今回より三日目。

いつも泊まってるホテルの裏通りにですね…

 

小泉八雲寄寓所址

この辺りが小泉八雲の旧居跡だそうです。

塩見縄手の武家屋敷が小泉八雲の旧居として大々的に宣伝されているが

実のところ僅か3、4ヶ月(だったけ?)しか住んでいなかったそうです

松江で暮らした約1年3ヵ月のうちの実はこちらの旧居跡での暮らしの方が長かったという真実。

戸田宗家と知り合いの地元名士さん情報なので確実ではないかと。

 

これが井戸跡

 

このレンガも結構な年季が入ってるので

もしかすると当時の物なのかも。

 

ここを進むと

 

宍道湖に出るわけですよ。

 

 

八雲はこの場所からいつも宍道湖を眺めていたとか。

しかし、ここのホテルに泊まるの四度目なんだけど

今の今まで気付かなかったとはなぁ…

 

それでは、本日も出雲市へ。

昨日とは逆方面なのですよ。

上塩築山古墳

住宅街の一角にありまして迷いそうだったのですが

不伝流名物、雷神様の人身捕獲術(道行く地元の人をとっ捕まえて色々聞き出す)

で難なく到着w

6世紀末の古墳で昨日の今市大念寺古墳に続く権力者の墓だそうです。

入口は低いが…

中は広く

石棺も昨日のに負けじとデカイ。

奥の天井は高く

三連巨石デカッ!!

 

石棺内

 

奥には石棺がもう一つ。

 

そして天井には…

コウモリが三羽…

今回はおとなしく貼り付いてましたw

いやぁ…前回の思い出しますわw

ウボァァァァァァァァァァァ!!

 

天井巨石その1

 

天井巨石その2

 

天井巨石その3

軽く1トン超えてそうなこの石を積み上げた石の上に3つも乗せてるんだから

謎すぎる古代人の技術よ…

 

続いて

上塩冶地蔵山古墳

7世紀前半の古墳で

今市大念寺古墳、上塩冶築山古墳に続く権力者の墓に位置づけられるそうです。

 

 

前室

 

奥室

壁が巨大な一枚石なのですが

奥室は狭く上手く撮れませんでした。

 

こちらは石棺の蓋石

周りが完全に住宅街でして

ここ人ん家の庭じゃないのってところにありましたw

 

続いて須佐神社

その名の通り、須佐之男命(スサノオ)の御魂を祀る古社

出雲地方の各地を開拓したスサノオが最後の開拓をしたのがこの地で

出雲国風土記の記述に

「この国は小さい国であるがよい処である。」
「自分の名は石木につけない、この土地につける」 とあり、

「須佐」と命名 されたそうです。

 

井戸跡?

 

 

 

隋神門

両サイドが社になってまして

祭神は豊磐間戸神と櫛磐間戸神

 

西末社

東末社

東西の祭神は

天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日命、市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命

 

須佐の七不思議

塩の井 (しおのい) 

相生の松 (あいおいのまつ) ·

神馬 (しんめ) 

 落ち葉の槇 (おちばのまき) 

影無桜 (かげなしさくら) 

星滑 (ほしなめら) 

雨壺 (あまつぼ)

…ですが、現在境内にあるのは塩ノ井のみだそうです。

 

塩井

唯一の七不思議

稲佐の浜に続いているとか

潜ってみる?w

 

神楽殿

 

 

拝殿

 

 

鬼瓦が展示されてまして

本殿の旧鬼瓦でしょうかね。

 

 

こちらが本殿。

本殿・拝殿ともに文久元年(1861年)建立の大社造。

 

入口が右側にあるのが大社造の特徴

出雲最強もしくは最怖パワースポットと呼ばれているそうで

「怖いくらいだ」という話も聞きまして

「須佐神社 怖い」なんてgoogleのサジェストまで出てくるんですが

畏怖の念的なものはそんなに感じなかったですね。

 

出雲大社本殿周りの方が余程すごかったですがねw

今でも思い出す伸し掛かるあの重み…

 

本殿裏には稲荷社

祭神は稲倉魂命

 

 

 

 

最奥には三穂社

祭神は三穂津比売命、事代主命

 

 

裏側からの本殿

 

本殿脇の御神木の大杉

推定樹齢1300年

幹の周囲6m、根の周囲9m、樹高約21mという巨木。

 

こちら側からの方が本殿がよく見える。

 

よくわかる大社造の足下。

古来は礎石も土台もなく柱がそのまま建てられたそうです。

そりゃ崩れますわな…

高さは出雲大社の半分ほどの約12m

以上、須佐神社でした。

 

続いて一路雲南市へ。

道中の三刀屋町にて「三刀屋城跡」という看板を偶然発見!

通りかかったので行ってみるかと急遽

道狭ッ!!

5ナンバー車が辛うじて1台通れる程度の広さ

ガードレール無しパイロンが立ってるだけ

見事な土塁だが、その下は…

谷底

やべぇぞこれ……

麓から駐車場までエスケープゾーン一切なし。

対向車来たら詰むでしょこれ…

 

駐車場からの眺め

 

そしてその下は谷底

道を踏み外したら人生も詰むなこれ…

 

向こうに曲輪跡らしきものが。

 

下に見えるのが通ってきた道

これ、最近の肥大化し続ける日本車じゃ通れないんじゃないの?

 

曲輪跡

 

こちらも土塁の跡の様に見える

 

山頂到着。本丸跡

尼子時代に月山富田城防衛のための尼子十旗と呼ばれる10の支城を築いているのですが、

この城もたぶんその一つじゃねと思ったらその通りでして

山陰と山陽を結ぶ街道沿いに位置する交通の要衝で

対・大内、対・毛利に備える重要な拠点だったと考えられる。

 

物見櫓台

中世城郭に何故か石垣が…と思ったら

これ、改修中の石垣跡だそうで堀尾氏によるものだそうです。

三刀屋城の改修を考えていたそうですが 一国一城令により廃城となったそうな。

松江城ではなく三刀屋城を本拠にしようとした説もあるとか。

平山城になるそうだが、これほぼ山城だよな…

 

土塁の跡

 

その先に曲輪。

二の丸でしょうかね。

 

奥には稲荷神社

 

本丸からの下界

丁度木々の合間に見えるのが麓の入口あたり。

標高135mだそうでこれはもう立派な山城じゃねと。

 

恐ろしい道を下山。

下の方は民家があるからなのかガードレールがあるんですよね…

上にも付けろよ…

そして、住宅街へ出た辺りで車一台とすれ違う…

あっぶねーーーーー!!あと下りてくるのが少し遅かったら……

 

以上、三刀屋城でした。

 

続いて須我神社。

「日本初之宮」「和歌発祥の地」の伝承を持つ古社。

 

日本初之宮の碑

ヤマタノオロチを退治した後、スサノオと妻のクシナダヒメが住む地を探し、

この地を訪れて「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、宮殿を建てたそうです。

これが日本初の宮殿という事で「日本初之宮」と呼ばれる由縁。

しかし直球過ぎるネーミングよなw

 

隋神門

 

 

左手前に見えるのが舞殿

 

和歌発祥の社の碑

宮殿建立時にスサノオが詠んだ歌

「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」

これが日本初の和歌ということで「和歌発祥の地」と呼ばれる由縁だそうです。

 

拝殿

 

後ろに本殿。

ここも大社造です。

祭神は須佐之男命(スサノオ)と稲田比売命(クシナダヒメ)と

二神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命

武御名方命も合祀されてるそうです。

おーう、タケミナカタ

この名を見ると反射的に警戒するw

 

拝殿の脇に虚空社

虚空蔵菩薩が祀られているそう。

末社に仏が祀られているという一風変わったものだが

お隣が寺院なのでそれが関係しているのかも

 

海潮神社

拝殿

後ろに本殿

天神神社、大石神社、山神神社が合祀されています。

 

荒神社

こちら祭神の記述がなく不明

 

若宮神社

稲荷神社、木山神社、火守神社、秋田神社、琴平神社を合祀。

 

御仮殿

御仮殿とは本殿を修理の際に御神体を一時的に遷す為の御殿である。

 

この先

御祖神社(祭神:足名槌之命、手名槌之命)
社日神社(祭神:天照大神)
義綱神社(祭神:菅義綱命)

更にはスサノオ・クシナダヒメの夫婦岩もあるそうだが

しかし…

うーん…先が見えん…

これはかなり登りそうという事で断念。

登ってる間に置いてかれたらさすがに笑えんわw

たぶんあれは頂上ではないでしょう。その先の木々を更に登っていくと見た。

家帰って調べたら250m先だそうですw結構だな。

ここの社務所にいるおっちゃんがもの凄いノリの良い人で

初対面なのに雷神様との素晴らしいコンビネーションを見せてくれましたw

漫才できますよこれはw

 

本日の昼食

須賀神社着前に昼食を済ませる予定が道中に食べ物屋が見つからずそのまま到着してしまったのですが

昼飯難民になりかけていたところを社務所のおっちゃんが教えてくれました。

 

次回は神巡り松江編。

 

 

だが、その前に

いよいよ2023年秋の旅行が差し迫ってきました。

今回は2019年の東海道から東山道の旅路から更に進んで北陸道まで。

続きは帰還後ですな。