今回から三日目。

こちらはリアルタイム旅行記。

しかし、広島は重かったわぁ…

負の余韻をまだ少し引っ張ってますw

それと、前々回の記事に

「最後まで対話による解決の望みは捨てるべきではない。

綺麗ごとと言われようがそんな事は百も承知。」

と書きましたが、あらぬ誤解を招きそうなの事に気付いた。

これは「武力を放棄せよ」という意味ではなく、「武力行使を放棄せよ」という意味。

武力そのものを放棄してしまえば最悪の状況下での自衛すらもできなくなってしまう。

武力の保有は対話の席につかせる為の必要不可欠なカードでもある。

「全ての武力を放棄し、対話に専念しろ」という脳がお花畑なのと一緒にされたくないのでねw

武力を放棄すれば対話など実現せず一方的に蹂躙されて終わりますよというお話。

しかし、こんなものは使わないに越したことはないので、そんな機会が来ることが無いことを願うばかり。

 

さて、では本題へ。

当初の予定ルートへ戻りしまなみ海道へ。

向島~因島

 

因島~生口島

 

 

大三島

 

多々羅大橋

 

 

道の駅を出るとやたらと天気が良くなっていたので再度撮影。

 

大三島からの瀬戸内海

 

 

真ん中あたりに見える小島は古城島といって甘崎城跡だそうです。

 

ズーム

右の一番デカイのが古城島。

 

続いて大山祇神社。

こちらは二の鳥居。

一の鳥居はここから西へ約1km先の宮浦港の側だそうです。

 

大山祇神社は社伝・推古天皇二年(594年)創建の日本全国の大山積神を祀る神社の総本社。

朝廷から「日本総鎮守」の号が下賜された為、古くから戦いの神として崇められ、

名だたる武将達が戦勝祈願やお礼参りのために武具を奉納したとされ…

つまりは社殿よりもこっちの方が目的なわけですよw

 

総門

こちらは2010年の再建で

元亨二年(1322年)に焼失して以来、実に688年ぶりに復元されたそうです。

 

一見すると寺院の山門の様で、両サイドには金剛力士が立っていると錯覚するが

よく見ると随身像。

たぶん左大臣

 

たぶん右大臣

ガラスがくすんでてよく見えんのだw

 

総門の先へ

 

こちらは社務所

 

十七神社

正安年間(1299年-1302年)創建の永和四年(1378年)再建。

内陣には国指定重要文化財の御神像17躯が安置されているそうです。

因みに神道で御神像が造られる様になったのは仏教の影響だそうです。

 

手水舎

 

末社合祭殿

戦国時代の戦火で境内は荒廃し、

整備の際に「祓殿神社」「伊予国総社」「葛城神社」の三つの末社がここに合祀されたそうです。

 

乎千命(おちのみこと)御手植の楠

大山積大神の子孫である乎知命の手植えと伝わる大山祇神社の御神木。

伝承樹齢2600年。

これまで見てきた過去一の樹齢では。

国の天然記念物に指定されており、幹周11.1m、根周り20m、樹高約15.6m。

神門前の階段に登ってようやく全て収まるという巨大さ。

 

神門

寛文元年(1661年)創建で伊予松山藩三代藩主・松平定長からの寄進。

この先、拝殿・本殿だがこちらはまた後で。

 

ここから本殿裏へ周れるがこちらもまた後で。

 

宝篋印塔

文保二年(1318年)に建てられたと伝わり、国の重要文化財に指定されています。

 

こちらが目的の宝物館入口

 

 

内部は例に漏れず撮影禁止なので外観のみ。

源義経、武蔵坊弁慶、木曽義仲、巴御前等の名だたる武将が奉納したと伝わる太刀・大薙刀・大鎧等。

国宝8件、国の重要文化財76件だそうです。

他にも、有名な鶴姫所用と伝わる胴丸や

山中鹿介奉納の石州大太刀(全長約264cm、刃長172.0cm、反り3.0cm、茎長 92.0cm)も。

こちらは鎬や棟に傷が入り、刃こぼれも起こしており実戦で使用されていたことがわかる一振り。

鹿介は小兵だったそうだが南北朝の猛将の如く強ぇヤツは大太刀持っておけな感じでこれを振り回してたんですねw

え?源頼朝とかいう腐れ小心野郎なんざ知りませんよ。ええ。はい。

 

戦後、GHQは大山祇神社の保有する刀剣類の多さを問題視し、

国宝級を除いて処分を命じたそうですが

神社側は密かにこれを土中に秘匿して難を逃れたそうです。

GHQのたわけ野郎共はホントやらかしてくれましたからね。

どれだけの刀達が処分の憂き目に遭ったことか…

無銘というだけで処分対象にされてしまい、この中には世に出ていない名刀も間違いなく含まれていたことだろう。

それでいて当時のイギリスの司令官がてめぇの所持する駄刀・清磨(当時は底辺評価・幕末から人気があったというのは大嘘)を最高評価(周りが勝手に騒いで評価が上がったのかもしれんが)にさせ、

これが今もまだ続いてるという現代の歪んだ刀剣評価額諸悪の根源。

 

改めて神門内へ。

 

拝殿

こちらは国指定の重要文化財。

元亨二年(1322年)の兵火で焼失し、応永三十四年(1427年)に再建。

慶長七年(1602年)に大修理され、この姿が現存している。

 

廻廊には今治造船株式会社が寄贈したという隼人の舞のブロンズ像。

今治造船ってちょっと前にプロジェクトXに出てたところだよね。

 

本殿裏側へ。

手前から上津社、本殿、下津社。

本殿も元亨二年(1322年)の兵火で焼失し、応永三十四年(1427年)の再建で国指定の重要文化財。

上津社、下津社も同時期の再建と推定されているそう。

本殿の祭神が大山積大神(おおやまつみのおおかみ)

上津社の祭神が大雷神(おおいかづちのかみ)と上津姫(姫神)

下津社の祭神が高靇神(たかおかみのかみ)と 下津姫(姫神)

 

本殿の真後ろには姫子邑神社

祭神は木花開耶姫命(このはなのさくやびめ)、

火々出見命(ほのおりのみこと)、火須勢理命(すせりのみこと)

 

本殿北側の末社

左から石神社・稲荷神社・地神社・院内荒神社

 

再び神門前。

 

乎千命御手植の楠

 

総門

以上、大山祇神社でした。

次回は四国本島へ。