本日より5日目。

奈良県から和歌山県へ移動。

 

リアルタイム旅行記

 

今回は伊都郡九度山町へ。

真田庵

関ヶ原合戦後、九度山村へ蟄居となった真田昌幸・幸村父子の庵跡と伝わる場所に建てられた寺院で

正式名は善名称院。真田庵の名称の方がすっかり有名になってしまった様ですがw

 

因みに正面左奥の建物が本堂だそうです。

売店かと思って本堂の写真撮ってなかったw

 

善名称院大安上人廟所霊屋

寛保元年(1741年)大安上人によって地蔵菩薩を安置した一堂が創建されたのが始まりだそうですよ。

 

真田安房守昌幸墓地

確かに昌幸は慶長十六年(1611年)にこの地で亡くなっているのですが

松代藩の記録(?)によると昌幸の遺体は極秘で京へ運ばれて荼毘に付した後、

信濃へ運ばれて松代の真田山長國寺(真田本家菩提寺)、上田の真田山長谷寺(真田三代菩提寺)へそれぞれ分骨されたとか。

はたして真相は…

 

色々やらかした真田山長國寺

 

真田山長谷寺(かなり下の方)

 

3つ並んでる内の一番手前のがそうらしい。

真田地主大権現として神格化されています。

善名称院が創建された後、憤怒の表情の昌幸の霊がたびたび現れるようになったため、

大安上人は昌幸の霊をこの地の神様として祀ったところ、

穏やかな顔になった昌幸が現れ、祀ってもらったお礼にこの地を守ると約束したという真田地主大権現の伝承。

 

真田宝物資料館

 

座敷がすごい事になっている…

甲冑類は全て現代の手作り甲冑です。

 

 

 

真田三代

 

真田昌幸肖像画

 

真田信繁(幸村)像画

 

真田幸昌(大助)肖像画

 

幸村の仏胴人形

よくある真っ赤ではなく赤茶。

現存している本人所用と思わしき具足からこれが史実に近い色合いなんじゃないでしょうか。

 

兜と尺八

由来は不明

 

江戸時代の真田三代記

 

真田幸村公直筆の書

おそらく複製と思われる

 

与謝蕪村の句

かくれ住んで 花に真田が 謡かな 蕪村

 

袖搦と火縄銃

 

黒漆塗鐙

伝・真田幸村公所用

 

木彫の犬

伝・真田昌幸公自作

 

伝・真田幸村公所用品

前から飯盆、六文銭入り陣幕、真田公望遠鏡

 

こちらも伝・幸村所用の展示

 

具足だが、由来は不明

 

 

金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅

密教知識皆無なのでどちらが金剛界でどちらが胎蔵界なのかわかりませぬw

 

伝・真田幸村公大坂の陣陣使用槍先

正しくは上から十文字槍穂先、脇差、素槍穂先

真田幸村=十文字槍のイメージに一役買ってるのがこれか。

実際に大坂の陣では薙刀で戦っていたそうだが。

因みに一番下のは足軽槍なので絶対違うと思うw

 

幸村像?

 

六文銭の瓦

 

金剛力士 阿形と吽形

 

真田紐織機

大河では幸村が考案してことになっていたが、伝承では昌幸が考案したという事になっている。

諸説ありますが実際はもっと早くからあったらしく、千利休が茶器の箱を結ぶのに使っていた紐が元になったんだとか。

この紐は各地で生産されており、故地の信州や紀州でも作られていたそうで、ここに目を付けたのが昌幸。

これに改良を加えたのかそのまま丸パクリしたのかは不明だが、後年の真田人気から色々と脚色も混ざって

真田の作った強い紐「真田紐」として現代に到ってるんだと思われる。

 

因みに真田紐は我々も刀の下げ緒に愛用しているが

真田丸で真田紐が登場するや否や各地で品切れが続出していました。

 

大安上人の展示

 

 

兵法の書

 

 

大安上人の行状

 

 

以上、真田宝物資料館でした。

まあ、蟄居先の居住地なんでね…

 

雷封じの井と真田父子四百回忌碑

雷封じの井は庵に落ちた雷を幸村がとり抑え、ここへ封じたと伝わる井戸。

 

正面から

以上、真田庵でした。

 
容量オーバー言われたので二回に分けます。
あと少しだったのに…