最初に近況報告。

 

今宵の一文字は血に飢えている…

 

いやぁ…

遂に…

遂にですよ…

遂にやっちまいましたわ。

今の刀に持ち替えて11ヶ月…

更に長くなった刀身の取り回しにも慣れてきた頃…

 

ぐさり

 

2016年11月以来、人生二度目の痛恨のミス!!

血がドバドバドバァァァァァ

やべぇ血が止まらん!!

漫画かよってくらいの勢いでドバドバァァァ

これだけ血を流したのも人生初w

全血液の1/10くらい消費したんじゃないかってくらいの勢いでドバドバァァァと血が出まくりました。

そんなに深い傷でもなく痛みもそんなでもなかったのですが

切った箇所が悪かった。太い血管を傷つけて血がドバドバァァァっと。

 

鮮血に染まりし片山一文字

これは自身への戒めとして残しておきます(色々とやべぇのでモザイク処理を施してますw)

 

慣れてきた頃が一番恐ろしいものでして

調子に乗って間髪入れずに高速納刀とかやるわけでして

本当、魔が差したとしか言いようがないくらいほんの一瞬の油断。

自分でも何故こんな事が起こったのか理解に苦しんでいるのですがw

納刀時の左手の所作が早かったんでしょうね。切っ先が鯉口に収まらず外れてそのままぶすりと。

そこから勢い余ってざくりと被害を広げ…

 

これは「弘法にも筆の誤り」である

という事を言っておこう!!

 

 

 

では、信濃乃旅路の続きと行きましょうか。

今回は長野市から千曲市へ。

目的地は山頂に鎮座しているあれだ!

まあ、送迎バスで山頂まで送ってくれるんですがねw

 

史跡 森将軍塚古墳

県内最大規模、全長約100メートルの前方後円墳!

時代は4世紀末、古墳時代前期。

科野(しなの)の国を治めていた王の墳領の復元です。

なるほど科野が信濃へと改められたわけか。

 

森将軍塚古墳のほか、周辺には有明山将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、土口将軍塚古墳

この4基を合わせて埴科古墳群というそうです。

この図の通り、上記4基以外にも13基の円墳、

小形埋葬施設が64基見つかっているとか。

現在まで残っている古墳は墳丘や石室は残っていても

長い年月を経て例外なく草木が生い茂り自然に帰っているので

復元といえど当時の様式を現在に伝える貴重な建立時の姿。

 

 

これをよくぞ復元したなと感心しながら歩いてました。

 

 

 

 

 

前方部

復元ですが埴輪もしっかり再現されています。

 

このくらいの高さならば大丈夫w

 

同上w

 

全長約100メートルでこれだけのデカさと迫力である。

かの大仙陵古墳は墳丘だけで500メートル超えという、ここの5倍以上の面積。

工事にどれだけの人員が投入されたのか。

まさしく王のエゴw

 

 

 

 

 

 

 

後円部

 

 

 

ここから街が一望できるわけですよ。

 

死後も俺が国を見守ってやるわぁ~というまさしく王のエゴw

 

当時の図

 

日本アルプスも目視できます。

 

 

 

 

こちらのブロックで囲った箇所が竪穴式石室の位置。

石室を踏み均す又五郎氏w

 

 

一段降りて中段部

3号墳跡

見つかった13基の円墳のひとつで6世紀後半の古墳。

この辺りから日本最初期の大甕が出土されています(後述)

この時代になると周辺(善光寺平)では無駄にデカイ墳丘は造られなくなり、

政治の中心が伊那谷へと移っていったからなのではと考えられいるそうです。

無駄にデカイ墳丘は権力者だけに許された特権なのだ。

 

 

 

 

 

下段部へ。

 

こちら墳丘の裏側。

下の方まで道が続いてまして麓へ抜けられるんじゃないかなと。

 

 

 

 

最後に下段前方部から

規模も再現度も見事でした。

鉄筋コンクリートの復元城はガッカリするけど

こういう復元は全然アリですな。

 

こちらも歩いて登ってくる人用の道ではなかろうか。

歩いて往復40分くらいだそうです。

ということは20分で往復できるな…

自力で往復する自信はあるが送迎バスの足には敵いませぬw

 

 

下界へ戻りまして。

 

ここから森将軍塚古墳館

 

展示室へ入りいきなり目に飛び込んでくるのがこれ

フロアのド真ん中に竪穴式石室と石積の再現模型。

森将軍塚古墳の後円部の発掘調査や資料を元に再現されているそうです。

中心の石室は長さ7.6メートル、幅2メートル、高さ2.3メートルという

日本最大級の規模で石棺ではなく木棺が収められていたそうです。

墳頂から木棺までの深さは3.5メートルもあったそうです。

 

 

ここから発掘&復元コーナー

 

鉄剣も展示されていますが、損傷が激しい様で補強されています。

森将軍塚古墳は江戸時代に盗掘に遭っているそうで

ほとんどのお宝が掠め取られてしまったとか。

これらの発掘物は盗掘を免れた品々で、

大和朝廷と地方の王が政治的関係を結んでいた証拠だそうですよ。

 

森将軍塚古墳建造時の模型。

 

上空から見ると地形に沿う様に折れ曲がった形状だそうで

科野の国のどこからでも見上げることが出来るようになっているらしい。

なるほど。まさしく王のエゴw

 

森将軍塚古墳からの出土品

よく見ると修復跡があり、発掘時にはバラバラになっていたのでしょう。

なんとか形状を保っている鉄剣。前方部の副葬品だそうです。

 

こちらは埴輪棺だそうです。

さすがに遺体は入らんので骨を収めてたのでしょうかね。

この時代から既に火葬文化があったということか。

 

 

 

64基の石棺からの出土品

 

 

 

こちらが3号墳付近から出土された大甕。

直系1メートル高さ1.2メートル。

分析の結果、大阪の堺市付近で作られたものだそうで

こんな巨大なものが遠い科野の地にまで運ばれていたという事ですよ。

 

当時の鎧の復元。

クルクル回る台座だったので撮るのが大変だったw

 

鉄剣と鉾

 

有明山将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、土口将軍塚古墳からの出土品

 

 

13基の小古墳群からの出土品

 

 

馬具と帯金具なんてものまで

この時代には既に馬が使われていた事の証拠。

そして帯金具とはベルトのバックルです。

この後の時代、帯が主流になっていくが…退化してんじゃねと。

 

周辺の遺跡からの出土品。

弥生~古墳時代のいかけての物だそうです。

 

 

 

 

 

 

骨器なんてものまで。

 

土器棺だそうです。

この中に骨を収めていたんだとか。

やはり火葬文化があったということか。

 

 

 

 

最後に石室を反対側から

なるほど。一階の吹き抜けフロアだったわけか。

下から見ると何もわからんかったけどw

 

以上、森将軍古墳でした。

 

続く。

次回は刀じゃーーーーー