芳野川を鴨が泳いでいます。

 

 

芳野川沿いに遡上。

 

 

宇陀市役所から4㎞ほどのところに、高山右近の碑があります。

 

 

 

 

高山右近というと、高槻城城主のイメージがあるのですが、奈良とどういう関係が

あるのか知りませんでした。 澤城に住んでいたころ、洗礼を受けているそうです。

その澤城は、この先2㎞のところに在ります。

 

 

 

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澤城跡

 

中世の宇陀地域では、伊勢国司・北畠氏の影響のもと、秋山氏・澤氏・芳野氏が

勢力をのばし、三氏は宇陀を代表する勢力となる。

秋山氏は秋山城、澤氏は澤城、芳野氏は吉野城と、それぞれが山城とその麓に

居館を持っていた。

 

澤城は、伊那佐山から南東にのびる標高約524mの山頂に築かれた山城である。

この城は伊那佐山から南東にのびる尾根を切った二十堀切から大手口をおさえる

郭群までの南北約700m、東西約400mに及ぶもので、東西両端を堀切で遮断

された東西約300mの郭群が主要部分となっている。

 

主要部分の東西には深い堀切があり、東端は三重の堀切となっている。

また、主要部分の中ほどにも堀切が認められ、これを境として東西に郭群を

わけることができ、西郭 ( 主郭 ) 群は本丸、二ノ丸等、東郭 ( 副郭 ) 群は

出丸、クラカケバなどと呼ばれている。

 

永禄二年 ( 1559 ) の松永久秀の大和侵攻で、翌年三年には澤城も選挙され、

城主の澤氏は伊賀へ逃れることとなる。

そして、この城には松永配下の高山飛騨守図書・右近親子らが入部する。

 

この頃の城内の様子を伝える史料としては、ポルトガルの宣教師

ルイス・フロイスの日本史がある。

これによると、城は高い山の上にあり、遠くまで眺望でき、城内には高山図書

の妻子や約300人の兵たちが住んだという。

 

また、小さな砦には長さ20m弱、幅7m余りの教会があり、中には礼拝堂・

香部屋・宣教師の宿泊部屋・従者の間などの施設があったという。

永禄七年 ( 1564 ) には高山右近をはじめ、多くの人々がこの教会で洗礼を

受けている。

 

永禄十一年 ( 1568 ) には、再び澤氏が城主となるが、天正十三年 ( 1585 )

までに廃城となったと推定される。

 

大和宇陀高山右近の会

                           ( 説明文 )

 

 

芳野川沿いをさらに遡上します。

 

 

高山右近碑から500m、山道を登っていきます。

 

 

 

 

 

 

    

 

    

 

鳥居をくぐった左に手水舎。

 

 

 

民家?の拝殿。

 

 

 

郵便ポスト?の賽銭口。

 

 

平井皇大神社

 

御祭神 天照大神  ( あまてらすおおみかみ )

    高皇産霊神 ( たかみむすびのかみ )

    天児屋根神 ( あめのこやねのかみ )

 

御由緒は不明。

 

本殿に向かって左に、式内社の御井神社が鎮座されます。

 

 

 

式内社 御井 ( みい ) 神社 大和国 宇陀郡鎮座

現社名 三井神社

住所   奈良県宇陀市菟田野平井50

御祭神 木俣神 ( このまたのかみ )

 

古事記では、

 

  大穴牟遅 ( おおなむち ) 神は因幡の八上比売 ( やがみひめ ) を連れて出雲に

  帰ってきましたが、正妻の須勢理毘売 ( せせりひめ ) を恐れ、子を木の俣に

  刺し挟んで、八上比売は因幡に帰ってしまった。

  その子を木俣神 ( このまたのかみ ) という。

  またの名を御井神 ( みいのかみ )という。

 

と書かれています。 この説話を、どのように解釈すればよいのかわかりません。

出雲市 出雲市斐川町直江に鎮座される式内社:御井神社には、古事記とは

少し異なった説話が残されています。

 

  大穴牟遅神は因幡の白兎を助けた後、八上姫を妻とし、姫は身籠まれた。 

  臨月となられた八上姫は大穴牟遅神に会いに出雲大社へ行かれたが、

  正妻須世理姫の立場を慮り、会わずに引き返された。

 

  そして直江の里まで帰られた時に産気づき、玉のような御子を産まれた。

  そこで三つの井戸 ( 生井、福井、綱長井 ) を順次掘り、御子を産湯

  させてから木の俣に預け、八上姫のみ因幡へ帰られた。

 

  これより御子を木俣神または御井神と申し上げ、安産と水の守護神として

  全国からの信仰を集めている。

 

↓島根 出雲市 御井神社 ( みいじんじゃ )

https://ameblo.jp/fudasyosanpai/entry-12481542594.html

 

木の俣を女性器とする御神木はあちらこちらに存在します。

育ての親として木の俣に子神を預け、子神は成長された、ということなのでしょう。

菟田野平井の御井神社も、で安産・子育ての神として信仰を集めたのだろうと

思います。

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

参道から、耕作放棄された田んぼが見えました。

 

 

以上。