地下鉄の高速長田駅を降りました。
といっても地下鉄なので、下車してからぐるぐると階段を上っていきますので、方向が
わからなくなってしまいます。
また迷うのだろうなと思いながら地上に出ますと、大きな鳥居が真っ先に見えました。
参道になっているのですね。
表参道に廻りました。
右に手水舎。
水盤の前に立つとセンサーが働く、最近ところどころのお社で見かける最新タイプです。
しかし、立つ位置とセンサーの動作が微妙らしく、説明が貼られておりました。
広い境内の端っこに大楠が聳えておりましたので、崎に行ってみることにしました。
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市指定天然記念物 長田神社のクスノキ 指定年月日 平成11年2月24日
右の一本は胸高周囲620cm、樹高22mで、地上2~3mで幹が3つに分かれています。
幹にはノキシノブの着生が多く、ヤツデ、ネズミモチ、エノキの低木も着生しています。
また、左側の一本は胸高周囲512cm、樹高20m」で、少し小さいものですが、根の部分が
他方の音と[融合し、非常に珍しいものです。
クスノキは神戸市内に昔から多く植えられ、市民に親しまれています。
平成13年2月 神戸市教育委員会
( 境内説明文 )
大楠から眺めた境内。
式内社 長田神社 ( 名神大 ) 摂津国 八部郡鎮座
現社名 長田神社
住所 兵庫県神戸市長田区長田町3-1-1
旧社格 官幣中社
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長田神社 元官幣中社 延喜式 明神大社
神功皇后 ( じんぐうこうごう ) 摂政元年 ( 201年 ) 御神意を受け此の長田の里に
お祀りされたと伝える我が国有数の名社です。 ( 日本書紀記載 )
事代主神は、古来皇室守護国土統一の神として宮中八神殿にお祭りされ、神話では
国譲りの神として広く語り継がれます。
御神名の 「 事代 」 は、すべての事柄を知り司り、あらゆる業を教え導かれる事を顕し
開運招福、心願成就、商工業の守護神、福の神として篤く信仰されています。
毎月朔日は 「 長田さん 」 の 「 おついいたちまいり 」 と御神徳を仰ぎ、商売繁盛、
家内安全、厄除解除、無事息災の神恩感謝をささげる参拝で賑わいます。
節分の追儺式 ( ついなしき、県指定重要無形文化財 ) は、七匹の鬼が長田大神の
化身となり、松明の炎と太刀で天地四方国土の隅々の除災消滅と平安を願って
奉仕する、お祓いが特殊神事として有名です。
( 境内説明文 )
説明文はあまり詳しくないですので、長田神社のHPを転載します。
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御社名 長田神社(ながたじんじゃ)
御祭神 事代主神(ことしろぬしのかみ)
御尊号 於天事代 於虚事代 玉籖入彦 厳之事代主神
あめにことしろ そらにことしろ たまくしいりひこ いつのことしろぬしのかみ
鎮座と沿革
神功皇后 ( じんぐうこうごう ) 摂政元年春2月、皇后が新羅より御帰還の途中、武庫の
水門に於て 「 吾 ( あ ) を御心 ( みこころ ) 長田の国 に祠 ( まつ ) れ 」 との
お告げを受けて、山背根子の女・長媛 ( ながひめ ) を奉仕者として創祀された
全国有数の名大社である。( 日本書紀 神功皇后摂政元年条 西暦201年と伝える )
古来、皇室をはじめ武門の崇敬あつく、延喜式の制では名神大社 更には祈雨八十五座
に列し、神戸 ( かんべ ) 41戸もって奉祀護持され、今日の神戸発展の守護神と
仰がれている。 神戸の地名はこの神戸 ( かんべ ) に由来する。
日本書紀に云う長田国は、東は湊川 ( 現新開地 )、西は須磨一ノ谷 ( 摂津・播磨の国境 )
を云い、その中央を流れる苅藻川の中州に奉斎された。
現在の長田区、兵庫区、須磨区、北区南部を云う。
又、古伝によれば 「 鶏鳴の聞こゆる里は、吾が有縁の地なり 」 とのお告げにより、
にわとりが神の使いと尊ばれ、奉賽の鶏が境内に群れ遊び、外国人より
「 チキンテンプル 」と親しまれた。
明治29年、官幣中社に列格。
御神徳
事代主神は、世に広く 「 恵美主 ( えびす ) さま 」「 福の神 」 ともお讃え申し上げ、
商工業をはじめ、あらゆる産業の守護神、日々の生活の開運招福・厄除解除の神として
崇敬され、神戸市民から 「 長田さん 」 と親しまれて、神戸市民の心の拠り所、願いを
叶え応える神として篤く敬仰されている。
神話に語り伝えられている如く、遠く神代の昔、平和と円満を心とされて、父神・大國主神
( おおくにぬしのかみ ) の 「 國譲り 」 の大業を助けられ、日本國家建国の基礎確立に
大きな役割を果された。
更には、國家鎮護の神、皇室守護の神、言霊鎮魂の神として、宮中奉斎八神の一柱と
宮中神殿に奉鎮され、皇室の篤い崇敬をうけておられる。
日本書紀に伝える、神功皇后の新羅遠征という國家非常時に当たり、再び御神徳を
現わされて皇軍を守り導き給い、その御帰還の途中自らの御神意を以て、海外発展の
要地である神戸の地にお鎮まりになり、1800年を迎える。
國譲り神話の平和と誠の精神の具現と国内外の統一平定、今日世界の飛躍する海の
玄関・ミナトー神戸の繁栄を予知・啓示された御鎮座の由来は、まことに深遠広大な
御神徳である。
広大無辺の御神徳を称えて 「 於天事代 於虚事代 玉籖入彦 厳之事代主神 」
と申し上げる。 意味するところは、
「 およそ天地の間、天上界地上界、又宇宙間すべての物事を照覧し給い、あらゆる
物事を知り、守り、教え、諭し、導き給う神 」
の御尊号に示される通りである。
今日、神戸市民は、父神・大国主神から絶大な信頼を受けられた、先の先までお見通しに
なられる福徳円満の神、厄除解除の神、開運招福の神、商売繁昌の神、更には
護国鎮護の神、皇室守護の神と仰ぎ、格別の崇敬と敬慕の誠をささげる由縁である。
阪神淡路大震災
先の阪神淡路大震災 ( 平成7年1月17日発生 )