しまなみ海道を抜け四国本島へ。

今回は三大海城の一つに数えられる今治城。

だが、雲行きが怪しくなってきたぞ…

 

内堀から御金櫓と模擬天守。

 

模擬天守、鉄御門・武器櫓。

天気が良ければ綺麗な逆さ天守&櫓になってたんだろうなぁ…

 

土橋

こちらは往時のままではなく拡張されてるそうです。

 

本来はこの辺りに高麗門があったらしい。

鉄御門

こちらは2007年の木造再建。

 

鉄御門前の桝形

巨大な石が。

 

これは鏡石ですね。

勘兵衛石というそうです。

勘兵衛とは渡辺勘兵衛了ですね。

了は「さとる」と読む。

この時代に一文字名は珍しいが、渡辺家は代々一文字名だったりする。

渡辺了は関ヶ原合戦の際には増田長盛の客将だったため西軍に属し、

戦後は浪人となるも力量と名声により藤堂高虎に2万石の破格待遇で召し抱えられます。

今治城の普請奉行を務め、高虎の伊勢国移封後は伊賀上野城城代にまでなりますが、

大坂冬の陣では戦い方をめぐって高虎と衝突し、谷町口では大敗を喫し本人も負傷。

続く夏の陣・八尾の戦いにて名誉挽回とばかりに奮戦するも独断専行に七度に渡る命令無視、

戦いには勝利するも味方の損害も大きく高虎や他の重臣たちから疎まれ、戦後は出奔して再び浪人に。

高虎の怒りは大きく、奉公構の触れを出しその後は他家への仕官の道も叶わなかったという見事な転落人生の人。

ですが、徳川義直や細川忠興からその才を惜しまれ、捨扶持を受けていたので悠々自適に暮らせて行けたっぽい。

 

実はつい最近、渡辺勘兵衛の本を読んだばかりでして何とも良いタイミングだよなと。

 

 

鉄御門へ。

 

鉄御門を反対側から。

 

 

かなり曖昧なのですが、たぶん往時の三の丸・二の丸の境界がこの辺り。

模擬天守と藤堂高虎像。

 

武将の像は甲冑姿で造られる場合がほとんどですが、この高虎は珍しい平服姿。

平服姿なのは戦乱の城ではなく太平の世の城という意味が込められてるいるそうです。

そういや松江城の堀尾吉晴も平服だったよな…

あちらもそういった意味は込められてるんだろか?

 

模擬天守

こちらは1980年の再建(?)ですが、

築城当時に天守が建造されたか否かの一次資料が不足しているそうです。

藤堂家の家譜には「城中に五層の高楼を建て」の記述があるそうですが、

調査の結果から天守台の遺構が発見されず天守は築かれなかった説も浮上。

江戸時代を通して北隅櫓が天守の代用だったとも言われ、現在も結論に至っていないそうです。

高虎の伊勢国移封の際に天守は伊賀上野へ移築する目的で解体された説もあり、

この説では亀山城の天下普請の際に家康へと献上され、亀山城へ移築されたというもの。

亀山城の天守は古写真や平面図が残されている為、これを参考に現在の天守が再建(?)されたそうです。

 

本丸御門の前から

亀山城の天守をモデルとしているため望楼型ですが、

築城時は日本初の層塔型天守だったとする説もあり。

しかし、一次資料が不足しているので確定情報とはならず。

 

これらを踏まえると伊賀上野城が日本初の層塔型天守じゃね?という気がしてきたぞ…

 

 

本丸御門の桝形

 

一見すると虎口の様だが、古図を見ると右側に階段があるので新造された道ですw

 

本丸

 

現在の本丸は吹揚神社の境内となっています。

 

天守内へ。

因みに以前は展望室以外の撮影は禁止だったそうですが、

2024年末に大幅緩和され現在は一部の展示を除いて撮影可になってます。

 

1/60天守あった説復元模型

 

木造天守模型

 

出土品

瓦製土管

 

軒丸瓦

 

軒平瓦

 

武具は一部が撮影可でした。

江戸時代の甲冑その一

左:鉄錆地桶側二枚胴具足

右:鉄黒漆塗縫延二枚胴具足

 

左:鉄黒茶漆塗桶側五枚胴具足

中:鉄黒漆塗桶側二枚胴具足

右:鉄錆地桶側二枚胴具足

 

相模守国維の銘。

寛文期頃の地元・伊予国の刀工です。

この時代の刀は全てが没個性で一番つまらんのだよ…

 

左:革黒漆塗鱗札五枚胴具足

右:紺白絲毛引威二枚胴具足

 

左:紺絲素懸威縫延二枚胴具足

右:紺絲素懸威二枚胴具足

 

武家屋敷の調度品

左:唐草星梅鉢紋挟箱

右:行燈

 

大名行列人形

長すぎて収まらないので斜め方向から。

 

江戸時代の甲冑その二

 

左:鉄錆地桶側二枚胴具足

右:鉄錆地桶側二枚胴具足

 

左:革黒漆塗仏二枚胴具足

右:鉄黒漆塗仏二枚胴具足

 

こちらも国維の一振り。

 

練革黒漆塗頭形陣笠

久松松平家の星梅鉢紋入り。

 

練革紫黒漆塗二十間二方白兜

こちらは江戸時代に流行した復古調の兜。

 

鉄錆地頭形兜

おそらく城や屋敷に置かれていた有事の際の備品。

 

安政三丙辰暦

安政三年の暦表(カレンダー的なもの)

 

明治廿五年略本歴

こちらは明治25年の暦表。

 

正保今治城絵図(複製)

正保年間(1644~1648)に描かれた絵図の複製です。

高虎の伊勢国移封後は松平定房が入城し、海側の石垣等に大改修をしています。

こちらの絵図は改修工事が完了した直後に描かれたものだそうです。

 

長柄武器

上:鎖乳切木

下:熊手

 

上から袋槍、大身槍、素槍

 

銀杏穂袋槍

こちらは無銘…

というか袋槍に在銘なんて存在するんか?と思って調べてみたら存在するらしい。

茎が無いので鎬か袋穂に銘を切るらしい。

因みに袋槍とは穂先自体がソケット状になっていて、

一般的な槍とは逆に柄の上に被せて使用する。

 

両鎬鉤槍

穂先57.7cmというかなり長大な大身槍。

しかも両面鎬造りの非常に珍しいもの。

平安城藤原国道の在銘。

出羽大掾藤原国路の初銘でこれは慶長期の作ですね。

まだ戦国の気風が残っていた時代なので大身槍が普通に造られていたんでしょうかね。

因みにワタクシ、平安城長吉の一振と兼植作の大身槍(両面鎬造り)を所持しているので妙な親近感が湧いているw

 

平三角直槍

与州今治住下坂作の在銘。

下坂と銘を切る刀工は複数人居たそうですが、その中に何とも出自の面白い人物がおりまして

下坂甚兵衛為康という刀工は姉川の戦いで討死した朝倉家の猛将・真柄十郎左衛門直隆の子と伝わるそうです。

近江の刀工・下坂八郎左衛門の元で養育され、のちに加藤嘉明に召し抱えられ伊予松山で作刀したとか。

松山と今治は隣町なので本人の可能性ありでは…?

 

真柄直隆とは身長210mの巨漢で

複製・太郎太刀(熱田神宮草薙の館にて)

全長340cm、総重量は約10kg、刀身のみで約6kg

 

複製・次郎太刀(熱田神宮草薙の館にて)

全長267cm、本物の総重量は約8kg、刀身のみで約5kg

 

実物・太郎太刀(熱田神宮宝物館にて)

これらのバケモノ刀をブン回して戦ったとされるバケモノ男である。

 

豫洲今治住信定造之の在銘

文久なので新々刀です。

 

この他にも刀、長柄武器、火縄銃、洋式銃が展示されていましたが撮影禁止となっていました。

新刀が撮影可で新々刀やら現代刀が撮影禁止で基準がようわからんわと思ったんですが、

どうも今治城蔵が撮影可で、個人蔵のものが撮影不可の様ですよ。

 

鉄黒漆塗畦目綴二枚胴具足

両側が個人蔵の撮影禁止で撮るのに苦労したわw

 

藤堂高虎像(複製)

 

藤堂高吉書状(複製)

 

安永八年今治城絵図

 

徳川家康の盃

久松松平家伝来だそうで家康の形見分けでしょうかね?

左から素焼き、朱漆塗、木地、盃を収納する木箱

 

松平定房が与えた印籠と巾着

 

左:自画賛「芦鶴図」(五代藩主・松平定郷作)

右:松平定時像(二代藩主)(複製)

 

左:一行書「浮世酒中逃(八代藩主・松平定芝作)」

右:宝珠画賛(五代藩主嫡子・松平定温作)

 

星梅鉢紋入りの空穂

 

飴買い幽霊図(複製)

朝ドラにも登場した飴買い幽霊の怪談ですね。

日本全国に分布し、ローカライズ化されているので各地で細かな差異がある模様。

 

一行書「山静如太古」(十代藩主・松平勝吉作)

 

松平勝吉伺状

 

赤壁遊水(沖冠岳作)

 

寅(山本雲渓作)

 

徳川家綱領地朱印状(複製)

 

松平定房宛領知目録(複製)

 

徳川吉宗領知朱印状(複製)

 

松平定郷知行宛行状

 

御家中分限役附帳

 

今治藩勘定文箱

 

舊今治藩学制沿革取調要旨

 

「克明館」扁額

 

今治城天守再建時に寄贈された鯱と瓦

 

左:開拓使兌換証券

右:西郷札

こちらは西南戦争の際に西郷方が戦費調達の為に発行した紙幣だそうです。

 

今治藩の藩札

 

左:別子銅山の図

右:大山祇神社所蔵の古代鏡の図

 

和歌 二首(半井梧菴作)

 

出土した瓦と転用石に用いられた石材

 

こちらも転用石に用いられた石塔

 

一行書「宵中急味深」(十代藩主・松平勝吉筆)

 

一行書「芝蘭玉樹」(八代藩主・松平定芝筆)

 

山水図(八代藩主三女・松平文仙筆)

 

花鳥図(八代藩主三女・松平文仙筆)

 

最上階の展望室

 

廻縁から

南西方面

 

南方面

天守真下は吹揚神社の境内

 

南東方面

 

東方面

二の丸と御金櫓

 

北東方面

二の丸と三の丸の境界は上から見るとわかり易いかも

鉄御門の多門櫓の右端辺りが丁度境目に左が三の丸、右が二の丸。

往時は門と土塀と隔てられていたそうですが。

 

北方面

 

瀬戸内海も一望でき、

四国本島から馬島・大島と来島海峡大橋が一望できる。

 

北西方面

山里櫓とその右下に見える御殿っぽいのは吹揚神社の社務所です。

 

西方面

今書いてて気付いたけど橋を渡った先の広場が天守ベストビューポイントだったんじゃないだろうか。

 

続く。