続・福井

今回は二日目の最後

福井市立郷土歴史博物館

 

古代期

 

いきなり混んでるのでスルーw

 

出土品コーナー

 

上:剣

下:捩文鏡、竪櫛、繊維片

 

上:やりがんな

下:貝釧

 

上:剣、刀子、鍬先、斧、鉄製品

下:二神二獣鏡、頸飾、朱、石釧

 

 

刀、剣、槍先、鉾先

 

鉄鏃

 

胡簶

 

辻金具、鏡板、銅鈴、轡

 

耳環

 

金製垂飾付耳飾

 

上:緑色疑灰岩の管玉、勾玉

下:切子玉、勾玉

 

竪櫛

 

上:ぼう製鏡、珠文鏡

下:三角縁神獣鏡(レプリカ)、三角縁神獣鏡

 

上:又鍬

下:刃先、U字状刃先

 

上:刀子、手斧

下:やりがんな、鑿

 

 

 

いきなり飛んで江戸期

九十九橋模型

照明でわかり難いが左半分が木橋、右半分が石橋になってます。

 

福井城本丸模型

 

天保期の図面資料等からの復元だそうです。

 

復元された山里口御門と廊下橋

右端の櫓が復元計画の坤櫓。

土塀も復元予定だそうなので是非とも櫓門まで繋げてほしいところ。

 

天守は寛文9年(1669年)に焼失しており、

天保期には既に存在しないので単色で再現されているそうです。

 

幕末期

松平春嶽所用 青松院・勇姫肖像写真

 

松平春嶽筆「虎豹変革備考」

 

松平春嶽筆「時勢急務策」

 

松平春嶽筆「我に才略なく…」の詩幅

松平春嶽の名言

「我に才略無く我に奇無し、常に衆言を聴きて宜しきところに従ふ」

私には、何の才知に富んだはかりごとも奇抜な考えも無い。

常に周りの意見をよく聴いて、よい方向を見出すまでだ。

人の世の出来事は、めまぐるしく変わる天候のようであり、何が起こるか事前には計り知れないものだから

の意。

 

松平春嶽筆「花開き花落つ…」の詩幅

花が咲きそして散る、はかない夢のようだ。世の中の栄枯盛衰もまた瞬く間だ。

名や利益を争って求めることは私の意図するものではない。

天の命じるままに生きることを楽しみとしたいものだ。

また少しも疑わんよ

の意。

 

真田地蔵

これ、危うく見逃すところだったんですよね…危ない危ない。

混雑してたのでスルーした場所にありましたw

 

正面しか見えませんが

伝承通り、裏面には「大機院眞覺英性大禪定門西尾建之」文字があるとか。

なんとなく首の部分に補修跡がある様な気がする…

「地蔵尊の首古来落ちて台上にあり、人若し之を載すれば熱病に罹るという

地蔵の首が落ちて台上にあって、これを直すと熱病にかかる。

という伝承があったそうです。

 

こちらの地蔵は孝顕寺に安置されていたもので、

こんな伝承がある…

大坂の陣にて真田幸村を討ち取ったとされる西尾仁左衛門久作(宗次)が

供養のために孝顕寺へ首塚を建立。

この地蔵尊の立つ場所が首塚と伝わっていたのですが、実際には鎧袖が埋められていたという…

真田家の者が首を取り返しに来るのを恐れてこれを首塚として偽ったとか。

実際の首塚は西尾家一子相伝の極秘事項になっているそうです。

 

つまり孝顕寺にあったのは真田幸村首塚ではなく鎧袖塚。

「孝顕寺には首塚は無い」とお寺の方も断言しているとか。

本当の首塚は一体何処にあるのかは完全に謎という事です。

そもそも福井に持ってきてないんじゃね説が有力な気がする…

普通に考えて藩の一家臣が敵将の首級を勝手に持って帰って来れるとは思えんのですよね。

大坂の陣後、幸村は日本一の兵と最大級の賞賛を受けているわけですし、幕府が丁重に弔ったんじゃないでしょうかね。

 

西尾家には幸村所用と伝わる兜、采配、薙刀が伝わっており、

現在は兜は京都井伊美術館に、

采配と薙刀はこの郷土歴史博物館に収容されているそうですが

常設展示ではないため拝めませんでした。

一応、写真では見ることが出来ましたがw

 

現存する兜は黒塗りでヤクの尾の毛が付いた物で鹿角は無い。

(脇立てが付いていたと思われる跡があるのでもしかすると…)

返しの部分には六文銭ではなく桐紋(真田本家に迷惑がかかると六文銭は使用していなかったとされる)

兜が黒塗りということは鎧も当然黒塗りであったと思う。

現在では完全に六文銭・十文字槍・鹿角の赤備具足のイメージが完全に定着してますけど

実際にはそのどれ一つとして当てはまらないのではなかろうかw

首塚伝説とは違って、斃した敵の武器を奪うなんてのは当たり前の事なので

幸村所用の本物である可能性は非常に高いと思う。

 

エントランス

姫様の着物と駕籠

 

具足

 

長柄武器と馬印

以上、福井郷土歴史博物館でした。



続いては隣接する

名勝 養浩館庭園へ。

こちら、いつもは閉館時間だそうなのですが

期間限定ライトアップイベント中なのでした。

定休日にぶつかることもあればこういう予想外の良い事もあるw

 

このアングルが素晴らしい。

元々は福井藩主松平家の別邸で、御泉水屋敷と呼ばれていたそうです。

四代藩主松平光通の側室がここで子息を産んだという記述があり、

これが最も古い記録だそうです。

少なくとも明暦2年(1656年)には御泉水屋敷が存在していた。

後の元禄12年(1699年)に現在の規模の建物と回遊式林泉庭園が完成したそうです。

 

養浩館

明治17年8月1日、松平春嶽によって養浩館と改称されたそうです。

 

白鷺

しばらく見てたけど完全に居座ってましたw

 

日が落ち始めて良い感じなってきましたね。

現在のこの姿は7代藩主昌明の時代のものだそうです。

当時の建物は福井大空襲で焼失してしまいましたが、

文政六年の御泉水指図を基に屋敷と庭園は復元・整備されたそうです。

 

では、屋敷内へ。

 

玄関

 

その奥に御台所

 

玄関脇の廊下

右側奥の間が御台所

 

左に櫛形ノ御間

右に御台子

 

縁側からさっき歩いて来た道

 

櫛形ノ御間

 

櫛形ノ御間から

建物の真下が水なんです。

池の上に屋敷が迫り出した状態。

 

御台子

蛇口が生えてますw

 

 

御廊下

 

 

御上がり場

 

御湯殿

 

御風呂

蒸し風呂です。

 

御湯殿の窓

内池

 

御廊下から

 

反対側に庭園

 

やはり居た鯉どもw

 

やはり集まってくるw

 

わらわら…

わらわらわらわら…

わらわらわらわらわら…

しばらく眺めてたら身体が冷えてきた…

10月末の北陸地方は寒く、更には本日の千畳敷で靴が完全浸水してまして当然靴下も…

正直これで畳の上を歩くのは気が引けるが許せ…!!

 

御次ノ間

 

 

金砂子ノ間

戻りルートなのでUターンするW

 

御次ノ間の縁側

そろそろ良い感じの時間では。

 

御座ノ間

藩主の間です。

 

御座ノ間の縁側

完全ライトアップ。

 

御月見ノ間

 

雲窓から

見よ!この幻想的な庭園を!素晴らしい!!

 

鎖ノ御間

 

 

再び金砂子ノ間

 

御次ノ間をズーム

 

御次ノ間と御座ノ間をズーム

 

さっきの戻りルート

以上、養浩館でした。

いやぁ…素晴らしかったですね。

なかなかのガッカリだった何処ぞの某巨大庭園には

デカけりゃいいってもんじゃないんだよと言ってやりたいねw

 

最後はこちら

福井城舎人門遺構

郷土資料館に併設され、館外展示物となっています。

 

両サイドには

櫓門だっと思われる石垣

 

外堀北側を守る門だったそうで

 

門前には僅かに残る外堀の遺構

暗くてよくわからんw

都市化によって外堀のほとんどが埋め立てられてしまっています。

 

石垣と舎人門

以上、福井城舎人門遺構でした。

 

次回は近江国へ。

続く。