赤山日枝神社は、安行氷川神社から西へ400mのところに鎮座されます。

直行できる道が有りませんので、東京外環自動車道まで戻り、地下を

埼玉高速鉄道が走る県道161号線を歩きます。

 

========川口東IC ========= 東京外環自動車道 ==

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                  /        \

              日枝   /            \   安行

              神社 /                \ 氷川神社

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県道161号線を歩いていると、小さな丘に建物が見えました。

何だろうとスマホで確認してみると、ここが赤山日枝神社でした。

 

 

 

 

 

拝殿に向かって右に手水舎。

 

 

 

 

 

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赤山日枝神社 御由緒 川口市赤山 218

 

御縁起 ( 歴史 )

 

寛永年間 ( 1624~44 ) に関東群代の三代伊奈忠治が構えた赤山陣屋は、

寛政四年 ( 1792 )、十二代伊奈忠尊が失脚するまで、関八州の貢祖の徴収ならびに

司法、利根川・荒川の改修、新田開発など土木治水を行う中心的な役所であった。

 

この陣屋は延べ面積234,000坪にも及ぶ広大なもので、この中に当社をはじめ

天神社・八幡社・御陣山稲荷社などが祀られていた。 当社は、陣屋の東側空堀外の

山王町廓の地内にある山王池に面した築山に鎮座する。 

この築山は、陣屋空堀掘削時の廃土で築いたと伝える。

 

創建は伊奈氏によるものと考えられ、恐らく江戸城鎮護の日枝神社から分社し、

陣屋の守護として祀られたものであろう。

 

「 風土記稿 」 には、陣屋廃止後の当社について、

 

二百年来草創せし地と見ゆ、神体昔は七体ありしが、伊奈氏断絶の時失えたりと云、

其頃は大橋多門或いは川鍋左門など云し神主ありしが、今は領家村神明院の持と

なれり

 

とある。ちなみに、神明院は玉林院配下の本山派修験である。

 

なお、陣屋内にあった八幡社や天神社は現在合祀されて当社境内にある。

殊に八幡社は、七代伊奈忠順 ( ただのぶ ) が建立した宝永四年 ( 1707 ) 十一月の

石祠銘文によると、五代伊奈忠常が寛文十三年 ( 1673 ) 七月に子孫繁栄のため

創建した旨が記されている。

 

御祭神 大山咋神 ( おおやまくいのかみ )

 

                              ( 境内説明文 )

 

江戸城鎮守の日枝神社といえば、赤坂に鎮座される赤坂日枝神社です。

こちらの御神霊を勧請されたのですね。

https://ameblo.jp/fudasyosanpai/entry-12481568747.html

 

 

拝殿に向かって左に八幡社が鎮座されます。

 

 

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八幡宮石祠 川口市指定有形文化財 歴史資料  昭和32年5月10日指定

 

伊奈半十郎忠順が宝永四年 ( 1707 ) 十一月、忠常の子 ( 第二子 ) として、

父母の報恩と伊奈家の繁栄を願って宮域を整備し、山王社の傍らに建碑した

安山岩小松石製の石祠です。 

祠とは、ほこら・やしろ・みたまや等の意味があることから、この石製の祠は

八幡神のみたまやということになります。

 

裏面に刻まれた銘文は、次のように読み下すことができます。

 

当所n八幡宮は、予 ( 忠順のこと ) の祖父忠常 ( 伊藤家五代 ) が、

寛文十三年 ( 1673 ) 七月初めて建立せし所なり。 予はもとより慈母の願望有る

故に、宝永四丁亥載秋九月其の宮境を清めここに松杉を樹し、以て経界と為し

再び其の旧制に経営す。

尚、乎 ( かなわ ) ば神助を以て子孫を反映せんことを。

 

願主伊奈源忠順之を誌す。 宝永四丁亥年十一月吉辰

                             ( 境内説明文 )

 

その隣りに石仏が並びます。

 

 

庚申塔。

 

 

供養塔二基。 左は読めませんが、右は聖徳太子供養塔です。

 

 

下から眺めた本殿。

 

 

社殿全景。

 

 

拝殿からの眺め。

 

 

以上。