本牧読書日記。釘貫亨「日本語の発音はどう変わってきたか」・「てふてふ」から「ちょうちょう」へ、音声史の旅  (中公新書)。

著者は1954年生まれ。東北大学院卒・文学博士、名古屋大名誉教授、「日本語学」専攻。

実に「学者らしい学者」を想像させる奥深い著作である。

録音記録がないかつての日本語・音声をどうやって解明することができるのか?

膨大な資(史)料研究に加えて、先人達(藤原定家、宣教師ロドリゲス、契沖、宣長、有坂秀世など)によって築かれてきた歴史があり、それは一般人の興味をひく世界でもある。

かつて「ハ行」は「pa.pi.pu.pe.po」(奈良時代)や「fa.fi.fu.fe.fo」(平安時代)と発音されていた。

これはかなり知られている話である。わずか2~300年の内に音声は驚くほどに変化していく。

以下、時代別に見ていこう(これだって話言葉では「ゆこう」であって「いこう」ではない)。


①万葉仮名の奈良時代。

万葉仮名は中国漢字からの転用であるからその発音は初期は呉音、律令制度充実後は隋・唐音声(中国中古音)から推察することができる。最古の文字資料・471年の稲荷山古墳鉄剣銘文も万葉仮名であるが音声研究の宝庫は「万葉集」である。現在との大きな違いはハ行子音が「P」、「サ」は「sa」ではなく「tsa(ツァ)」で発音され、母音は8種あった(イ、エ、オにそれぞれwがつくwi.we.woが加わる)。

だから「日本書紀」での神名「アメツヒコヒコホノニニギノミコト」の発音は「アメツピコピコポノニニギノミコト」となる。これは後の平安時代のP→Fへの発音移行でも同様であった。「小竹(ささ)の葉は 深山(みやま)もさやにさや(乱)げども 我は妹(いも)思ふ  別れ来ぬれば」(柿本人麻呂の石見の国で妻と別れた直後の歌)も「ツァツァノファファミヤマモツァヤニツァヤゲドモ~」となってしまう。現代の感覚ではロマンチックな趣は壊滅するが、当時は充分な情緒を醸し出していたのだろう(本書p33)。

以前に声優が平安発音で源氏物語を朗読したのを聞いた事がある。「ファ」等が耳につく発音でも現代の関西弁が超・緩慢に流れる感じ位でそれ程の違和感はなかった。

一方、中国中古音で「h発音」の「昏、忽、欣、訓、海(上海の「ハイ」)、火」などはハ行の万葉仮名には使用されない。日本語にその発音がないからである。どうしたかというと、h音を音の近いk音に聞いて「昏(コン)忽(コツ)欣(キン)訓(クン)海(カイ)火(カ)」に転化した。そんなことがあるのかと疑問にも思うが、これは丁度「view」を「ビュー」と日本発音にない「v」を「b」で把握するのと同じであると説明されている。こうして中国文化が盛んに日本の言葉や風土にとり入れられていったのである。

更に万葉仮名は一音一文字ではなかった。例えば「コ」は「古・故・胡・姑・孤・高」等のどれを使ってもよい。「漕ぐ」は「己具・許具」、「腰」は「許思・己之」どちらでもよかった。

万葉仮名の音声法則を見事に解明したのが1932年の京大生・池上禎造と東大生・有坂秀世であった。万葉仮名を甲類と乙類に分けて母音を含む「音節結合法則」(有坂法則)の発見である。

但しこの法則についての本書・十数ページの解説は複雑で僕には殆ど理解できない。

ただ次第に語幹が長くなっていく趨勢はわかる。一音節(戸・ト、夜・ヨ)からせいぜい三音節(心・ココロ、後・ウシロ)までだった語が複合語(八重垣・ヤヘガキ)や派生語(カク→カカル・掛カル、タタク→タタカフ・戦フ)と、奈良末期から多発して遂に平安時代の多語と一音一文字の仮名時代へと展開していくのである。文化段階の発展と国風に伴う言葉と文章の複雑化・高度化に他ならなかった。


②平安時代語の音色・聞いた通りに書いた時代。

平安時代はひらがな散文に一大特色がある。散文は韻律をつけないぶん表現量が多く韻文の持つ音楽的な特徴も付加しない。人間の日常的思考の在り方に近いと言える。万葉仮名では言語量の多い散文は収容できないところに、より近世に近い文学形態のひらがな散文が登場したのである。

文章が長くなり、発音のゆるみからハ行・P→F変換が確定し、音便変化(イ、ウ、撥、促の4音便)や語の多節変化が発生、そして「いろは」に表現される発音通りの一音一文字が実現した。10世紀前半の音節で現在の五十音と異なるのは、し・si、ち・ti、つ・tu、ぢ・di、づ・du、ハ行の5子音(f)、ゐ、ゑ、を(wi.we.wo)、後に消えた「延(yesterdayのye)」である。

実は「え」の発音がeであったのかyeであったのか今でも厳密にはわかっていない。現代語で「駅、ほほえみ」はeを発音するつもりでも半音声Yが聞こえる時があるという。我々は「円」を「en」と発音するが外国人には「yen」としか聞こえない。これは16世紀のポルトガル人宣教師でも同じであった。

ところで、文章が長くなってくると、漢字も句読点も濁点も会話と地文の区別も全くないダラダラ書きの平仮名だけが連続する当時の文章は非常に読みにくくわかりにくい。あるいは意味が異なる単調な読み方となる弊害が目立つようになった。丁度「色は匂へど……」の「いろは」が「いろはにほへと……」と子供の棒読み調になってしまって意味がわからないのと同様の現象である。この弊害を是正したのが、本書が「鎌倉ルネサンス」と呼ぶ藤原定家(1160~1241年)による改革であった。

「源氏物語」は1000年頃の作という。約200年後の定家の時代に既に文章形態の行き詰まりが発生していたといってよい。定家が成した改革は漢字まじりにしたことと、句のまとまりに応じた区切りであった。定家のすごさは、これを過去の原文の改変にまで及ぼしたこと、近代文献学が教える原典尊重のタブーに触れてまで強行したことであった。彼は王朝文芸を一変させたと言っても過言ではない(これは後世の契沖が定家を非難するところとなった)。


③宣教師が記録した室町時代語。

中・近世の16C後半~17C初頭にかけてイエズス会宣教師が残した日本語文法書はローマ字なので発音学に大きな貢献を成した。特にロドリゲス日本語大文典(1604~08年)が伝える当時の日本語発音記録は価値の高い資料となっている。彼の日本語学は動詞の活用と諸形態、これを名詞、形容詞、代名詞等の品詞分類を前提にして記述を施してゆくという全く新しい方法であった。

なお書き漏らしたが、万葉仮名読みの解釈についても漢語音韻学に西洋言語学の方法を注入して中国語音声史の近代化を達成したスウェーデン人言語学者バーナード・カールグレン(1889~1978年)の功績が多大の貢献をなしている。日本人学者だけの学績だけではないのである。

この時代の言語音声で詳細に説明されているのは「四つ仮名文字、じ/ぢ、ず/づ」の合流と開合の別(この変型が「ズーズー弁」だという)や「オ段長音の開合の問題=おほさか(大阪)とあうさか(逢坂)の違い」又は「てふてふ」と「ちょうちょう」の例などであるが、この辺も僕には理解不可能であった。


④近世の仮名遣いと古代音声再建・和歌の「字余り」から見えた古代音声。

そして明治初期の国語教育。

江戸時代、契沖による定家批判から始まり宣長の「古事記伝」に至る古学者達の音声学への貢献についても、残念ながら僕の理解力では遠く及ばない。

例えば何故和歌の「字余り」が音声解明の鍵となるのかがよくわからないのである。

むしろ僕の興味は国民国家・明治に入ってからの、いかにして「国語としての日本語」が体系化され、どのように教育制度として確立されたのか、の大問題にある。「漢字」の問題や「仮名遣い」(歴史的仮名遣いが採用された)に並んで「発音」も重要な焦点となる。多種の地方語を「標準語」として整備していくに当たりその発音は重要な要素となる。藩校や寺子屋教育の下敷きがあったにせよ、全国一律至急の整備は極めて困難な事業であった。明治政権・文部官僚は全力で取り組んだ。

以前に、未知の西洋音楽を教育制度化するに当たっての随一の功労者・井澤修二の伝記「国家と音楽」を読んだことがある。そこでは「音楽教育」が小学唱歌の形などで「国語教育」の一環としても活用された様子が強く伺えた。「歌詞」(とその発音)が現在想像する以上に重要であったのである。

いずれにしても明治6年、全国一律の教育ネットをよくぞ発足させたものだと感嘆する。

しかし当時から「発音通りではない仮名遣い」への疑問の声は存在した。

「全てローマ字にせよ」との極論さえ有識者から出た。


「発音通り」を実現したのが戦後の仮名遣いである。「話す通りに書けば良いのだよ」と教えられて、僕の子供の頃は「私わ」と書く老人をしばしば見かけた。確かに完全に発音通りではない。冒頭の「いく、ゆく」がその例であるし、本書のサブタイトルだって「どう変わって」は「どー変わって」が発音通りだろう。実際に

現在若者の「言葉・言葉遣い」がこれ程変わってきた将来は「どー」と書くのが通常になるかも知れない。奈良時代から僅か千数百年でこれだけ変わっているのであるから。

我々は黒海沿岸に起源を持つインド・ヨーロッパ語系祖語が恐らく8000年間位で今の膨大な各言語に分化した歴史を知っている。「文字」の出現と国家の政策によってその勢いは減衰しているにしても、発音の変化は法則ともいえる。毎日一言も発しない人間はいない。

発音は「日常」のベースになっているだけに止めようもない法則なのである。




閲覧の方々がお察しの通り、僕はこの新書の内容の半分も理解できていません。

著者の講義を受講しても、恐らくさほどの進展は得られないでしょう。

想像するよりずっと高度の学術世界であることはよく分かりました。

「言語、話し言葉」は人々の関心も高い分野です。同種の出版も多く最近のアマゾン第一位は「言語の本質」(中公新書)です。広告によると認知科学と言語学者の共著で「オノマトペ」をキイとした著書らしいのですが、言語とその発音は誰でもとりつきやすい、しかしその沼は底なしのように深いのです。

そんなことをしみじみと考えさせる奥深い本書でありました。