クロアチアは、カタカナの「フ」を左右反転させたような形をしている。
で、その「フ」の水平部分に首都ザグレブがあり、一番下の先っぽに、「アドリア海の真珠」とも呼ばれるドゥブロブニクがある。
そして、「フ」の間に挟まれている国が、ボスニアヘルツェゴビナである。
さて、私は、ザグレブから、ボスニアヘルツェゴビナの都市モスタルを目指し、そこで一泊ほどして、そこからドゥブロブニクに入る予定だった。
モスタルは美しい街並みで知られるものの、ボスニア紛争の激戦地で、紛争を終えて三年、その姿がどうなっているか、この目で見てみたかったのだ。
私はザグレブから国際バスに乗った。
はっきり言って、英語はほとんど通じない。
バスを指差し「モスタル?モスタル?」と聞く。
バスターミナルの職員が頷く。
バスに乗車する時も、念のため、運転手に聞く。
そして、席に座ってからも、隣の乗客にしつこく聞く。
なぜここまでしつこかったかと言えば、このバスがどうも「モスタル行き」ではなく、あくまで「モスタル経由」だったからだ。
「ほんまにモスタルを経由するの?」という確認でもあったし、それ以上に、降りるタイミングがわからないので、とにかくまわりに「私はモスタルに行くんですよ」とアピールしまくり、到着した時に教えてもらおうとしたのだ。
この手は、世界中のあちこちで利用する。
バスはザグレブを出発し、しばらくするとボスニアに入る。
パスポートチェックは記憶にないので、あったとしても、たいしたチェックではなかっただろう。
途中、幾つかの町を経由する。
その度目にするのが、
墓場。
そして銃痕のビル。
郊外から町中に入る直前、広い墓場が目に付く。
宗派にもよるのかもしれないが、亡くなった方の顔写真付きのお墓がたくさんあった。
やたらと若い人が多い。
そして町に入れば、建物という建物には、無数の銃痕。
ああ、これが紛争か。
車窓に、胸が痛くなる。
はっきり覚えていないのだが、たしか5、6時間も走ったころだろうか。
「あれ、まだ着かないのかな?」
そんな不安に駆られ始めた。
そう言えば、少し前にちょっとした規模の町に停車していた。
墓場も銃痕の建物も、ひときわ多く、町に入り始めた時に「ここかな」と思ったのだ。
でも、誰一人、私に「モスタルに着いたぜ」とは教えてくれていない。
そんなはずはない。
いや、ひょっとして、、。
を繰り返しながら、、
「モスタル?」
隣の乗客に聞いてみた。
彼は無言で、後方を指差した。
!!!
私は慌てて、他の乗客にも訊く。
「モスタル!?」
また同じリアクション。
やはりさっきの町がモスタルだったか!
もはや、モスタルは遥か後方。
いまは山の中を走行中。
ああ、私はどこへ行くんだろう。
正直、たいていの国なら、これくらいで動揺したりなんかしない。
しかし、ここは、
英語が通じない。
ガイドブックも持っていない。
都市の名前はモスタルと、首都サラエボ(方向がぜんぜん違う)しか知らない。
しかもバスで移動中。
(電車ならUターンすればいい)
さらに言えば、すでに日が傾き始め、まったく知らない町、情報のない町での夕方以降の宿探しは、かなりキツいものがある。
私は、運転手に「このバスはどこへ行くんだ?」と、英語が通じないので、必死に身振り手振りで尋ねた。
「おまえがモスタルだって教えてくれないからこうなったんだぞ!」
という怒りを押し殺しながら。
すると、、
「ドゥブロブニク」
発音が難しいので、何度も聞き返した。
「ドゥブロブニク」
や、やったー、ドゥブロブニク。
よかったー。
もともと行く予定だったドゥブロブニク。
もう、モスタルも、ボスニアヘルツェゴビナもいいや。
このままドゥブロブニクに行っちゃおう!
こうして、私のボスニアヘルツェゴビナは、車窓だけで終わった。
それにしても、
このバスに乗っていた人はなんて冷たいんだ。
おそらく、皆が、モスタルに行く外国人旅行者の存在を知っていたはずだ。
否。
このバスの人だけではない。
クロアチアに入ってから、
そしてボスニアでのバス休憩などても
随所で冷たさを感じていた。
正確に言えば、「温かさがない」というか、「人に興味がない」というか、そんなかんじ。
おせっかいに助けられるようなことが皆無。
「ほらほら、ここにちょっと変わった東洋人旅行者がいるぜ!ほら!」
とでも言いたくなる私。
しかし、視線すら感じない。
ああ、紛争って、人の心をこうしちゃうんだろうか。
そんなことを感じた、ボスニア通過劇だった。
ちなみに、私が「◯カ国行った」という時に、このボスニアはカウントしていない。通過だけだし。
ちなみに、ちなみに、私はこれによって、「モスタル~ドゥブロブニク間」の運賃を浮かしてしまった…。
だって、どこでどう払えばいいか、運転手に聞いてもわからなかったし。
旅人ふちがみ