こんばんは、なおです。


ふつーに生まれた私が
どうやって今まで生きてきたのか?について
綴っています。。。


前回はここ

【わたしの世界観25】




前回、平成初期の
20歳の夫婦のお金事情について

少しだけ触れたので、

当時の「お金」について書いていこうと思う。


時間は少し戻って、
(クドカンドラマの”巻き戻し”をイメージ笑)

出産前。。。

毎日毎日、テレビからは
オ◯ム真◯教のあの事件のニュース。

当時はネットも何もなかったんで
(知らなかったが正しい)

私の情報源は
ラジオと地域の情報誌や市政だよりでした。


その中に「マタニティ教室」があった。


人付き合いは積極的じゃないけど

毎日テレビがお友達・・・
しかもヤベェ事件のニュースまみれ
胎教にだってあんま良くないに決まってるよなぁ

なんて思ってたから


軽くお友達でもできたらいいな、
くらいの感覚で

参加してみた。

これもあんまり覚えちゃいないけど、
たぶん、数十人いたんだと思う。


その中で、予定日が近い2人と少し仲良くなった。

そのマタニティ教室が終了したあと、
近くのファミレスで
お茶でも・・・って話に。。。。


「はいはーい!行きまーす!」って
喉まで出かかる言葉を飲み込んだ私。


なぜか?



その時私の脳内では、
コンピューターが数字を弾き出すスピードよりも早く

今日のお財布の中身を
脳内再生していたから。


今日はたまごを買うための
200円のみがお財布に入っている。

家に戻ったとて
家の中には貯金箱すらない。


なぜなら当時の結婚相手の給料日は明日。

私はニャンコの火葬で休みますと
バイト先に言ったらクビになったばかり。

もちろんそれまで働いた分の給料は
もらえなかった。

(ネコごときで急に休んだ損害を
会社は被ったのだからと言われ、
そういうものなのかと若い私は納得してしまっていた)



そんなお財布事情で、
本当のことを言い出せず

「ごめんね、今日はこの後予定があってダメだけど
また今度誘って欲しい」


そんなセリフを吐いた。


『お金がない』そのことは
それまでもどうにかなってきたんだけど、


この時、思ったんだ。

『お金がない』ことって
チャンスすら逃すし

人間関係を結ぶスタート地点にすら立てないんだって。


”今度また”はなかった。
社交辞令は言葉として”ただあるだけ”の言葉。


そんな『お金がない』状態。
脱出したい。そう切に願った。


でもその後・・・・・・・・



私は出産、子育て、
保育園が見つからず数ヶ月。



そして里帰りでいない隙に
毎日パチンコをし、
個人売買で現金一括で車を買い

自分の通帳のキャッシュカードのように
消費者金融のATMからお金を借りてくる

最低最悪な元結婚相手。


毎日『お金』の問題はつきまとった。



出産して里帰りから戻ったばかりの頃、

元結婚相手のおかあさんがうちに来て
「電気代が払えない、少しお金ないか?」って

私に聞いた時、

これ、ずっとこのまま年老いていくまで
一緒にいたらやばいんじゃないかなって

危機感を覚えた。



私の髪は産後ってこともあって
尋常じゃないくらい抜けた。

部屋を掃除するとカツラが作れそうなくらい
山盛りの髪があった。


産後だからじゃない!!!って気づいたのは
紙を洗っていたときに
なんかツルツルしてる部分が何箇所かあったから。


鏡を見るとパックリと地肌が見えてる箇所が
数カ所あった・・・・・


毛根すら見当たらなくて
びっくりして翌日、食費を握りしめ

まだ首も据わらない娘を抱いて
急いで皮膚科へ行った。


『お金がない』
それは健康も損なうことだって知った。


その後、約5年
働いても働いてもお金がない生活が続いた。

次回へ続く