御神徳:厄除け、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌、等
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千代田線:赤坂駅から200mほど北上すると、山王鳥居が見えます。
 
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山王鳥居から眺めた赤坂。 
 
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中央、ヘリポートが見える銀色のビルはTBSです。
 
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赤坂日枝神社は、3つのエスカレーターで境内まで登ることが出来ます。
滅多に無い機会ですから、エスカレーターを使いましょう。
 
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社務所の裏側です。
 
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ぐるっと廻って随神門へ。
 
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境内側には、神猿が鎮座。
 
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赤坂日枝神社HPの記事は詳しいですので、転載します。
 
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御祭神 
大山咋神  おおやまくいのかみ 
 
相殿に鎮まります神々
国常立神  くにのとこたちのかみ 
伊弉冉神  いざなみのかみ 
足仲彦尊  たらしなかつひこのみこと 
 
 古事記   
 
  大山咋神  おおやまくひのかみ )。
  又の名は山末之大主神  やますゑのおほぬしのかみ )。
  この神は近淡海国  ちかつあふみのくに  の日枝山に坐す。
  また葛野  かづぬ  の松尾  まつのを  に坐す。
鳴鏑  なりかぶら  になりませる神なり
 
とあるように、近江国  今の滋賀県  の日枝山  比叡山  に鎮まりました
のが最初で大年神  おほとしのかみ  の御子神で、別にその御名を
山末之大主神とたたえて申し上げます。
 
御神徳
 
大山咋神の        という意味で、大山の主であると共に広く地主神
として崇められ、山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を
守護し給う御神徳は広大無辺です。 
近年は厄除け、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌の神として崇敬されています。
 
社格
 
当神社は江戸城の鎮守として徳川家の崇敬は特に篤く、将軍世嗣、子女及諸大名
等の社参は絶えることなく、毎年正月・6月には使いを遣わして幣を奉り、
国家事ある時には必ず祈祷を修し、崇敬他に異なるものがありました。
 
東京奠都の後明治元年11月8日准勅祭社に、同2年7月2日祈年奉幣の列に
入り、同5年5月8日府社に定められましたが、皇城の鎮護たる故を以て
同15年1月11日官幣中社に列せられ、大正天皇御即位にあたり、更に昇格して
官幣大社に列せられ、終戦と共に社格は廃せられましたが、宗教法人として都民の
尊信を専らにしてかわることなく今日にいたっています。
 
社号
 
慶応4年  明治元年  6月11日以来、日枝神社の称号を用いる事となりましたが
古くから  日吉山王社 」「 日吉山王大権現社 」「 江戸山王大権現 
 麹町山王  ひろく  山王社  と称され、氏子にとっては  お山 」であり、
一般には常に  山王さん  の名で親しまれて来ました。
 
お由緒
 
当社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに
文明10年  1478  太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の
神として川越山王社を勧請し、神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築きました。
 
やがて天正18年  1590  徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とする
に至って  城内鎮守の社 」「 徳川歴朝の産神  として、又江戸市民からは
 江戸郷の総氏神 」「 江戸の産神  として崇敬されました。
 
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に
定め社殿を新築して遷祀されました。
世に元山王と称する地は今の隼町国立劇場附近です。
 
この時から別当神主を定め、神社の規模は広大に整い、広く一般衆庶も参拝し得る
道を開きましたが、明暦3年  1657  の大火に社殿炎上の災に遇いました。
時の将軍家綱は直ちに赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に充て、
結構善美を尽くした権現造の社殿を造営・遷祀して、天下奉平、万民和楽の都を
守護する祈願所として崇敬しました。
 
明治元年東京奠都と共に勅使奉幣が行われ、御西下御東幸に際しては御途中
御安全の御祈祷を修せしめられ、明治2年7月天下水患にあたり勅使祈晴の
御事があり、宮妃御懐妊の際は御安産の御祈祷を修せられ、皇室典範帝国憲法の
制定を始めとして開戦及び平和回復等の重大事に際しては、常に勅使参向御奉告が
行われ、畏くも大正天皇儲宮にまします時、御参拝があり、明治天皇は御愛蔵の
御太刀一振(長光)を御進献あそばされました。
 
萬治2年御造営の社殿は、江戸初期権現造の代表的建物として国宝に指定されて
いました。
 
昭和20年5月戦禍に遭い、末社山王稲荷神社を残し悉く烏有に帰しましたが、
氏子崇敬者の赤誠奉仕により  昭和御造営  の画期的な大事業が企画され、
昭和33年6月本殿遷座祭齋行、引き続き神門・廻廊・参集殿が逐次完成、
 
更に末社改築、摂社の大修築、神庫校倉の改造等を相次いで行ない、全都をあげて
之を慶賀し、昭和42年6月奉祝祭が先ず齋行され、この間、昭和33年6月現社地
御鎮座三百年祭を齋行し、ここに昭和24年復興後援会発足以来10年に亘る歳月を
以て、山王台上に再び大社の偉容を拝するに至りました。
 
昭和52年7月江戸城御鎮座五百年奉賛会が結成され、昭和53年6月500年を
祝する式年大祭を厳修し、昔をしのぶ天下祭にふさわしい山王神幸祭の復元、
尚記念事業として、「 日枝神社史  の刊行  宝物殿  の建築、本殿以下
社殿の修繕、境内整備等が実施されました。
 
 
結婚式の記念写真撮影。
 
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拝殿からの眺め。
 
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随神門の正面は男坂といいます。
銀座線:溜池山王駅から参拝する場合では、男坂を登ります。
 
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麓には山王鳥居があります。
 
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隣りにある緩やかな女坂を登って境内へ。
 
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赤坂方面へ下ります。
 
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以上。