台風15号、名前はチャンホンと言うラオス語、香のとても良い木の名前らしい。
台風委員会のアジアの14ヵ国が140個の名前を順繰りに命名します。
日本の台風名クジラの次で76番目の名前になります。
この台風が東からやってきます。
本当に珍しいコース。
最近は台風の位置情報が精密になったせいかVの字に曲がったりくるくると回転したりしておりますね。
写真は10年前の自室猫タワーに乗るクロエ君。
本当の真っ黒猫さんは彼だけです。
ガソリンが安いねぇ。
第二次世界大戦では多くの方が亡くなり原爆も投下されました。
武器である原爆、簡単に考えればピストルの様な物。
これを無くせ無くせと叫ぶマスコミ。
終戦を遅らせピストルの引き金を引いたのは日本。
どんな刑事事件でもピストルが犯人とは言わない。
トリガーを引いたのが犯人ですね。
本当の犯罪者は戦後81年を過ぎ歴史の闇に消えて行きます。
本当の犯罪者は戦後81年を過ぎ歴史の闇に消えて行きます。
そうそう核兵器と言えば先日写真を掲載したICBM基地。
昔行ったアリゾナ州はツーソン近くにあるICBMの記念館。
世界でICBMの基地を公開しているのはここだけ。
もちろん現役ではありません、SALT Ⅱで削減された基地です。
600トンもあるミサイル発射口の蓋は2秒で開き、500m上空で核爆発があっても耐える構造との事。
当時のICBMは液体燃料なので燃料入れても1週間ほどしかもたない、燃料を入れ替えるだけで3万ドルがかかるとか。
世界でICBMの基地を公開しているのはここだけ。
もちろん現役ではありません、SALT Ⅱで削減された基地です。
600トンもあるミサイル発射口の蓋は2秒で開き、500m上空で核爆発があっても耐える構造との事。
当時のICBMは液体燃料なので燃料入れても1週間ほどしかもたない、燃料を入れ替えるだけで3万ドルがかかるとか。
今は個体燃料なんでしょうね?
維持費が高額!基地が削減されて実は助かったとの説明でした。
維持費が高額!基地が削減されて実は助かったとの説明でした。
当時の米ソはお互いに維持費だけで相当なダメージがあったらしい。
核兵器削減って言うかっこいい言葉の裏は莫大な維持費削減が隠れてました。
今でも憶えているのはミサイルの目的地にモスクワ、北京、ベルリン、そして東京があったこと。
体験でICBMのキーを回させてもらったのが印象に残ります。
今でも憶えているのはミサイルの目的地にモスクワ、北京、ベルリン、そして東京があったこと。
体験でICBMのキーを回させてもらったのが印象に残ります。
オハイオ州のライトパターソン空軍基地も見学して、ここの博物館で知らずに長崎に原爆を落としたB29に乗り込んでしまった。
広島に原爆を投下したエノラ・ゲイB-29はスミソニアン博物館で見ました。
ここでは当然見るだけの展示でしたね。
ライトパターソンでは見学当時何故か梯子があってB-29に登れた。
ライトパターソンでは見学当時何故か梯子があってB-29に登れた。
入ると修理の方がいて操縦席の方は見ていいよと言われた。
B-29の操縦席かぁ!って軽く見学。
B-29の操縦席かぁ!って軽く見学。
降りてから入り口の説明書を見て長崎にファットマンを落としたボックスカーだと知って身震いした。
今も展示されてますけど中には入れないでしょうね。
今も展示されてますけど中には入れないでしょうね。
何枚も撮影したけど見つからないなぁ。
日本のこの種の施設は被害者意識の展示が多い、その被害を誰がもたらしたかの責任を追求するものが欠如している。
82年前に召集された父親は現在の北朝鮮北部の山中に着任早々に終戦。
大型火砲の着弾確認部隊と大砲との通信係りでした。
そんな関係で自分も通信に興味を持ちました。
終戦なのに乗った列車は北へ?シベリアのコムソモリスクに抑留されました。
氷点下50℃にもなるシベリア。
何故か父親は収容所所長との仲が良くなり別格扱いで珈琲なんか飲んでいたとの事。
父親は何処へ行ってもお偉いさんと仲良くなっちゃう。
日本のこの種の施設は被害者意識の展示が多い、その被害を誰がもたらしたかの責任を追求するものが欠如している。
日本て、ほとほと無責任体質なんだぁなって思いますね。
82年前に召集された父親は現在の北朝鮮北部の山中に着任早々に終戦。
大型火砲の着弾確認部隊と大砲との通信係りでした。
そんな関係で自分も通信に興味を持ちました。
終戦なのに乗った列車は北へ?シベリアのコムソモリスクに抑留されました。
氷点下50℃にもなるシベリア。
何故か父親は収容所所長との仲が良くなり別格扱いで珈琲なんか飲んでいたとの事。
父親は何処へ行ってもお偉いさんと仲良くなっちゃう。
これも親譲りの才能だと思う自分です。
父は終戦二年後に帰国しました。
就職先近くの本屋さんで出版されたばかりの週刊少年マガジンを買ってくれたのが漫画の好きの始まりです。
父は終戦二年後に帰国しました。
就職先近くの本屋さんで出版されたばかりの週刊少年マガジンを買ってくれたのが漫画の好きの始まりです。



