本当は出立前に完結されたかったんだけど余ってしまったものは仕方がない。

畿内から東海道と南海道の旅路、最終日にして最終回。

ホテルの窓から和歌山城。

早朝は雨でしたが、動き出す頃にはほとんど止んでいたのは助かった。

 

 

 

そして最終日も予定外から始まる。

クソ狭道のため、完全片側通行だそうです。ただいま信号待ち。

前日に見つけて急遽立ち寄ることになった

紀三井寺。

伝・宝亀元年(770年)創建。

 

南無如意輪観世音菩薩

 

こちらが本堂…

だが、木が邪魔で見えん…

 

本堂内

ここに安置されている重文の仏像を見に来たのですが拝観は10時半から…

現在9時過ぎ…

 

大師堂

 

三社権現の鳥居

 

 

三社権現

左から白山妙理権現、熊野三社権現、金剛蔵王権現

 

春子稲荷神社

 

護国院多宝塔

文安六年(1449年)建立の重要文化財。

 

困った事に…

足場が狭くて全体入らず…

近寄ると上が見えない、離れると木が邪魔する非常に困ったヤツ。

 

多宝塔と向き合う位置に

開山堂

 

天然のキクラゲ発見!!

いや、ホントに山菜だったのかこれw

最初は海藻だと思ってたからねw

 

上から本堂

やはりよく見えんね。

 

再び下へ降りて

 

石足仏

これ、色んな寺院にあるけど仏陀のものとされる足跡。

 

幸福観音

 

鐘楼

天正十六年(1588年)建立の重要文化財。

 

六角堂

 

大樟龍王社

 

仏殿

内部には20mはあろうかという巨大な千手観音だが…

見るからに新しくテカテカに輝いてました。

やはり仏像も古い物と現代の物では彫り方が全然違ってましてね…

ダメだーーー風格が全然違うわーーー…

 

こちらはおそらく麓に繋がる参道。

どうやら重文の楼門がこの下にあったらしい。 

 

一願地蔵尊

金箔シールを購入して地蔵に貼るそうです。

顔へ集中的に貼られてる様に見えるのは気の所為だろうかw

 

境内からの眺め

 

 

 

ここからだと間近では見えなった多宝塔の屋根が見える。

いや、屋根だけが見えるw
 

以上、紀三井寺でした。

仏像は見れなかったが多宝塔は見れたのでまあ良しとしよう。

 

続いてこちら、紀州東照宮。

一の鳥居

 

二の鳥居

 

三の鳥居

時間的問題で今回のリストから外れたのですが

時間的余裕ができたので結局来てしまったというw

元和七年(1621年)創建の重要文化財。

 

参道

 

途中で何故か虎口の様な造りに。

 

あれに見えるが108段の階段、侍坂。

それを見て立ち尽くす雷神様とトシゾー教授w

 

稲荷大明神

 

こちらへ進むか…

 

こちらへ進むか…

 

こっちの方が近いということでこちらから

そして悲鳴を上げる雷神様とトシゾー教授なのであったw

 

昨日、和歌山城を山麓から山頂まで三往復もしたので

こんなものどうという事もないわーw
 
楼門

元和七年(1621年)建立の重要文化財。

見上げる形になるし、両サイドが木なので全体撮らなかったんですが反対側から撮れば良かったんじゃね?と今思ったw

 

最上段から

 

ここから主郭部

唐門、その奥に本殿。

ともに元和七年(1621年)建立。

祭神は照大権現(徳川家康)と南龍大神(徳川頼宣)

当初は照大権現のみ祀られていたそうですが、後に南龍大神も合祀されたそうです。

唐門から奥は撮影不可なのでここまで。

 

こちらは社務所

 

ヘタレ道から戻りますw

 

振り返って

確かにこれは楽だ。

 

最後にもう一度、侍坂を下から眺める(しゃがんでます)

以上、紀州東照宮でした。

現在10時半直前。

紀三井寺と紀州東照宮の順を逆にすれば仏像見れたんじゃね?と思ったり…

既に後の祭りだが…

 

さらば和歌山。

一路、大阪まで。

 

続いては岸和田城。

こちらは城内唯一健全な姿を残している内堀。

 

現在歩いているのが二の丸曲輪跡

二の丸と二の丸曲輪でそれぞれ独立した曲輪になっていたそうです。

 

ここから二の丸

正面の建物は二の丸多門櫓あとに建てられた櫓風トイレですw

石垣も右側面部に当時の物と思わしき石が固められていますが、ほどんどが現代石垣。

 

奥に見える御殿風の建物は市民道場「心技館」だそうです。

つい数か月前、老朽化による廃館案で一悶着あったそうですが…

 

この先が本丸。

だが…

月曜休場の文字がぁぁぁぁぁぁぁ!!

やはり魔の月曜日…何度月曜日に阻まれた事か。

 

寛永十七年(1640年)頃の岸和田城絵図。

現在は三重三階の連結式望楼型天守ですが、

当時は五重五階の複合式望楼型天守だったとか

 

仕方ないので店に入って口惜しさを紛らわせる。

 

手作り甲冑増えてますよね。

 

僅かに展示あり。

「摂州住嶋谷喜八郎重□元作」の銘入り火縄銃(中筒)

 

「惣巻張 榎並勘左衛門作」の銘入り火縄銃(士筒)

 

御家中並帳

 

鉄砲稽古中り附帳

 

大塚塀右衛門組鉄炮之手組

 

最後にもう一度口惜しいわー…と思いながら本丸を見る。

…すると、口惜しいオーラが伝わったのか店員さんが堀の向こうへ周ると天守が見えると教えてくれる。

やはり。構造的に向こう側へ周ると見えるんじゃないかなと思ったんですよね。

ということで、さっさと戻ろうとする組を連れ戻し内堀を周る。

 

これだ!ビューポイント!!

天気はイマイチだが逆さ天守も見事に決まる。

ここまで来ておきながら、危うくこれすらも逃すところでした。

最初の天守は慶長二年(1597年)小出秀政によって建立され、
後に元和五年(1619年)松平康重によって天守は改修を受け、城郭も総構えに強化されている。

当時の天守は文政十年(1827年)落雷によって消失。
幕府に復興願いを届出しているが結局再建はされなかったとか。
三層の天守・二層の小天守の再建が予定されていたそうで、
これが現在の三重三階復興天守の姿になったのではないでしょうかね。
どうせなら在りし日の五層を復興してほしいところだが…
 
更に、元和九年(1623年)伏見城破却によって部材が移築され城郭は再強化される。

岸和田城は大坂城と和歌山城の中間に位置するため、紀州徳川家の監視・抑えのためと言われている。

寛永十七年(1631年)には岡部宣勝が監視として入城。

まあ、御三家には例外なく幕府の監視が置かれているのですが…

ホント、器の小さい逆恨み将軍。

 

本日の昼食。

岸和田市役所の食堂なんですが、この蕎麦が驚くほど美味かった。

最後の最後に大当たりでしたね。

 

実は駐車場からでも結構見える天守。

以上、岸和田城でした。

やはり休場日はしっかり確認しておくべきなんだけど…

しっかり調べたのは定休なし、うっかり忘れたのに限って月曜定休とか。

 

続いて堺市まで移動。

南宗寺

知る人ぞ知る、家康討死説。

 

真田ミュージアムの回で触れた南宋寺がここ。

 

寺院がいくか隣接してまして

こちらは海会寺

 

こちらは天慶院

 

そして、こちらが南宋寺

だが、境内全域が撮影禁止でして、残念ながらここまで。

大坂夏の陣にて徳川家康討ち死にしたという説があり、

後藤基次(又兵衛)の槍によって討たれたとされる事が多い。

しかし、基次は決戦前日の道明寺の戦いで水野勝成勢を相手に討死しているので、

本陣を動いていない家康と相対したとは到底考えられず、この説には無理があると思う。

しかし、翌5月7日の決戦。

多くの歴史にわか勢を生み出してしまった罪深きスーパーヒーロー真田信繁(幸村)による徳川本陣突撃。

馬印が倒され、家康は二度も自害を覚悟したほどというのは最早説明不要なほど有名な話。

この際に真田隊の者の槍によって討たれたしまった説が濃厚なのではと思う。

 

この説、静岡県民は真っ向否定するそうですがw

しかし、意外と馬鹿にできなくてですね。信憑性があるんですよ。

家康が乗っていたとされる駕籠が今も残されおり、

屋根の部分には槍で突かれた様な大きな穴が開いています。

駕籠ごと槍で突かれた家康はこの南宋寺へ運ばれますが、

既に息絶えていたとも、間もなく息絶えたとも。

因みにこの駕籠が南宋寺にあるという話を聞いてやって来たのですが、誤情報というか誤認というか…

南宋寺へ運ばれたという伝承があるだけで、駕籠は日光東照宮に収蔵・展示されているそうですw

 

この経緯から南宋寺には家康の墓が残されています。

こちらもよくある偽物だろうと思われがちですが…

この墓には二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が参拝したという記憶が残っており、

滞在地から墓を静かに見つめていたなんて記憶も残っているとか。

そして、日光東照宮へと家康を改葬したのが家光。

四代・家綱以降の将軍はここへ訪れていない。

つまりは…

 

以前にも同じ考察してるのでこらち。

 

因みに、南宋寺の案内の方は「これが事実だ!!」というご当地ありがちの強気断定はせず

「と言われています」な第三者的視点でした。

たぶん静岡県民の圧にやられてしまったのではないでしょうかw

 

もう一点、おもしろい物がありまして

仏殿内部の天井には有名な「八方睨龍」が描かれおり、

これが本当に位置を変えても角度を変えても眼球が常にこちらを見ているという。

いや、眼球動いてるよねそれ?と疑いたくなるようなw

当時の人は一体どうやって描いたのか。ものすごい技術。

 

以上、南宋寺でした。

 

最後に空港で時間つぶし

 

簡易夕食

 

さらば大阪。

来年(2024年時)は万博と被るので、しばらく来ないと思うけど…

その一年後にまた来ることになろうとはなぁ…

 

千歳空港着

滑走路の灯火を撮るのが最後の楽しみだが…

今回あまりおもしろいものは撮れなかった。

 

畿内から東海道と南海道の旅路、これにて終了。