神戸市のマンホールには長い髪の女性、六甲山?・建物・風見鶏などが
描かれています。
こちらのマンホールには、ポートタワー・神戸海洋博物館・ガス灯、神戸港
風見鶏の館・市章・水道局の六剣水マークなどが描かれています。
元宮長田神社は、山陽電鉄:須磨寺駅から東へ200mのところに鎮座
されます。
鎮座地:神戸市須磨区天神町5丁目2
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元宮長田神社
この社には、次のような伝説があります。
紀元二世紀の頃、神功皇后 ( 第十四代仲哀天皇の皇后 ) が三韓征伐
の帰途にこの地を訪れた時、当時西須磨一帯に勢力を保っていた豪族
前田氏に出雲の国の事代主命を祀るように命じたのが始まりと言われて
います。
その意向通りに祀られていた事代主命 ( ご祭神 ) は、その後
「 鶏の鳴く地が我が有縁の地である 」 と社を現在の長田へ移したため
この社は前田氏の屋敷の一角に残され、長田神社の元お宮さんという
ことで元宮長田神社と呼ばれるようになりました。
神社の前の道は、かつての西国街道で、須磨の住民は長田への移転後も
この神社にお参りしたそうです。
この小さな神社も菅原道真公とは縁があり、公が左遷で大宰府の向かう
途中に嵐にあい、この地に上陸した時、前田氏が屋敷の井戸水を
振るまったところ、公は大変喜ばれたそうです。
以後この井戸は 「 菅の井 」 と呼ばれ、当神社の横に 「 菅公手植えの
松跡 」 とともに史跡として残されております。
西須磨協会
( 境内説明文 )
( ご参考 ) 長田神社
式内社 長田神社 ( 名神大 ) 摂津国 八部郡鎮座
現社名 長田神社
住所 兵庫県神戸市長田区長田町3-1-1
旧社格 官幣中社
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長田神社 元官幣中社 延喜式 明神大社
神功皇后 ( じんぐうこうごう ) 摂政元年 ( 201年 ) 御神意を受け
此の長田の里にお祀りされたと伝える我が国有数の名社です。
( 日本書紀記載 )
事代主神は、古来皇室守護国土統一の神として宮中八神殿にお祭り
され、神話では国譲りの神として広く語り継がれます。
御神名の 「 事代 」 は、すべての事柄を知り司り、あらゆる業を教え
導かれる事を顕し開運招福、心願成就、商工業の守護神、福の神として
篤く信仰されています。
毎月朔日は 「 長田さん 」 の 「 おついいたちまいり 」 と御神徳を仰ぎ、
商売繁盛、家内安全、厄除解除、無事息災の神恩感謝をささげる参拝で
賑わいます。
節分の追儺式 ( ついなしき、県指定重要無形文化財 ) は、七匹の鬼が
長田大神の化身となり、松明の炎と太刀で天地四方国土の隅々の
除災消滅と平安を願って奉仕する、お祓いが特殊神事として有名です。
( 境内説明文 )
菅公が左遷の時に上陸され、網の上に座って頂いたという伝承は、
すぐ南に鎮座される網敷天満神社も同じです。
瀬戸内海沿岸に鎮座される天満宮の多くに、同じ伝承があります。
元宮長田神社に向かって右に菅の井 ( すがのい ) があります。
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菅の井
伝説によれば、901 ( 延暦元 ) 年、菅原道真公が九州大宰府に
流される途中、風波を避けて須磨に一時上陸した際、浦人たちは
漁網の大網を巻いて円座をつくり。道真に休んでいただいたと言われて
います。
その時に西須磨の旧家である前田家の人が井戸を汲んで差し上げた
ところ、道真は大いに喜び、自画像を前田家に与えたそうです。
前田家では、この井戸を 「 菅の井 」 と名付け、その水で名酒
「 菅の井 」 を作って毎年大宰府天満宮へ献上していたと伝えられて
います。
前田家は神功皇后の時代から家名が続く豪族といわれ、その屋敷に
あった 「 菅の井 」 「 菅公お手植えの松 」 「 杜若 ( かきつばた ) 」
が今保存、復元されています。
( 境内説明文 )
その後方に菅公お手植えの松。
元宮長田神社と現在の長田神社の位置。
青マーク 長田神社
赤マーク 元宮長田神社
以上。