初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。
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山口県光市で起きた母子殺害事件で、犯人である少年の死刑が確定した。
※参考⇒Wikipedia
この事件には複数の要素があり、どこを語るのも難しい。
少年犯罪、強姦殺人、被害者遺族の公開など…
なかでも僕は、若くして結婚しこの事件に巻き込まれた本村洋さんに、強く惹かれるものがあった。
というのも、僕が初めて夢見た将来が本村さんのような家族だったからだ。
5歳の頃だろうか。
『「可愛い女の子と結婚して、奥さんと子供を守れる強いお父さんになりたい』
誰に語ることも出来なかったが、僕の中にはぼんやりとそんな思いがあった。
『学生結婚でもして、20歳くらいの若いお父さんになれたらなぁ』
学生結婚なんて言葉も概念も知らないうちに、なぜかそんなことを思い描いていた。
その数年後には、こんなことがあった。
ブライダルショップと言うのだろうか。
近くに、ウェディングドレスとタキシードが飾られているお店があった。
そのショーウインドーを見て、いつも複雑な思いに駆られていた。
『かっこいいなぁ。でも、俺はこっちを着なきゃいけないのかなぁ…』
ウェディングドレスを着たいと思えない自分。
スポットライトはそこにあった。
タキシードを着たい自分ではなかった。
男であるという自分から、女でなければいけない自分へと、シフトせざるを得なかった現実。
それを切り取る1シーンだったのかもしれない。
『この被害者の旦那さん、若いなぁ。それにしてはとてもしっかりしている』
当時23歳だったと思うが、僕の本村洋さんの第一印象はとても聡明な男性だった。
その後も、「この人は一体どれだけ法律を勉強したんだろう」と感じることがあった。
死刑廃止論者で構成された荒唐無稽な弁護団の陳述と相まって、彼の聡明さが際立っていたように思う。
そして、彼の知的で冷静な訴えが、激しい怒りと深い悲しみを物語っていた。
だが、彼と二つと変わらない年齢ながら、まだまだ精神的に幼い僕にはわからないことも多かった。
昨日から、改めて事件記事を読んでみた。
やっぱり学生結婚なんだと知って経歴を探していたら、次の記事が見つかった。
本村洋さんの長い闘いの終わり。山口県光市の母子殺害事件、犯人の死刑が確定。
反対されながら学生結婚したこともさることながら、中学生から病気と闘い、子供は出来ないかもと言われていたとある。
幾多の困難を乗り越え、やっと手にした幸せだったことがわかる。
夕夏ちゃんの誕生はどれだけ嬉しかっただろう。
結婚や子供を持てることを当たり前と思っている人も多い。
だが、5歳で夢見て以降、自分は父親にはなれないという現実を突きつけられてきた僕には、どちらも特別なことだ。
僕と事情は違うが、本村さんもまた、この幸せを大きな喜びとして受け止められる人だったことが伺える。
そこに、事件は起きた。
僕が注目するのは、その自己中心的な犯行動機と反省の色のなさだ。
当時の少年、大月孝行は、強姦目的で本村宅に侵入。
だが、弥生さんに抵抗されたため絞殺。
母親にすがり、泣き叫ぶ夕夏ちゃんを尻目に屍姦。
犯行の発覚を恐れ、泣き止まない夕夏ちゃんも殺害。
その後、ドラえもんに助けてもらえるという理由で押し入れに放置。
さらに、一審で無期懲役の判決後に知人に書いた手紙には、
━━
犬がある日かわいい犬と出会った。……そのまま「やっちゃった」……これは罪でしょうか
━━
ともある。
その後、死刑判決が出た時も「死刑は受け入れるが、死刑理由には納得していない」と話すなど、自分の犯した罪を自覚しているとは思えない言動が続く。
これに対し本村さんは、「納得していないのに受け入れるということは有り得ない」と語っている。
本村さんは、いったい何度打ちのめされたのだろう。
事件の真相を知るたび、少年と対峙するたび、失意が深くなって行ったのだろうか。
事件の凶悪性、残虐性はもちろんだが、犯人が自分の犯した罪を自覚していないというのは、被害者感情を激しく逆撫ですると思われる。
被害は比較にならないが、うちの父親も自覚がなく、何ヵ月どころか何年でも同じことを繰り返している。
僕が父親のせいで警察の事情聴取を受けたときも、自分のせいで人が迷惑しているという感覚は微塵も感じられなかった。
本村さんは、そんな無自覚な被告に立ち向かったのかと思うと、苦労が忍ばれる。
その点、永山則夫は深く反省していたように思う。
※参考⇒Wikipedia
僕も当時を全く知らないので、テレビの特集などで公開されたわずかな情報だけだが、彼には自分の罪を償い続ける覚悟が感じられた。
少年犯罪で死刑か否かを判断する基準とされる、永山則夫連続射殺事件。
彼は4人を殺害したことで、不幸な生い立ちやその後の贖罪をもってしても死刑となった。
いくら反省しても、情状酌量の余地は認められなかった。
光市の事件も、永山事件も、僕は犯人の親にも相当の罪があると思う。
虐待を受けた子供がみな犯罪者になるわけではないが、その後の人生にまで重大な影響を与えている点で、実際に犯行に及んだ人間以上に卑劣だと感じる。
知らない人間は、家庭環境のせいにすることを責任転嫁などと言うが、それは愛されて育った人間の戯言だ。
親に愛されないということは、人としての軸がないまま生き存えるということ。
愛されて育った人間より大きな負荷を背負い、荷を下ろす術も知らぬまま、同じ土俵で闘い続けるということなのだ。
奈良県の医師宅放火殺人事件では、虐待していた父親を殺そうとした長男(16歳)が、結果的に父親以外の家族3人を殺してしまった。
※参考⇒奈良・母子3人放火殺人事件
この少年は広汎性発達障害と思われるが、メディアではそこを挙って取り上げた。
比較的有名だったアスペルガー症候群の名称で、障害と犯罪の因果関係を思わせる報道だった。
だが、事件の要因は広汎性発達障害ではない。
このような虐待を受けていたら誰でも傷つくだろうし、それが反社会的な人格を形成し、犯罪へと繋がる場合があるということだと思う。
寧ろ、このような教育しか出来なかった父親の方が人格的に問題がある。
本村さんは、再婚したそうだ。
本当に良かったと思う。
「遺族だって生きていかなければいけないんです」と、涙ながらに訴えていた本村さん。
彼の活動は社会に大きく貢献しているが、その結果以上に、彼が生き続けていることにとても大きな意味があるだろう。
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山口県光市で起きた母子殺害事件で、犯人である少年の死刑が確定した。
※参考⇒Wikipedia
この事件には複数の要素があり、どこを語るのも難しい。
少年犯罪、強姦殺人、被害者遺族の公開など…
なかでも僕は、若くして結婚しこの事件に巻き込まれた本村洋さんに、強く惹かれるものがあった。
というのも、僕が初めて夢見た将来が本村さんのような家族だったからだ。
5歳の頃だろうか。
『「可愛い女の子と結婚して、奥さんと子供を守れる強いお父さんになりたい』
誰に語ることも出来なかったが、僕の中にはぼんやりとそんな思いがあった。
『学生結婚でもして、20歳くらいの若いお父さんになれたらなぁ』
学生結婚なんて言葉も概念も知らないうちに、なぜかそんなことを思い描いていた。
その数年後には、こんなことがあった。
ブライダルショップと言うのだろうか。
近くに、ウェディングドレスとタキシードが飾られているお店があった。
そのショーウインドーを見て、いつも複雑な思いに駆られていた。
『かっこいいなぁ。でも、俺はこっちを着なきゃいけないのかなぁ…』
ウェディングドレスを着たいと思えない自分。
スポットライトはそこにあった。
タキシードを着たい自分ではなかった。
男であるという自分から、女でなければいけない自分へと、シフトせざるを得なかった現実。
それを切り取る1シーンだったのかもしれない。
『この被害者の旦那さん、若いなぁ。それにしてはとてもしっかりしている』
当時23歳だったと思うが、僕の本村洋さんの第一印象はとても聡明な男性だった。
その後も、「この人は一体どれだけ法律を勉強したんだろう」と感じることがあった。
死刑廃止論者で構成された荒唐無稽な弁護団の陳述と相まって、彼の聡明さが際立っていたように思う。
そして、彼の知的で冷静な訴えが、激しい怒りと深い悲しみを物語っていた。
だが、彼と二つと変わらない年齢ながら、まだまだ精神的に幼い僕にはわからないことも多かった。
昨日から、改めて事件記事を読んでみた。
やっぱり学生結婚なんだと知って経歴を探していたら、次の記事が見つかった。
本村洋さんの長い闘いの終わり。山口県光市の母子殺害事件、犯人の死刑が確定。
反対されながら学生結婚したこともさることながら、中学生から病気と闘い、子供は出来ないかもと言われていたとある。
幾多の困難を乗り越え、やっと手にした幸せだったことがわかる。
夕夏ちゃんの誕生はどれだけ嬉しかっただろう。
結婚や子供を持てることを当たり前と思っている人も多い。
だが、5歳で夢見て以降、自分は父親にはなれないという現実を突きつけられてきた僕には、どちらも特別なことだ。
僕と事情は違うが、本村さんもまた、この幸せを大きな喜びとして受け止められる人だったことが伺える。
そこに、事件は起きた。
僕が注目するのは、その自己中心的な犯行動機と反省の色のなさだ。
当時の少年、大月孝行は、強姦目的で本村宅に侵入。
だが、弥生さんに抵抗されたため絞殺。
母親にすがり、泣き叫ぶ夕夏ちゃんを尻目に屍姦。
犯行の発覚を恐れ、泣き止まない夕夏ちゃんも殺害。
その後、ドラえもんに助けてもらえるという理由で押し入れに放置。
さらに、一審で無期懲役の判決後に知人に書いた手紙には、
━━
犬がある日かわいい犬と出会った。……そのまま「やっちゃった」……これは罪でしょうか
━━
ともある。
その後、死刑判決が出た時も「死刑は受け入れるが、死刑理由には納得していない」と話すなど、自分の犯した罪を自覚しているとは思えない言動が続く。
これに対し本村さんは、「納得していないのに受け入れるということは有り得ない」と語っている。
本村さんは、いったい何度打ちのめされたのだろう。
事件の真相を知るたび、少年と対峙するたび、失意が深くなって行ったのだろうか。
事件の凶悪性、残虐性はもちろんだが、犯人が自分の犯した罪を自覚していないというのは、被害者感情を激しく逆撫ですると思われる。
被害は比較にならないが、うちの父親も自覚がなく、何ヵ月どころか何年でも同じことを繰り返している。
僕が父親のせいで警察の事情聴取を受けたときも、自分のせいで人が迷惑しているという感覚は微塵も感じられなかった。
本村さんは、そんな無自覚な被告に立ち向かったのかと思うと、苦労が忍ばれる。
その点、永山則夫は深く反省していたように思う。
※参考⇒Wikipedia
僕も当時を全く知らないので、テレビの特集などで公開されたわずかな情報だけだが、彼には自分の罪を償い続ける覚悟が感じられた。
少年犯罪で死刑か否かを判断する基準とされる、永山則夫連続射殺事件。
彼は4人を殺害したことで、不幸な生い立ちやその後の贖罪をもってしても死刑となった。
いくら反省しても、情状酌量の余地は認められなかった。
光市の事件も、永山事件も、僕は犯人の親にも相当の罪があると思う。
虐待を受けた子供がみな犯罪者になるわけではないが、その後の人生にまで重大な影響を与えている点で、実際に犯行に及んだ人間以上に卑劣だと感じる。
知らない人間は、家庭環境のせいにすることを責任転嫁などと言うが、それは愛されて育った人間の戯言だ。
親に愛されないということは、人としての軸がないまま生き存えるということ。
愛されて育った人間より大きな負荷を背負い、荷を下ろす術も知らぬまま、同じ土俵で闘い続けるということなのだ。
奈良県の医師宅放火殺人事件では、虐待していた父親を殺そうとした長男(16歳)が、結果的に父親以外の家族3人を殺してしまった。
※参考⇒奈良・母子3人放火殺人事件
この少年は広汎性発達障害と思われるが、メディアではそこを挙って取り上げた。
比較的有名だったアスペルガー症候群の名称で、障害と犯罪の因果関係を思わせる報道だった。
だが、事件の要因は広汎性発達障害ではない。
このような虐待を受けていたら誰でも傷つくだろうし、それが反社会的な人格を形成し、犯罪へと繋がる場合があるということだと思う。
寧ろ、このような教育しか出来なかった父親の方が人格的に問題がある。
本村さんは、再婚したそうだ。
本当に良かったと思う。
「遺族だって生きていかなければいけないんです」と、涙ながらに訴えていた本村さん。
彼の活動は社会に大きく貢献しているが、その結果以上に、彼が生き続けていることにとても大きな意味があるだろう。