こんにちは~! 
やっと秋らしくなって、
先日、京都御苑で
お弁当をいただく機会に恵まれ
秋をちょっとだけ楽しんだ 
人生改善屋「ふ~みん。」こと
堀池典代(ほりいけふみよ)で~す 

【大切な人と喧嘩した】
先日、あるクライアントさんが
娘と喧嘩して、今最悪な状況だ
と、聞かせてくださいました。
(記事にさせて頂くご了承を得ています~

)
娘が悪いわけではなく、
自分の身に起こった『昔の出来事』と重なって
カチンときてしまったことを
娘にぶつけてしまったと仰っていました。
なかなかそんな(娘が悪いわけではなくて昔の出来事が原因という)視点で
自分を省みれる人はいませんが

「ごめんね」のメールをしたものの
娘さんからの返事が無い。

そのことで最悪な状況だと
感じていらっしゃるようでした。
さて、こういう時、
「最悪な状況だ」と
感じてしまう心理って、
自分の心(思考)の『癖』を
くっきり浮かび上がらせてくれます。
人の思考は、
なんにでも判断をしているもので、
例えば『最高』と『最悪』という区別も
自分の思考の癖が自動的に判断しています。
あくまでも『癖』なので、
昔に経験した同じような時(ココでいう喧嘩)の
『気持ち』の判断基準で
「喧嘩は最悪」という判断を
自動的にしてしまっています。
癖=自動的な反応 です。
さて、ここで質問です。
本当に『喧嘩』は、「最悪」なことなのでしょうか?
心理学を学んだ
いまの私だから思うのですが、
必要な喧嘩ってあるように思うのです。
あくまでも一つの考え方ですが、、、
ハズミであっても
そこで起こった喧嘩は必要なことだった。
なにかそれまで
お互いに遠慮があったり、
言えないことがあって
耐えていた。
それを喧嘩を使って伝えたまで。
もちろん、
オトナな伝え方もあったかもしれないけれど、
喧嘩も立派な
コミュニケーションの方法の一つ。
喧嘩は一人では出来ないものね。
喧嘩によって醸しだされる
空気感(ギクシャク!)だったり
関係性(嫌われたかも?!)だったり
距離感(遠くなっちゃった!)が堪えられないと
昔は、思った。(特に子供の頃のこと)
大人のいまの感覚に心を澄ましてみると・・・
嫌われないように
言いたいことを言わず遠慮していたり、
こんな(相手に対して否定的な)ことを
「思ってはイケナイ」と思って自分を自制していたり、
コレを言っては相手を傷つけてしまうから
「言っては(やっては)いけない」(禁止)と思っていたり、
他には、
無言の要求を感じていて、何も言われていないのに
勝手に期待に応えようとしていたり、
自分が良い人に思われたくて、良かれと思って
ついつい犠牲をやってしまうとか、
むかし良くしてもらった恩義があって
「無下にできない(裏切ってはいけない)」と思っていたり、、、などなど
自分と相手との関係で
遠慮していたり、
わずらわしさを感じていたり、
そんな「なにか」があるところの
関係性を一気に変えるための
喧嘩は『変化の一助』
とも言えるのではないかと思うのです。
この時に、本当は、
このくらいの距離や関係のほうが
自分がホッとしていることに
気付きを持つこと。
これまでと同じようなフォローをしないこと。
(取り繕おうとしたり、気を遣ったり。申し訳なさを感じてより一層犠牲したり・・・)
これまで自分が作り上げてきたものを
壊してしまう(った)ような気分に襲われて
取り繕ったり、申し訳なさを感じたりしますが、、、
自分の本心に耳を澄まして正直になると、
これまでとは違うので
とっても冷たい自分のように感じますが、
無駄に頑張ってきた自分の行動が俯瞰できたり、
これ以上自分を犠牲にするのは
自分にとっても相手にとっても
良い影響を与えないと分かったりします。
この『視点』は、簡単に言ってしまうと
成熟した『大人の視点』です。
これまで、ついつい
相手に気を遣ったり
取り繕ったり、
自分を犠牲にしたりするのは、
自分が幼い頃に「こうするべきだ」と思ったり
誰かに教えられたりした
パターンが自動化して
無自覚でやってしまっていたのです。
気を遣えることや
配慮が出来ることが、
日本では成熟していると思われてきましたが、
実は、幼い頃からのパターンで、
その動機は幼いころから変わっていなくて
さて、ココに気付きが出来たら、
どんな行動をとるべきでしょう?
特に何も行動をとらなくて良いのです。
むしろ、
行動しないことが大事。

余裕があれば、
相手の反応を見るだけ。
さらに余裕があれば、
逃げずに、そこに留まること。(逃げてもイイんですよ

)
自分の反応は、なくて良い。
自分が、行動として反応せずに、
どんなことを感じているのかに注目してみる。
今まで、相手の反応が怖くて、
相手が反応するまでに
自分が「やっちまった!なんとか取り返さねば!!」と
躍起になって名誉挽回・信頼回復に努めて頑張りましたが、
もう疲れ切った。
これ以上この関係を続けても
自分がしんどいだけ。
自分ばかりが犠牲を強いられているような関係は
もうヤメ

相手と『対等』になるために
この喧嘩が起こったのだ。
これで良かったのだ。
このまま自分から何もしなくて良い。
と、自分に心の中で言い聞かせます。
これまでの自分の反応と違うことを
相手も感じるため、
相手から、これまでしてもらってきたように
あなたに犠牲を要求してくることがあります。
それでも、オーバーな(行動としての)反応をせず
本心に従った返事に留めておくと、
相手も違った反応を見せてきます。
そうなったら、
少し『対等さ』を伴った関係に
変わってきます。
喧嘩した相手と縁を切る必要もなく
正常な『対等』な関係を作ることはできます。
たとえ、縁が切れてしまっても(過去の人であっても)
『対等さ』を感じることも出来ます。
『成熟さ』を自分に実感させてあげる経験を
堀池と一緒にしましょう~ 
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