こんばんは、なおです。


ふつーに生まれた私が
どうやって今まで生きてきたのか?について
綴っています。。。


前回はここ

【わたしの世界観22】



18歳で入籍し、仕事をし
まだ成人ではないのに
大人と同等に扱われる、

しかし、肝心な手続きだったり
重要なことは「未成年」だからと言われる。


18歳から20歳までの間って
矛盾だらけだって
身を持ってわかったこの時期。


それでも自分で働いて
自分のお金で生活していく。

そんな普通のことが
とんでもなく嬉しくて楽しかった。

この時期、ネコを飼い始めた。

真っ白なニャンコ。

仕事が終わって家に帰ると
ダッシュで玄関に迎えにきてくれる。

足に擦り寄ってご飯の催促。

このニャンコがとてもとても心の拠り所になった。


とある日には玄関に迎えに来ないと思ったら、
部屋を開けた瞬間に

白い雲があちこちにあるような光景が広がっていた。


ティッシュをこれでもかってくらいに
ビリビリにした雲の空間。

ニャンコのクリエイティブさよ、
尊い・・・・


などと、私が言うはずもなく(笑)

一応、「こりゃー!!!」っと怒ってみる。

そう、ニャンコは怒られるのを
経験上知っていたから、

いつもの玄関ダッシュがなかったわけだ。

こんな小さな頭で学習するという機能を
きちんと持ち合わせている。


賢くて、甘えん坊で、ちょっと臆病な
そんな真っ白なネコだった。



この白いニャンコとの生活は
ある日、突然にピリオドを打つ。


それは、私が20歳の頃。

私のお腹の中にはまた一つの命が始まっていた。

「もう殺人に協力はできない」
そう私の両親は言った。


当たり前だ、私は20歳になった。
もう自分の判断でどうにだってできるのだから。

そう毒づいていた私。。。。

何がなんでも次の命は守ってみせると
ダイヤモンドよりも固い意思で思っていた頃。


そんな時に、
真っ白なニャンコが


家の前の道路で
命を絶った・・・・・・


普段、臆病で外にはでないニャンコだった。


お腹の中に命が生まれてから、
ニャンコは私のお腹に乗らなくなった。


臆病で甘えん坊で賢いニャンコ。

あれは事故じゃないって
今でも思ってる。


一瞬でも私は

「子供が生まれたらニャンコにイタズラされないように
ベビーベットが必要かな・・・・」

なんて思っていたのだから・・・・


賢くて
人間よりも感覚の鋭いニャンコは
その後の未来も感じていたのかもしれない。


泣いた。
そう感じさせてしまったかもしれない。
私のせいかもしれない。

そう思ったのと、
ニャンコの誰も知らない思いを想像して泣いた。


亡骸を温かい毛布で包んで
ペット用の火葬場へ行った。


小さな白い箱に入れられたニャンコは
車にはねられたのに
キレイで眠っているようだった。


大人になりきれていない私を
ずっとずっと約2年間そばで見てくれたニャンコ。


親であり、姉妹であり、子供だった
ニャンコが

私の「これから」を応援してくれてるって
勝手な想像だけど
勝手に思わせてもらうことにした。


はじめての身近な
この世ではもう会えない別れ。

もうあのフワフワには触ることができない。


でもね、不思議と
悲しさは続かなかった。

なんだかそばにいるような気がしたから。


そして、20歳の秋になり
私は色白なふっくらした女の子を出産した。


続く