはいられない。
そのことを 「忘れる」 なんてできないんですよ。
私の身近な存在であった私の大切な母も、
たくさんの命のバトンを受け継いで生きてきました。
私は顔も知らない曾おじいちゃん、曾おばあちゃん、
あるいは、顔も知らない近所のおじさん、おばさん、
お姉さん、お兄さん、先生、おまわりさん、
たくさんの方にお世話になったり、
愛や裏切りや、とにかく、たくさんたくさん、
出会いと経験を重ねてきた集大成の母だった訳です。
うまく言えないけど、
「忘れないでいてくれる誰かがきっといる」 って、
「ありがとうって言ってくれる誰かがきっといる」 って、
「だから大丈夫、怖くない」 って、
うまく言えないけど…
そんな風に思う今日この頃です。
短めの日記にしようと思いながら
けっきょくつらつらと長くなってしまうのでした
いつも読んで下さって本当にありがとうございます