第五章 パイロットとして小空にはばたく 5 | プライベートジェット機長が見た「超」大富豪の投資の世界

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世界を動かす「超」大富豪の投資の世界とはどんな世界か?
大富豪の象徴であるプライベートジェットの機長として日本人で唯一、
世界最速で大富豪を生み出す国・中国でフライトをマネージする
Captain Kayが、日本では決して見ることができない世界へあなたをいざなう。

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ソロフライトを無事に終え、次の関門である自家用操縦士レベルのチェックライドに向けて日々訓練。

 

このころになるとフライトで飛ぶ範囲も少しずつ広がってくる。



ほぼ毎日を飛行レッスンの予習復習に時間を使う。

宿舎内では同期はもちろん、先輩もいるわけで、わからないことなんかは直接話を聞いて解決することも多かった。

その頃は訓練の全体像がまだよく見えていなくて、毎日毎日がむしゃらにレッスンをこなす感じだったな。

 

飛行訓練は基本月曜から金曜に行われ、土曜日曜は休み。

平日は昼間の訓練と毎晩同期が集まってのミーティングで情報交換をする。

「今日はどんな失敗をしたか」とか「今日、教官に言われたこと」なんかをみんなで情報共有するのだ。

これがけっこう重要だったりする。

 

同期内でも呑み込みの早い者もいれば遅い者もいる。

私はどちらかといえば遅い方だったな。

レッスンも追加で受けたり、チェックライドも二回目で合格なんてことも結構あった。

できるヤツは一発でトントンと進んでっちゃうんだよねえ。うらやましかった。


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週末は勉強に当てなくてはならない時もあったが、気分転換に買い物や、サンフランシスコの街まで行ったりしていた。

 

 

基本、同期や先輩たちと一緒にいることが多かったのであるが、平日も週末も同じ顔触れと一緒にいることに飽きてきていたこともあり、プラッと一人で出かけたりもしていた。

せっかくアメリカに来たのだから、何かアメリカらしいことを感じたかったのだ。

それが何かはわからなかったのであるが.......................

 

当時は今のようにインターネットや携帯電話などがない時代。

日本との連絡はもっぱら国際電話と手紙だ。

日本との連絡っていったって、(20代の若い男子なんだから)日本に残してきた彼女の声を聞くってこと。

私はほどほどにしていたのであるが、人によっては国際電話代で一か月の給料を使い果たすなんて輩もいたからね。

(彼女の声がよっぽど魅力的だったのか、国際電話代金が高価だったのか.......................)


今の若い人たちはスマホとかでチャットがあるから逆に電話で声を聞くなんてないのかもしれないが、当時は手紙とかやり取りしてたからね~。

(ああ~、懐かしくてキュンとする♥♥笑)
 

遠い異国でもらう彼女の直筆の手紙なんてなんとも言えないぞ~、いまどき男子たちよ!

 

つづく

 

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