続・大垣城

 

西門

この先が二の丸跡である大垣公園。

遺構はほぼ残ってませんがね…

 

二の丸からの本丸。

 

戸田氏鉄公騎馬像と大垣城天守。

大垣藩初代藩主で、父・一西の代から仕える譜代の家臣。

大垣戸田家は戸田氏宗家の支流にあたるのですが、

父・一西の時代には既に独立し、別家召出(本家同等待遇)だったとか。

戸田一門は支流がかなり多いんですよね。

世間一般的に知名度は高くないが、銅像が建っている事から大切にされていることがわかる。

築城者や街の基礎を作った人物を大切にする街には好感が持てます。

所縁の人物だからといって知名度の高い人物ばかりゴリ推し、

街の基礎を作った人物そっちのけな街って多いですからね…

 

天守と乾隅櫓。

乾隅櫓は昭和42年の再建。

こちらはアホの廃城令による破却だったそうです。

 

本丸全域。

現在は完全に埋め立てられていますが本丸と二の丸は四方が堀に囲まれており、

現在の西門にかかる橋が本丸と二の丸を繋ぐ唯一の連絡通路だった模様。

 

続いて大垣市郷土館

ここは外観もいい感じだったんだけど写真撮ってなかった…

在りし日の大垣城縮小模型

これでも全域ではなく、図面を見ると外堀Bの外側には更に外堀Cがあるんですよ。

縄張り全域は前回の町会所絵図を参照

 

所郁太郎

 

五榜の掲示第一札

 

法螺貝

 

大垣戸田氏の九曜紋入り

 

山車のミニチュア

軕(やま)と読むらしい。

西濃地方のまつりを中心に用いられている独自の呼び方だそうです。

 

弁当箱

こちらも大垣戸田氏の九曜紋入り

 

金紋入り箪笥

何故に島津の丸に十文字に薩摩牡丹が入ってるのか思ったら

島津家からの嫁入り道具だそうです(九代藩主・氏正の正室・親姫が島津重豪の娘)

 

こちら、かなり貴重なものですよ…

 

正眼院様御召

皺皮包御胴・御具足・御丸鉢

戸田左門一西公所用、上田城攻めの際に着用したと伝わる具足。

 

覚岸院様御召御具足

日根野頭形兜仏胴段替素懸威蛇目紋二枚胴具足

戸田氏鉄公所用、関ヶ原合戦・島原の乱で着用したと伝わる具足。

異様にデカイ総面が目を引く…

 

そして、左の胴丸をうっかりアップで撮り忘れていたという…

ここに展示されているという事はたぶん藩主所縁の品だよなぁ…

誰の物だったのか…

 

こちらは所用者不明ですが様式から家老クラス以上と思われる

 

椎実形八間筋兜伊予札紺糸素懸威二枚胴具足

 

六十二間筋兜伊予札紫糸素懸威二枚胴具足

 

戸田公顕彰室

 

藩祖 戸田一西

大垣入封前に亡くなっているので藩祖として数えられる。

一向一揆直後の吉田城攻略の頃から家康に仕えたとされています。

面白い話がひとつ。

関ヶ原合戦の際には一西は秀忠軍へ従軍します。

世紀の大遅参の原因とも言われる秀忠の上田城攻略だが、一西はただ一人これに反対していた。

戦後、激怒した家康は周囲の者は誰も諌めなかったのかと言い、

これに一西は自分が諌めたが受け入れられなかったと言う。

一西は大いに賞賛され、家康は今後は一西の言うことを用いられる様にしたいといい、

自らの采配を授け、一西は感激のあまり涙したというお話。

 

一西所縁の品の手拭掛(九曜紋入り)

 

初代 戸田氏鉄

戸田一西の長男。

慶長九年(1604年)一西死去によって家督を相続。

後に美濃国大垣十万石へ移封され、大垣戸田氏は明治まで続いて行きます。

寛永十四年(1637年)の島原の乱にも出陣。

主将・松平信綱の下、幕府軍で数少ない実戦経験者として副将格に抜擢され、戦功を上げている。

 

氏鉄所縁の広蓋(九曜紋入り)

 

二代 戸田氏信

 

氏信所縁の篭火鉢

 

三代 戸田氏西

 

氏西所縁の硯蓋(九曜紋入り)

 

四代 戸田氏定

 

氏定所縁の手箱(九曜紋入り)

 

五代 戸田氏長

氏長所縁の湯桶(九曜紋入り)

 

六代 戸田氏英

 

氏英所縁の膳(九曜紋入り)

 

七代 戸田氏教

 

氏教所縁の膳(九曜紋入り)

 

八代 戸田氏庸

氏庸所縁の香合(九曜紋入り)

 

九代 戸田氏正

 

氏正所用の陣笠(九曜紋入り)

 

十代 戸田氏彬

 

氏彬所縁の縁・縁頭・焔硝入れ(九曜紋入り)

縁頭?縁・頭 or 柄頭の間違いではw

 

十一代 戸田氏共

氏共所縁の白采配(九曜紋入り)

 

ここから武具

 

南北朝あたりの良さげなのがあるじゃありませんかと思ったら

備中国住家次の在銘刀。

家次は片山一文字派説と備中青江派説があるが

近年の研究では片山一文字派は備前国だった説が有力だそうで

この銘からも家次は青江派になるんじゃなかろうか。

そもそも「次」は青江派の通字ですし。

 

こちらは見るからに新しい現代作ですね。

一目で見てやっぱ鉄の色が違うんですよねぇ…

上:戸田公入城350年記念の奉納刀(刀匠 大野兼正氏、研ぎ師 村田英雄氏)

下:27代孫六兼元作の太刀

ともに美濃赤坂金生山の鉄鉱石で打たれた刀だそうです。

 

田付流火縄銃

 

九曜紋入りの火縄銃三挺と九曜紋入りの鉄砲袋

 

打刀、大身槍、薙刀

 

打刀三振

いずれも無銘で詳細不明。

たぶん上から応永期、末古刀、末古刀と見た。

一番下のは二尺六寸という長寸。いいねこれ。振る用に欲しいw

 

大身槍

二尺近くありそうな穂先。

やっぱ長いと見栄えするw

 

重要文化財 関ヶ原合戦図屏風(複製)

 

こちらも関ケ原合戦図屏風(複製)

長くて正面から入らんw

 

向かって右側

 

向かって左側

 

こちらも関ケ原合戦図屏風(複製)

通称 井伊家本

これはよく目にする有名な井伊家伝来資料のですね。

中央やや右に井伊の赤備えが居る。

 

関ケ原合戦絵図 上巻、下巻(複製)

これも長くて入らんw

二分割で

 

写本・おあむ物語絵巻(複製)

 

 

 

長いので四分割。

 

この辺りから照明がぁぁぁ…

大垣は朝鮮通信使の宿泊地になっていたそうで

ここから朝鮮通信使所縁の品々

太鼓

 

胡弓と笛

 

 

朝鮮服 帯先

 

小姓用軍配

 

朝鮮服袖

 

 

 

この先…

 

 

 

 

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  意

 

 

 

 

 

 

この先、ホラー

 

 

 

 

 

準備はよろしいか?

 

 

 

 

 

 

大将人形

生首www

こわッ!!

白いのがなんかもう嫌だわー…

 

大将人形 腕と手、大将人形の軍配

バラバラ〇体…

指先とか所々塗装剥がれてるのがなんか嫌だわー…

 

大将人形 帯先、綱

 

お島屋敷絵物語

 

 

長いので三分割

 

櫛 鏡

 

巨鹿城焼き

巨鹿城とは大垣城の別名

 

出土した瓦

左からから菊丸瓦、軒丸瓦(巴紋)、金箔鬼瓦

右の図は金箔鬼瓦復元図。以前は復元された鬼瓦も展示されていたとか。

 

上:小刀、正木流万力鎖

下:大日本道中行定見記

 

 

小柄、笄

照明と被った小柄…

 

関ケ原合戦図屏風(複製)

杭瀬川の戦い

以上、郷土館でした。

 

最後にもう一度城郭内へ。

二の丸からの天守と西門。

 

 

本丸内、天守真下から

 

じっくり見ていなかった東門側、艮隅櫓

 

 

考えてみたら内堀跡に立って撮影してるんですよねこれ。

 

ホテルへの帰路に外堀跡

 

なんとなくわかる遺構の看板

 

小休止を挟んで

再び、大垣城

夜な夜なやって来る不審者は今日も城郭へ潜伏いたす。

 

本丸内からの天守

 

二の丸から天守と西門

 

戸田氏鉄公騎馬像と天守と乾隅櫓

 

丁度、月が出てましてね。

 

月と乾隅櫓

 

月と天守

月がもう少し綺麗撮れればとおもうんだけどスマホカメラじゃこれが限界の様です。

 

最後に二の丸から正面を。

 

本日のカツ。

ひたすらに、ただカツのみよ。

 

これにて四日目終了。