先週に続きを上げる予定でしたが時間的に厳しく断念!!

 

本日、最終日。

窓から見納めの松江城天守。

さらば松江城。近いうちにまた来そうな気がする…

 

出立前の出雲空港。

松江市と出雲市の天気が全然違うことはよくある。

 

 

再び大阪上空

 

デカすぎるあべのハルカス

この角度ならば…

はい、見事に真田丸含む大坂城跡が入りましたよ。

 

ズーム

因みに安居神社は来る時の写真にもよく見ると映ってましたw

 

大阪城

 

天守

 

伊丹空港着

 

本日の昼食

不伝流、語り継がれる伝説その二「長篠で食った鰻」 のリベンジを今こそ果たす!!

 

 

…と言っても別に地元産でもなんでもない生産地謎の鰻なんだけどもw

 

 

 

一路、大阪城公園駅まで

 

 

大坂城の模型ではなく

これ、現在の大阪城の模型なんです。

ある意味珍しいぞ。

 

降りるとすでに城郭跡なわけですよ。

奇しくも先週から大河も大坂の陣へ突入し、何とも時宜にかないまくってる大阪城。

先には天守も見える。

鰻屋の店員のお姉さん曰く駅から城まで結構歩くとの事だったが

やはりそういう認識だったか

一般人の誤解、城=天守閣なんだよなぁ…

既にここは城なんですよ。

 

大阪城ホール前の現代石垣

 

こちらも現代石垣

強い日差しが。

予報も晴れだったので、荷物増えるし傘はいらんだろとキャリーバックにぶっ込んできて正解だったわ。

 

この辺りから三の丸と思われる。

 

東外堀

 

布積の打込石垣に隅石が切込石垣

噂通り完全に徳川時代のものですね。

 

ここで突然…

ザバァァァァァァァ~~~~~~!!!!!!

 

ゲリラ豪雨強襲!!

 

噓でしょ!?今の今まで晴れてたじゃん!!

見よ!この凄まじい雨量を!!

とても歩けるような状態ではなく、ここで完全に足止めに…

予報は晴れだったので、荷物増えるし傘はいらんだろとキャリーバックにぶっ込んできて大失敗だったわ!!

 

しばらく待ち、少し雨足が弱まったのを見計らって移動する

城郭の向こうは晴れてるんですよ。

大阪市中央区の現在の天気を調べるとどうやら城郭の上にだけ雨雲が居座ってやがる模様。

つまり大阪城だけ雨が降ってるわけですよ。なんじゃそれ!!

 

青屋門

 

この先、二の丸

…なんだけどまた雨足が

ドバァァァァァァァ~~~~~~!!!!!!

見ての通り天守の向こうは晴れている…

 

これは秀頼の涙雨か秀吉の怨念か…

徳川縁の我々を意地でも天守に入れぬつもりかッ!!

 

これ思い出すわー…

石田三成の陣跡へ登り始めて雨が降り出し

頂上へ着く頃には土砂降りに。

そして陣跡を降りると雨はピタリと止んだという…

 

こういう摩訶不思議現象が度々起こるんですよねぇ…我々の旅は。

 

しばらく門の下で待機し、

ようやく小雨に変わったので移動

元々そんなに時間が無かったのに更に時間が無くなってしまったわ

おのれ豊臣めッ!!

 

 

極楽橋

 

 

 

 

ここから見事な切込石垣が

 

最早芸術レベルで綺麗に加工されてます。

 

 

凄まじくデカイ加工石。

 

これは近現代の石ではなかろうか。

 

山里丸

そしてこれが…

秀頼・淀殿ら自刃の地碑

ここが最期に立て籠もり自刃した櫓跡と伝わる場所。

昔は淀君と呼ばれてるのを見たけど、最近では淀殿か茶々で統一されてますよね。

君は君主を指すので女性に使うのはおかしいという事で淀殿と呼ばれる様になったそうだが

実際のところ、女性に君を使うのは蔑称的な意味合いが強く、

幕府や当時の文人が貶めて呼ぶために使ったという説が有力なんだとか。

因みに実は本名は「茶」で」あり、呼びにくいので茶々なんだそうです。

昔の女性は名の前に「阿(お)」を付けて呼ばれることが多く

もしかすると茶々とも阿茶とも呼ばれていたかもしれない…

阿茶局(家康側室、神尾守世・守繁の母)

茶阿局(家康側室、松平忠輝の母)

うーん…紛らわしい…

 

そういや真田太平記でも淀君の表記でしたね。

既にほぼ半世紀前の作品ともなれば…

 

 

こういうスロープは要らんのですよ…階段を登りたい。

岡山城みたく半分は階段を残してもらいたい…

 

 

巨大な桝形跡

ちょっとした曲輪の様に突き出てまして出桝形ですねこれ。

 

 

 

大阪城天守

思わず声が出た「デカッ!!」とw

いや、デカイ…ホントデカイw

 

更に桝形

 

仕切門跡

これは崩れて三段しかないのではなく石がデカイので三段しか積んでいないのだ。

どうやらこちらは搦手側だったみたいですね。

そういうことか…

天守から搦手へ逃れて山里丸へ立て籠もったわけか。

 

真下から天守

でけーーーーーーーーーー

 

しかしなぁ…こちら側が通路に面してるというのに

エレベーターが景観を損ねまくっている。

設置するにしても反対側の目立たない場所に付けるとかできなかったんでしょうかねぇ…

 

天守台に小天守台(建物は築かれなかった)が併設されてるんだけど

この小天守台の向かって右側の突き出た箇所にエレベーター設置すれば良かったんじゃねと思わずにはいられんわ。

 

しかし、特に金色があまりにもピカピカし過ぎてて新品の城の様に見えてしまいましたね。

復興天守と言えど古めかしさは出してほしいところなんだよ。

因みに大阪城が復元天守ではない理由が

徳川時代の石垣に豊臣時代の外観を模している史実とは違う姿になっているから。

更に、あまり突っ込まれないけど大坂夏の陣図屏風によると豊臣時代は黒漆の外観なんですよね。

徳川時代は白漆喰の外観。 

徳川時代の大きな石垣に史実よりも規模の大きい豊臣デザインの天守が乗っているが

壁の色が徳川時代の白色になっているという物。

しかし、築城から90年経ち、この大阪城自体にも文化的価値が生まれているというね。

 

天守台と小天守台の登り口は現代の手がかなり入ってますねこれ。

隅石が巨石を中間に挟んだ変則的な算木積

 

号砲

大坂の陣のものではなく幕末期のものですね

 

いざ、天守攻めじゃぁぁぁぁぁぁぁ

次回は天守内へ。

続く。