つい最近ざくりとやっちまったヤツが言えた義理ではないがw
どうやら市内何処かの体育館にて某拝金主義流派の阿呆戯けが盛大に事故ったそうな。
どうせまた軽く指切って床が滑った所為で怪我したとか
体育館側へキレ散らかしたんじゃないでしょうかね。
それ全部てめぇのミスだよ。
旧体育館の時にもこんな事がありましてねぇ…
野郎どもの所為で何の落ち度もないウチにも飛び火して大変でした。
今回も肩身の狭い思いをしております。はい。
怪我したら自己責任。
重症を負おうが全て自己責任。
その覚悟がないヤツに
日本刀を振る資格なし。
武道家として失格。
汚れた拝金主義に感化されて性根まで腐ってんのかっての。
以上ッ!!
はい、それでは続きと行きましょうか。
一夜明けて本日遂に最終日。
初日の同じホテルに宿泊してたのですが
まずは本日の朝食
ホテルに併設の食堂で、初日は安かろう悪かろうの先入観でスルーしたわけですが…
普通に美味いじゃないかッ!!
しかも安い!天ぷらトッピングしても安い!!
夕食難民になりかけてた初日…最初からここへ入って入れば良かったというね…
で、その初日の夕食のクソ高い蕎麦よ。
これの倍以上の値段であのザマだよ。
スーパーの麵つゆと同じ味がするアレ。
あーーー…思い出したら腹立ってきたわw
個人的に今回の旅行で一番美味いと思ったのが
松代の食べた蕎麦。
そして二番目がこの蕎麦でした。
いや、ホント値段じゃないということがよくわかりました。
本日は松本市から諏訪市まで
道中の諏訪湖
諏訪湖と言えば…
諏訪の浮城こと諏訪高島城
築城者は日根野高吉、現在の近世城郭の姿へ改修したのは諏訪忠粛。
前回の小諸城と同じく、
文禄元年(1592年)から慶長3年(1598年)という慶長の築城ラッシュの頃の改修。
天明6年(1786年)に石垣が補修されているそうで、
完全な切込接で積まれています。
そこの入り口から天守の真下へショートカットできるそうですが
順路で行きますw
堀跡の様な地形だが
当時の絵図では堀になっているもの、陸地になっているもの
湖畔になっているもの、湖に面しているもの等があり、何が正しいのか不明。
現在は埋め立てられているがこの場所は諏訪湖だった可能性もあるわけだ。
内堀
因みに今歩いているのは二の丸跡に相当。
ほぼ、何も残ってませんがねw
おお、順路で正解でしたw
復興天守ですが、明治期の写真を基に再建されており
当時から窓の大きさと位置が異なり、屋根は檜皮葺だったものが銅板に変わっています。
冠木橋
左手に角櫓
こちらの櫓も天守とともに再建されたそうです。
右手に天守
冠木門の石垣
最早芸術レベルで綺麗に加工された布積の切込石垣ですが
個人的にはやはり野面の方が好きなんだよなぁ…
冠木門
外からは木が覆い被さってよく見えなかったのですがw
内側からは綺麗に見える。
実はこれ、桜の木だそうです。
シーズン中は素晴らしいものが見えるとか。
高島城 浮城
諏訪湖の湖畔に建ち、城の周囲は湿地帯だったため
水面に城が浮いている様に見えたそうで、それが浮城と呼ばれた由来なんだとか。
二の丸、三の丸は住宅地となっており
残っているのは本丸のみ。
本丸をグルリと見渡す
こんな感じで現在は高島公園として整備されています。
心字池
冠木門の石垣の上へ。
左右両側が武者溜りになっています。
櫓門は中に入れませぬ。
到る所にある多聞跡
角櫓跡
こちらも入れませんが中は茶室になっているそうです。
ここにも多門跡
富士見櫓跡
その名の通り富士山が見えるそうですが…
木が…
反対側からの本丸全容
丁度、木と天守が被ってましてね…
心字池
こちらから見ると日本庭園風になっていることがよくわかる
お…?あれは…
アオサギさんじゃありませんか
あああ、行ってしまった…
諏訪護国神社
西多門跡
三之丸御殿裏門
三の丸にあったものが移築されたそうですが
元々は水門があったそうで、舟で諏訪湖へ出られたそうです。
やはり湖に面していた説が有力か。
折角なので出てみるw
埋め立てられているが、実はここも諏訪湖だったのかもしれない。
心字池
中央に居る鷺は置物ですよw
心字池は藤の花が有名だそうですが既に散ってしまった後でした。
小天守跡
石垣の奥行が狭く、大部分が崩れてしまったんじゃないかなぁ…
小諸城同様に独立曲輪の様な構造になってまして
松代城や上田城もこの構造に近く
信州の城は天守=象徴というよりも
有事の司令塔としての役割に重きを置きていたんでしょうね。
上からの天守台。
そして高島城天守。
次回は天守内部へ。
続く。








































































