タイトルにあるように、私の両親は広汎性発達障害(高機能自閉症など?)で、私はその親から精神的虐待を受けて育ちました。


『広汎性発達障害(アスペ・自閉症)・毒親』のカテゴリーでは、上記の問題に触れて行きます。


特に、「どんな親でも大事にしましょう」とか、「発達障害の人を優しく見守ろう」と考える方とは、すぐにわかりあえるとは思えません。


私の経験を読んでも同じことが言えるのか、改めて考えて頂ければ幸いです。




人によっては過激な内容となります。


何があっても責任は負えません。


読まれる方はその点を御了承ください。


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俺は、それほど酷い虐待は受けていない。


それほどというのは、暴力などある意味わかりやすく親から虐げられて来た人から比べれば…という程度だ。


世の中には、信じられない虐待を受けている人が結構な割合でいるのだと思う。


先日もテレビで、実の父親からレイプされた人が実体験を語っていた。


はっきり言ってこの父親、鬼畜以下、ゴミ屑同然だ。




そんな被害に比べれば生ぬるいのだが、俺が受けたのは、無関心というじわじわとしたものだった。


殴られた方がまだマシだったと思ったこともある。


殴られれば周囲も虐待に気づいたろうと思ったから。




一言で言うなら、いや、とても一言じゃ説明がつかないんだけど(苦笑)


うちの親は子供の僕にほとんど関心がない。


親として子供にどうなって欲しいとかはもちろん、守りたいとか気がかりとか何かを期待するとか、そういうのはない。




いや、本当は関心がないという表現は正しくない。




発達障害の人間にとって、他人とは人間じゃないんだと思う。


自分に感情があり、好き嫌いがあるように、他人にもそういう人の心があるとは思ってない。


自分の世界しか知らないので、他人の都合など考えようがない。




発達障害者からすると、自分の都合を優先してる訳でも、他人の気持ちを考えないで邁進してる訳でもないのだろう。


単に知らないのだ。


定型(発達障害じゃない人)なら嫌でも見える他人の状況が、発達障害にはほとんど見えないようだ。


見えない=知らないものを考慮できる訳がないわけ。




それでも、定型なら知らないことも少しは想像するんだけど、そういう想像力もないのが発達障害だからね。


見りゃわかるだろが全く通じない。






ここ十数年、母親にこれまでの不満をぶちまけて思ったのが、驚くほど過去の出来事を覚えていないということだった。


俺が記憶のいい人間なのかもしれないが、それにしても記憶が乏しい。


俺の友達だと思ってる人はほとんど弟の同級生だったり、散々喧嘩になった出来事もそんなことがあったことすら忘れている。


本人も最近は「何も覚えてなくてダメな母親だ」とは言うのだが、そもそも忘れたのではないと思う。


俺が思うに、人間としての他人に関心の薄い発達障害は、人のことなど重要ではないのだと思う。


たとえ自分の子供でも自分ではないから、他人の心の動きには関心がないために、もともと気に留めていないのだ。


言った言わないはうるさく追求する一方で、その言葉の背景は全く理解していない。


俺が親の都合を優先して我慢したことなど、親は全く知らない。


そもそも、人が別の人の都合を考えて先回りすることなんて頭にないんだよな。




よく、発達障害は気が利かなくて冷たいとか言われるけど、それはこういうことだと思う。


自分に感情や思考などの自身の世界があるように、他人にもその人の感情などが存在することを認識できない。

そのため、自分と他人という二次元すら存在せず、自分だけの世界しか知らない。

存在しない世界のことなど考えないから、定型からは他人の都合を無視して自分最優先で動いているように見える。


更に、

他人も自分の世界だけで動いていると思っているから、他人が自分の都合を考えてくれていることなど夢にも思わない。

故に感謝なんかしない。




俺が親の気持ちを汲んで行動してるなんて、親にはない発想なんだよね。


発達障害者から見たらそれは超能力みたいなもんで、だから向き合った当初の台詞は衝撃的だった。




「あんたが好きでやったんでしょ」




俺が勝手にやったことだと言われた。


俺が親に合わせなければ収拾つかないのにさ…


もちろん、親はそんな事態を招いてるつもりはないし、俺がその状況を察知して行動してるなんて考えもしないんだけどさ。


だから、こうも言ってたな。




「私がそうしてくれと言った訳でもないのに、あんたが私の気持ちをわかるわけがない」




俺の勝手な思い込みだって言われたよ。


もしそうだったなら、その配慮は必要ないって言えばこっちだって我慢せずに済んだのに…って思ったけど、俺が配慮してることも知らないから無理なんだよな(疲)






当時の俺は発達障害なんて知らなかったから、完全にブチキレた。




感謝なんていらなかった。


ただ、気づいていてくれればそれで十分だったのに…。




気づかなくて当たり前と居直る母親。


親を思って我慢する俺はバカだと言わんばかり。




単に、他人を思って行動することを知らない人達だから、発達障害なら当然なんだけどね。






以前から違和感はあったのだが、それが明確になったのは、皮肉にも性同一性障害だとカムアウトしたのがきっかけだった。


2002年の年明け、26歳の頃だったろうか。




※2/16 アスペの表記を発達障害に変更
あけましておめでとうございます。




昨年は震災などで日本は大変な年でした。


俺は何も変わらない一年だったようなυ


ただ、変わりなく過ごせることが本当に幸せですね。




それをかみしめて、今年は昨年より少し前進したいです。






一応、今年の目標。


①セクシュアリティ用語の解説ページを作る


②ブログの概要をまとめる


③考え過ぎずストレスは吐き出す




取り敢えずこんなところかな。




①は、セクシュアリティの話をするときに共通認識としてどうしても必要だから。


セクシュアリティ用語にも辞書的な定義はある。

これを前提として、個人の考えや解釈があるのに、定義すら無視して「個人の価値観は自由じゃないですか?」って言う人がいて困る(苦笑)


その人にとって性別とは何かは確かに自由でいいと思う。

でも、性自認とは何で、性指向の定義はどういうものでということは踏まえないとね。

セクシュアリティの話をすると、論点がずれたまま喧嘩してることが多いと思うんだよ。






②はブログの方向性というか、俺の書きたいことが広くなってきたんだ。

基本はセクシュアリティに関することに絞ってたんだけど、俺自身の問題ももっと書きたいなと思って。

セクシュアリティ以外の事を隠したままだと、どうしても奥歯にものが挟まったような言い方になってしまうから。




ちょっと触れると、俺の両親は発達障害です。

自閉症とかアスペルガーとか言われてる類。


そのおかげで俺はじわじわと精神的虐待を受けてきたんだけど、実は同じような状況の人って結構いるような気がしてる。


間違ってほしくないのは、虐待してしまう親に発達障害が多い訳でも、発達障害の親が虐待する訳でもないということ。

同じ虐待児の中でも俺はちょっと特殊っぽい。

おまけに性同一性障害だしね。


そこで最近思うのは、性同一性障害者は、精神的に虐待される環境に置かれやすいんじゃないかということ。

親を始め誰も『本人の性別=本来のその子』を認めないということは、そのままの自分は誰にも受け入れられないってことだから、これがいい影響を生む訳がない。

それなのに、子供が性同一性障害だと、全て性同一性障害当事者のせいにされてる事がある。

しかも、本人も自分のせいだとか思ってるし。




性同一性障害も発達障害も、それ自体が悪だとか不幸だということはないと思うんだ。

仮に悪だとしても、直しようのないものを呪ってもしょうがない訳で、それはそれで対処するしかないでしょ?

だから、不毛に自分を責めるような事を少しでも減らしたいんだよね。

そこに出口はないんだから。




で、③に繋がるんだけど。

たぶん、俺が発達障害について書くと、反発する当事者がいると思う。

俺は、発達障害を抱えている親に随分迷惑してきたから。


発達障害の当事者や擁護者は、「頑張ってるのに…」「本人に責任はないのに…」「弱いものいじめだ」って言うのかもしれない。


当事者には悪口に聞こえることもあると思う。

だから、どう綴っていいかわからなくて書かないで来たけど、吐き出さないとこっちがパンクしそう。


自分以外に関心が薄く、人の立場を考えるのが不得手な発達障害は、野放しにされるとやっぱり迷惑だと思う。




もう一つ、普通の家庭に育った人には、俺の親に対する感情はただのわがままや悪口に聞こえることもあると思う。

ただ、同じように虐待されて育った人で共感できる人がいるなら、綴る価値はあると思ってる。

虐待は殴る蹴るの暴力だけじゃないことを訴えたい。




性同一性障害も発達障害も、虐待やアダルトチルドレンも、当事者でなければわからない問題が一杯。

そのため、経験のない人には耳障りの良くない話も多いように思う。


だから、なるべくカテゴリー分けをして行こうと思っています。






返事を書けないときもあるけど、コメントやメッセージは必ず読んでます。

俺にとってもそれがモチベーションになっていて、とても嬉しいです。




またボチボチだとは思いますが、今年もよろしくお願いします。
またまたご無沙汰です。


皆、コメントありがとう。


心配してくれる人がいてとても嬉しかったです。


どうにか病院に行くこともなく、その後一週間程で十分に回復しました。




おかげで筋トレの習慣とか抜けちゃって、2、3kg肥えました……






なんか、太るとどんどん自分のこと嫌いになるんだよね。


ろくに社会貢献できてない自分が、身体の管理さえままならないなんて、どこにも自信を持てなくなってなってしまうから。




でも、面倒臭くてずっとグダグダしてたさ。


『体鍛えたところで何になる?人は見た目じゃない』とか、『そんなことよりもっとやるべきことがある』とか、マイナス思考で考えても仕方ないことばかりが頭を巡って…




そう、ゴチャゴチャ考えすぎる時は取り敢えず行動する方がいい。




体鍛えたければ鍛えればいい。


別に誰にも禁じられてない。




時に女、時にいい子と、ずっと誰かを演じ続けて来ていると、中々素直に自分の感情に従うことが出来ないもんで…






昨日、意を決して久しぶりに筋トレしたよ。


プッシュアップ(腕立てふせ)は膝をついて、スクワットも重量はかなり軽めで。




あんなにグダグダしてたのに、やれば気持ちいいんだよね(苦笑)


その後の筋肉痛も充実感がある。






体を動かすのは心や頭にもいいって聞いたことがあるけど、きっと本当だね。


ちゃんとリフレッシュ出来る。


肉体的に少し疲れても、頭がすっきりして心も元気になるから不思議だよね。




それでやっと、ここに戻る気力が出来たって感じです。






このブログでは、本当はセクシュアリティに関わる話だけを綴りたいと思っています。


それは、一番の目的がセクシュアリティについて少しでも知ってもらうことだから。




俺個人が抱える困難は、自分で解決するしかない。


何かしてほしいのではなくて、FtMや性同一性障害、そして同性愛者、インターセクシュアルの存在をただ知ってほしい。


望むのはそれだけ。




「感覚はわからないけど、そんな奴もいるらしいよ」


そう感じてくれる人が増えたら、きっと皆が過ごしやすいと思う。




本当にそれだけで全然違う。


俺らはいないことになってるから。


いると思ってくれてる人がいれば、それだけで自分の存在を肯定できる。






何だか話が逸れちゃったな。




そう、俺を通じてセクシュアリティについて知ってもらうことが第一目的なんだけど、それだけじゃ俺自身がもたないんです。




愛情不足で育ったから、すぐエネルギー切れを起こす。


書きたいことも書けなかったり、時には皆にただ俺の弱音を聞いてもらったり。




こんなんでいいのかなぁ。




いや、どうしてもこんなペースでしか出来ないんだ。




精神疾患を持っている場合、健康な人の70%とかしか力を出せないって聞いた。


俺もきっとそうなんだと思う。


頭では100%出来るのに、どうしても動かない部分がある。


100やろうとして何度も失敗してきた。


まだ、いつ100出来るのかもわからない。




だから不安定だけど、また付き合ってくれる人、お願いします。




こんなだから、たまに俺自身のことも聞いてくれないかな。


それだけで、居場所があるんだ。