こんばんは、なおです。


ふつーに生まれた私が
どうやって今まで生きてきたのか?について
綴っています。。。


前回はここ

【わたしの世界観24】




20歳、第一子となる娘を出産した。

順調に5日後退院し、
そのまま母の言う通りに
21日間実家で過ごす。

多少の背徳感。。。
まだまだ言いなりになってしまう自分がいた。


その21日の間、
はじめての出産後で体力も気力も弱ってたのか、

それとも生まれたての
ふにゃふにゃした生き物に
翻弄されていたのか、

母に対するいやな気持ちは

たった一度だけ。

それは、沐浴させようとしていたら
「どうせできないくせに」

そう言われた言葉が、
30年近く経つ今でも、

言葉だけ鮮明に
今だに覚えている。


でも大きな憤りはその時はなかったんだと思う。

睡眠不足の脳と体には
いやなことはシャットダウンする機能があったに違いない。


そんな「はじめて」の子育てを
家を出ていった娘のために
サポートしてくれたことは

のちに『感謝』に変わる。

当時は何も考えられない状態だったけど、
退院後
そのまま自宅へ行ったなら

きっともっともっと
体力も気力も落ちていたはずだから。


21日後、父が用意した
チャイルドシートを車に乗せて

大荷物を抱え、運転して自宅へ戻った。

車を車庫に入れようとしたら、
隣に見慣れないスカイライン。


娘を抱っこし、荷物を運ぶために
何度も車と玄関を往復する。


やっと運び終えて家の中に入ると
タバコの煙が部屋の中に充満し

真っ白なスモークを焚いたような状態だった。


そこには数名の同級生がいて
元結婚相手と麻雀していたのだった。


のちによくよく話を聞くと
車は消費者金融から借りて

個人売買で一括でウン十万円払ったと・・・・


あぁぁぁぁ・・・・・
最低だな、コイツ・・・・・


消費者金融はオマエの財布じゃねーんだよ!

どんだけ働いたら
返し終わるのか、
考えてなさすぎて


もうどうしようもできない後の祭りだし、
第一子の娘はニャーニャー泣くし、

私のおっぱいは痛くて痛くて
乳腺炎になっていたし。。。。


最悪の自宅帰還。



この時のタバコのスモーク加減が
原因かはわからないが

この第一子の娘は
小学校上がるまで気管支喘息で
何度も何度も病院へ駆け込む事になる。


最低な男を見極めきれていない
20歳の私。


怒涛の
子育てのスタートだ。

次回へ続く