こんばんは、なおです。


ふつーに生まれた私が
どうやって今まで生きてきたのか?について
綴っています。。。


前回はここ

【わたしの世界観31】




父は癌だった。

おまけにだいぶ前から糖尿病、
そして肝硬変。

若い時には結核だったと聞いた。


病院のベットの上でギターを弾く
若かりし頃の父の
白黒写真を見たことがあるので
その話は本当なのだろう。



小さい頃、父と一緒にお風呂に入った時
肩甲骨から腰までの大きな傷があった。

そのことを聞くたびに
父は”モルモット”という言葉を返した。

”モルモット”が何かはわからなかったけど、
ブラックジャックの手術みたいなもので、
とにかく大きな手術、

痛かったんだろうなと
幼い私は感じていた。


病気のオンパレード、
若い時から病院通いしていた父。


そんな父は、
自分の死期すら分かっていたのかもしれない。


体力も徐々に落ちていたはずだけど、
会社に行くように
毎日近所のパチンコ屋に通った。


昔からの常連さんたちと、
毎日顔を合わせ、話すこと
パチンコが目的ではなく
そっちの方が目的だったんじゃないかなと
今になって思う。



毎日パチンコ屋に行った。
毎日お酒を飲んだ。
毎日タバコを吸った。

好きな野球を観て、
ゴルフを見て
相撲を観た。


毎週、週末に私の仕事の時に
置いていかれる私の娘、
父にとっては初孫を

毎週末にはいろんな公園に
連れていってくれた。

定年退職してから約2年。
そんな毎日を過ごした父。


ある年のゴールデンウィークの
とても天気が良かった日。


洗濯や部屋の掃除が終わり
一息ついていた
娘と2人のアパートに

父と母がやってきた。

天気がいいから一緒に出かけようと言う。

特に予定もなかったから、
父の運転する車に
娘とともに乗り込んだ。


「チューリップ祭りを見に行こう」と
父は初孫に語りかける。


小さい頃から
乗っていた父の運転する車。

私は10分もすれば必ず眠くなってしまった車。

その時、私に睡魔は訪れなかった。


私自身が運転ができるようになり、
毎日自分で運転している・・・
というのもあったのかもしれないけど、

違う・・・・

父の運転力が明らかに落ちているのだ。

何もないのに急ブレーキで止まる。

信号が赤なのは見えているはずなのに
スピードが落ちない。

かと思えば、法定速度よりも
スピードが出てない・・・・


こんなことは今までなかった。

幼い頃、車で寝ていて
体が四方八方に行くことなんて
山道を走っている時だって
こんなにはなかったから。


父は明らかに運転する能力すら落ちている。


この時、初めて父の身体は
大丈夫じゃないよなって思った。


チューリップはキレイだった。

だけど、たぶん滞在した時間は
30分もなかったと思う。



父の目的はきっと


娘である私と、
孫と
母と

「お出かけした」という思い出作り。


帰りに途中で手打ちそばを食べた。

ものすごくコシがあって
ものすごく食べづらい蕎麦だった。

ご飯を食べるたびに
入れ歯がどうの・・・と文句を言う父が

このコシがありまくりの蕎麦を
文句も言わずに孫の残した分まで食べた。


幼い頃から、ラーメン屋や蕎麦屋にばかり
連れていかれていた私にはわかるけど

ここまで硬い蕎麦なかったよ・・・




きっとお父さん、

私が小さかった頃に
この蕎麦屋さんに来ていたなら

まずいと言って残したでしょう?



よく晴れた暑いくらいの1日でした。

父の中で、この時のことが
どんな日だったのかな・・・・


今ではもう聞くことはできない。
私の想像でしかない父のこと。


次へ続く