復元機能仕事せぇやコルァァァ

謎のブラウザ暴走で全部ふっ飛ばされまさか復元できないとは思いもしなかった前回…

万が一があるのでこまめに下書きする様にしてはいたんですがね…

よりによって下書きするの忘れてた時に限ってこういう事が起こるわけだよ。

 

以前は復元機能が無かったんですがそれはもう…

固まって再起不能で泣く泣く更新して全部ふっ飛ぶ

画像アップロード失敗こきやがって全部ふっ飛ぶ

投稿ボタン押したところでエラー出て全部ふっ飛ぶ

脳裏にこの忌まわしき記憶が蘇るのであった…

こういう恐ろしい事が起こるので以前はメモ帳にコピー取ってましたからね。

 

万が一が起こってしまったわけでして

これで復元機能は信用できないという事よくわかったぞ。

こまめな下書き保存を忘れないように肝に銘じておこう…
 
 

では、続き。

今回から上田市。

上田市と言えば真田一色もとい幸村一色。

どこを見えても赤と六文銭と幸村だらけなわけですよ。

因みにこちら上田駅前の真田幸村公像。

 

中国風獅子の像

上田市は中国の寧波市と友好交流都市なんだそうです。

 

駅まで六文銭であるw

これ、ものすごいセンス良くてですね。

六連ライトの縁を取って六文銭に仕立ててるわけですよ。

 

本日の夕食

撮るの忘れて2、3切れ食っちまった後だけどw

 

駅のショーウインドウには上田城甲冑隊

ん…?

なんか違和感と思ったら鹿角脇立ではなく少し小さい天衝脇立になってます。

これぞ井伊と真田が超合体したスーパーハイブリッドレッドアーマー

 

夜の上田駅

ご覧の通り六連ライト並んでおりまして

一ヶ所だけ赤丸の縁で六文銭に見立ててるんですよ。

すげぇセンスいいわー

 

ホテルの窓から

駅前が一望できる部屋でした。

 

 

一夜明けまして四日目。

本日は当然ここ。

上田城!!

しかし、予報見て覚悟してたけどさ…

…雨です。

雨の西櫓

 

雨の南櫓

 

現在は広場になっていますが

ここには尼ヶ淵と呼ばれる千曲川の支流が流れていたそうです。

つまりは千曲川支流の河岸段丘の上に築かれた城。

これぞ甲州築城術。

築城者は真田昌幸。

昌幸もまた甲州築城術から大きな影響を受けている。

 

石垣

切込石垣なので江戸以降のもの。

真田時代は河岸段丘をそのまま利用していたのでここに石垣は積んでいなかったと思われる。

京極家の改修によるものでしょう。

一部崩落したため、モルタルで修復しているそうです。

 

 

 

ここから石垣が崩落したのかは不明だが天然の段丘に。

真田時代の上田城の絵図は江戸時代に描かれたもので

築城当時の絵図が存在せずよくわかっていないんだとか。

たぶんこの辺り一帯が真田時代の遺構なのでは?と。

第一次上田城合戦時は中世城郭で

第二次上田城合戦時は近世城郭だったという説もあるみたいですが

 

こちらは空堀。

排水口の跡が残っているそうでして、かつては水が入っていたのか入れる予定があったのか。

昭和初期にはこの堀に上田丸子電鉄という鉄道が走ってたそうですよ。

 

 

二の丸橋

見るからに頑丈はコンクリート製の橋だが、鉄道に架かる橋の名残なんでしょうな。

 

橋の上から空堀

 

二の丸橋の石垣。

前面が打込で背面に切込なので江戸後期に補強拡張工事を行ったのでは。

 

ここから二の丸。

左手に見えるのが旧大河ドラマ館で現在は閉鎖。

近々、取り壊しの予定だそうでして、ある意味で見納めとも言える。

まあ、中入れんのだけどねw

 

南櫓と東虎口櫓門

なんか門の前に赤い人が見えますねw

 

真田三代の郷 上田城

左から昌幸、幸村、幸隆

まあ、幸隆おじいちゃんは上田城とはほぼ無関係なんだがねw

 

こちらは尼ヶ淵側。

だが、下は見えなかったw

 

こちらが反対側の内堀

 

東虎口櫓門と北櫓

赤い人は上田おもてなし武将隊の真田幸村殿だった様です。

 

ここから本丸。

いきなり真田神社の境内だったり。

 

門前の信州上田おもてなし武将隊の皆さん。

丁度これから撮影だそうです。

真田幸村と真田十勇士だそうなんですが…

昌幸もいなければ信之もいない矢沢親子に小山田義兄もいない…

そもそも幸村が活躍するのも十勇士の講談も大坂の陣なわけでして

上田城でそれはなんか違くね?と思ってしまうんだよなぁ…

まぁ、上田市自体が幸村と十勇士を激推ししてるのですがね。

 

余談ですが打刀拵を上下逆さに帯刀してる御仁が居りましてね…

思いっきりツッコミたかったが声を押し殺しましたw

 

 

 

 

拝殿

祭神は真田氏、京極氏、松平氏の歴代藩主。

二度に渡る合戦で「落ちなかった」ことに肖って受験祈願も多いそうですw

 

幸村像建立のクラファンですかね。

 

あれ?

建ってるでねーかw

因みにこちらの像の製作者は大坂の安居天満宮の真田幸村公像と同じ播磨公次氏。

 

 

こちらが本殿

拝殿の裏にはひっそりと本殿が建てられている事が多い!

 

真田井戸

 

 

太郎山麓の砦や藩主居館跡にも通じていたという伝説。

 

伊勢神宮内宮遙拝所

256キロ先の伊勢神宮をここから参拝できますよというものらしい。

伊勢神宮はクソ明治政府のアホ政策によって

グチャグチャにされた事実を知ってから急速に興味が薄れていった…

 

こちらが城内数少ない現存建造物。

西櫓

真田ではなく京極時代のものではありますが江戸時代初期の貴重な建造物です。

北櫓、南櫓、西櫓が現存していますが、

この西櫓のみ唯一江戸時代から移築解体されていない櫓です。

 

西櫓からの尼ヶ淵。

おそらく駐車場までが川だったんじゃないでしょうかね。

 

本丸の北側半分は広場になってます。

土塁がその名残なのか四方が石垣で囲まれており

本丸が桝形になっていたそうです。

 

右手に見えるのが西虎口。

向こう側は後ほど。

 

土塁の上からの南櫓

 

 

こちらが北西隅櫓跡

 

現在は西櫓、南櫓、北櫓の3つですが、江戸時代の本丸には7つの櫓があったそうです。

 

こちらが内堀

 

城内には必ず立っている石碑たちw

 

 

 

 

北東隅櫓跡

看板だけ撮って跡地がほとんど入っていなかったw

 

現在の上田城は京極氏の改修後の姿で天守はありません。

第一次上田合戦時の記録にも天守は無いという記述があるそうです。

しかし、第一次合戦時の上田城は未完成とされており、

寛永期に作成された絵図には「御天守跡」の記述があるそうです。

同時代の天守に用いたと思わしき金箔瓦等が発掘されており

昌幸時代には三層四階建ての天守が存在した可能性があるそうです。

第一次合戦~第二次合戦後の破壊されるまでの資料が一切残されておらず確実性は無いそうですが。

 

では、南側へ戻りましょうか。

 

北櫓と東虎口櫓門

 

北櫓

 

南櫓

そして南櫓の全体を撮るのを忘れていたぁぁぁぁぁぁぁぁ

北櫓と南櫓は明治の廃城令によって民間に払い下げられ、別の場所へ移築されたそうですが

昭和24年に現在のこの場所へ移築復元されたそうです。

 

南櫓内部

 

真田幸村の所用と伝わる具足の復元。

 

 

狭間からの尼ヶ淵

 

そしてこちらが…

真田信之正室の小松殿が乗っていたという駕籠。

最期の草津温泉に向かった際もこれに乗っていたとされ、

この駕籠に遺骸を乗せて上田城まで運ばれたそうです。

 

ここに実際に小松殿が座っていたのか!!

いやぁ…これは凄いもの見せていただきました。

 

そしてスタッフさんのご厚意で

持ち上げさせていただきました。

結構軽い。

 

六文銭と結雁金の瓦

年季が入っている様には見えないので

おそらく復元時の物かと思います。

 

 

二階へ

 

窓から尼ヶ淵

 

窓から空堀

 

江戸時代の上田城模型

 

 

天正期の上田城絵図

 

元和期の上田城絵図

 

元禄十五年の上田城絵図

 

明治初年の写真

 

昭和初年の写真

 

払い下げ移築後の連結された北櫓と南櫓の写真

遊郭へと売却され金秋楼と万豊楼と呼ばれたそうです。

 

昭和19年の移築復元時

 

昭和37年の写真

 

真田氏関係略年表

 

 

 

後に続く仙谷氏と松平氏は完全に蚊帳の外なのであったw

 

続く