容量オーバー言われたので二分割!!
続いてこちら
九度山・真田ミュージアム
エントランスには真田三代人形
幸村は義じゃなくて勇。
大助が忠ではなく義だと思うんだが…
因みに真田丸放送中は人形と一緒に撮影する人達で入口は大行列だったそうです。
内部へ。
一般的に信之を祖とする信州真田家を真田本家。
これとは別に幸隆・昌幸・信繁(幸村)の三代を真田三代というのですが、
九度山では幸隆は縁も所縁も無いので昌幸・幸村・大助を真田三代というらしい。
上田時代
真田安房宛 武田勝頼条目
真田秘宝館所蔵の複製です。
真田安房宛 羽柴秀吉書状 天正十四年十一月二十一日付
こちらも真田秘宝館所蔵の複製。
真田安房宛 羽柴秀吉書状 天正十七年十一月二十日付
こちらも真田秘宝館所蔵の複製。
さっきの書状と月日付がまったく同じだという。
馬上筒(後ろにもう一挺)と鉄砲用具
九度山時代
右上:真田昌幸書状、右下:真田信繁書状
左上:真田昌幸書状
真田紐と原材料
脇差は思いっ切り模造刀でしたw
真田紐織機の複製模型
大坂の陣
大坂の陣コーナーには刀が一振り展示されていましたが撮影禁止でした。
それもどうって事ないテカテカ刀身の新刀。
いやそれ、撮影禁止にするほどのもんでもないぞ。
この程度のはそこらにたくさん出回ってまっせw
大坂冬の陣の図
右下の出丸が真田丸
どうにも真田幸村=義将のゴリ押しイメージ付けが嫌だわー…
実際のところ豊臣氏への義理はある程度は感じていたものの
根幹にあるのは家康に一泡吹かせて真田の武名を天下に轟かせる。
これに尽きると思いますよ。
関ヶ原本戦では不甲斐ない西軍のおかげで不完全燃焼に終わったでしょうし、
今度こそはという気持ちが相当強かったと思う。
上映後の座席を見ると…
寝落ちてる人が居ると思いきや…
草の者でしたw
※真田家では忍のことを草の者と呼ぶ(真田太平記より)
真田の隠し部屋
1.壁の掛け軸が地図に変わる
2.囲炉裏の下に隠し階段
3.天井に草の者
4.本棚の裏にも…
…草の者
5.井戸の下にも…
…草の者
6.壁を押すと…
隠し武器庫
これで6つ。
初日の伊賀忍者屋敷を思い出したわw
そこそこ有名な幸村、大助、秀頼生存説。
三光神社の真田の抜け穴だが…
そもそも三光神社は真田丸跡ではなく前田利常の陣跡だとか。
真田丸を攻めるためのもので実は前田の抜け穴説が有力。
こちらは知る人ぞ知る家康討死説。
この説では後藤基次(又兵衛)の槍によって亡くなったとされる事が多いが
基次は決戦の前日に討死しているので、幸村の本陣突撃の際に真田隊の槍によって討死したのでは?
この説は意外と馬鹿にできなくて信憑性あるんですよねぇ…
因みにこちらの南宗寺には明日立ち寄る予定です。
幸村ニセモノ説は初めて聞いたが…
これを肯定すると真田日本一の兵を否定することになるのではw
徳川本陣へ突撃した人物と安居天神で討たれた人物は別人ってか?w
それはちょっと都合良すぎるでしょうよ。
これが幸村、大助、秀頼生存説ですね。
幸村・大助親子によって秀頼は大坂を脱出し、薩摩へ逃げ延びたという説。
大助ならば可能性はあるが幸村はちょっと無理があるでしょうよ…
因みにこの話には続きがあり、秀頼は薩摩で生涯を終えるが、
幸村・大助親子は薩摩藩が幕府へ恭順するとこの地を離れ、
幸村の五女・御田の方が嫁いだ亀田藩主・岩城宣隆を頼ったというもの。
御田の方が建立した妙慶寺(秋田県由利本荘市)には幸村・大助の墓所があり、
真田父子はこの地で生涯を終えたという説。
この妙慶寺は大河EDの真田丸紀行でも取り上げれてました。
因みに秋田県由利本荘市はワタクシ藤原の本家である。
草の者の武具
草の者の得物は飛び苦無である。
この棒手裏剣がたぶん真田太平記でいうところの飛び苦無に近いんじゃないかと。
真田丸の複製陣羽織
左の壺は大河のワンシーンで「幸村」を名乗る際のくじ引きに使った壺の複製。
その横には「村」の字が書かれた紙が。
ドラマでは兄・信幸が「信之」を名乗り、兄の捨てた「幸」の字を使うといい、
もう一文字は壺に一字書いた紙を入れ、それを大助に一枚引かせて
九度山村の「村」を引き当て、「幸村」と名乗ったというもの。
実際のところ「真田幸村」の名を本人が名乗ったという記録はなく、書状では生涯一貫して「信繁」を使用しているそう。
後年の創作説が有力とされ、姉の村松殿の「村」が由来や
もしくは村正(刀と言われることが多いがたぶん薙刀)が得物だったため
村正の「村」が由来等、諸説あり。
ただし、松代藩の記録では本人が「幸村」を名乗ったとするものが残っていたり。
真田丸模型
戦国最後のスーパーヒーロー真田幸村の誕生
江戸時代の軍記物「難波戦記」が真田幸村の初出だそうです。
江戸~近代までの真田幸村を題材とした様々な書籍。
大河の題字
当時、これの作成時の放送見たんだよなぁ
で、現代。
戦国BASARAの幸村。
2010年前後だっけ?イケメン武将による歴女ブーム。
戦国無双はif展開であっても超えちゃいけない一線は絶対に超えない
さすが歴史ゲーのコーエーさんって感じだったけど
戦国BASARAは超えちゃいけない一線を平気で超え、
あまりの改変っぷりに本気で殺意沸きましたよええw
因みに「幸隆も昌幸も居ないから信玄の側近は幸村にやってもらおう」な無双に対して
それを見て「真田幸村って武田信玄の側近だったんだ」と鵜呑みにして丸パクリしたBASARA
この違いなw
火縄銃体験
真田所縁の城
こちらが幸村が大阪の陣で使用したとされる薙刀と采配の複製。
本物は現在、福井市立郷土歴史博物館に収蔵されている。
まあ、常設じゃないんで見れませんでしたがね。
砥石城・米山城址絵図
上州利根郡沼田古城之図
松尾城址絵図
砥石城・米山城址絵図
さっきのとは別の図
信州上田城絵図
上田城 城下町絵図
こちらは札が無いんだけど馬出しや千曲川があるので
たぶん松代城絵図
上州吾妻郡岩櫃古城之図
こちらも札無し
江戸期の上田城の様に見えるが…?
大坂冬御陣絵図
大坂夏御陣絵図
大坂城の瓦
諸国古城之図
射的コーナー
倒すのは憚られるので家康公だけ残して他全部倒す
以上、九度山・真田ミュージアムでした。
結局のところただの蟄居先なんで物好きくらいしか来ないでしょなんて思ってたが
平日にも関わらず結構な人が来てまして、しかも日本人しか見ていない。
しかし…
耳に入って来た話を聞くからに
「好きな戦国武将は真田幸村です!!(他は知らない)」とドヤ顔で言ってしまう系の人達でしてね…
改めて現実を垣間見た気がする…
全てを知った上で好きな戦国武将は真田幸村というのは良いんですけど
大して知りもしないのに好きな武将は真田幸村ですって言っちゃうヤツかなり多いよね。
なんかもう…うおぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁ!!(声にならない叫び)ってなるわぁ…w
途中に立ち寄った道の駅には赤備え(これもフィクションなんですよ)
ただの蟄居先なのにゴリ推しがすごいw
さすがはスーパーヒーロー
当ブログではわかり易さから「真田幸村」表記で統一していましたが
今度からは「真田信繁」表記に変更しようかと考えさせられた日であった…w
続く


















































































