初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


━━━━━━━━━━━━


書きたいことはいっぱいあります。


叫びたいこと、知ってほしいこと、知りたいこと、頭ん中がぐちゃぐちゃで混乱しています。




聞き役が欲しいです。


僕の話をちょっと整理して欲しいのです。


じゃないと、脱線してばかりで自分でも何が言いたかったのか忘れてしまいます。


伝えたかったテーマから、どんどんズレてしまいます。




そして、上手く出来ない自分を責めてしまうんです。


要領よくやれない自分をダメだと思ってしまいます。


別にそんなことはないと思うけど、じゃあ何だったら出来るのか、どうしたら自分でも満足できるのかわからないです。




本当は書きたいのに、まとまりません。






いくつか発達障害のサイトを見ました。


本も読みました。


本は久しぶりです。




本は発達障害の人を助けようとするものが多いと思っていたので、もう読みたくないと思っていました。


それに、悪口みたいのは書けないから、本当にひどい話は書いてないことも嫌でした。


現実は、僕の父親のように救いようのない人もいます。






僕と同じように被害にあった人のサイトがありました。


すごく共感できたのがこれです。

火星人と結婚して離婚して


罪の意識がないところとか、うちの父親とそっくりです。




この人が紹介している『一緒にいても一人』という本を図書館でちょっと読みました。


Amazonのレビューにもあるように、僕もこんなに辛抱強く我慢できる人はいないと思いました。


謎が解けても、僕は親を許せません。


ごめんなさいを言えない人を許したくありません。


カトリンさんは、愛し方を知らなかっただけと言ってるけど、僕は理屈でわかっただけの気持ちを愛情とは言わないと思います。


僕が欲しいのはそんなものじゃないです。






過去を振り返って色々書こうとすると、たまに苦しくなってきます。


思い出すのが辛いのか、自分でもよくわからないです。




自分が経験してきたことを誰かが言葉にしてくれるのは、とても助かります。


だから今は、サイトや本を見るのが苦痛ではなくなって来ています。


そこにはわかってくれる人がいるって思えて、少し落ち着きます。




でも、それを生かして書こうと思うとなぜか辛くなります。


書かなければいけないと勝手に自分を追い詰めてしまいます。






どうしたらいいですか?


時間がかかってもいいですか?




吐き出したいことはいっぱいあるんです。


聞いてほしいです。
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


━━━━━━━━━━━━


母方の祖母が、父親の悪びれない様子を見て、

「自分の息子だったらゲンコツしてやりたいよ」

と言っていたことがあった。


何度注意してもおだってばかりいて、ろくに聞いちゃいないからだ。




『おだつ』という言葉は、北海道の方言で「調子に乗る」というような意味。

子供がはしゃいで興奮冷めやらず、ふざけていたりわくわくして心が浮き立っていることを指す。


「いつまでもおだってないの」

などと子供をなだめるように言ったりする。


大人だと、宴会などのバカ騒ぎなどがおだっている例だろう。

「ちょっとおだち過ぎちゃいました」

と自嘲気味に言うことはあっても、大人に「おだつな」と注意はしない。




子供を注意する俗語なのに、父親はこのおだつという言葉がよく似合う(苦笑)

何を言ってもしょうもない屁理屈ばかりなんてこともあり、本当にゲンコツしてやってくれと思ったことも一度や二度ではない。






よく、母方の祖父母の家で麻雀をしていたのだが、父親は場況を把握していなくて色々やらかす。

本来はチョンボ(ルール違反)なら罰符(持ち点を支払う)なのだが、キリがないので父親は多めに見ることが多い。


それが、多めに見てもらってる態度じゃないのがね…何とも。




「遅いぞ~」と茶化すように人を急かしたり、上家の捨て牌を待たずにツモってからポンと言ってみたり(インチキこの上ない)。


ルールというかマナーを守れない。

だから、何度注意されても顰蹙を買うようなことを繰り返すばかり…。




そんな麻雀の最中に、父親が勝手に俺のチョコレートを食って文句を言い始めた。


「何だこれ、うまくねぇな」


人のもん勝手に食って、どんな言い草だよ…。




俺は注意したんだよ。


「苦くて父ちゃんなんか食べられないよ」

って。


うちの犬でさえ、欲しがったものが不味かった時は申し訳なさそうな顔するぜ。

口から出したいけど、人が見てるときには出さないで我慢してるよ。




苦いに決まってんだよ。


カカオ86%って書いてるだろ?

ビターでさえよう食わんのに、ブラックのチョコなんか食えるわけないやろ!

お前の好みと注意力と余計な一言まで先回りして「食べるな」って言ってやってるのに、何だそれ……?




「だって、苦くて…」


「だから言っただろ!!苦いって!」


人が大好きなチョコレート勝手に食うな!




本当に3歳以下だよな。

見せない触らせないぐらいしないと、被害を未然に防げないって……。


疲れるわ。


本当に誰かゲンコツしてやれよ。






先日、最近は少しはマシになった父親といつもの買い物に行った。


いつも、買い物した荷物を父親が一つ持って先に車に戻る。

残りの荷物をつめてる間も待ってられないからね。


その後、俺と母親が残りの荷物を持って車に戻ると、珍しく店の出入口近くに車を移動させてきた。

駐車スペースが水浸しだったので、乗り込みやすいようにしたらしい。

そんなこと気にしたことなんてないのに、今日はえらい気が利くじゃねぇか。




とはいえ駐車場の入り口に近くて、ちょっと入ってくる車の邪魔になりそうだなと思った。


取り敢えず入る車もなさそうなので、俺は運転席の後ろのドアを開けた。


後部座席に荷物を乗せながら、

「ここ入り口だから、もうちょっと前行けばよかったのに…」

と言った。


それを聞いて催促されたと思ったのか、

ノロノロと車が動き始めた。


荷物置いてる最中だよ。ドア開いてるのわかるじゃん。




「おい!チョット何で動いてんの?足踏んでるって!」




俺の左足は車に踏まれた(苦笑)




「お父さん!何してんの?」

母親の言葉にも父親はテンパってるのか返事はなく、


俺が、

「チョット下がってくれ」

というと、少しバックして左足は抜けた。




幸い、踏まれたのが爪先だけだったこと、冬場でブーツだったこと、サイズが大きめで爪先に遊びがあったことが重なり、足自体は踏まれずに済んだ。

FtM泰斗のトランス的第六感-201203031358000.jpg




それにしてもさ、少しはすまなそうな態度してくれよ。

後ろを振り返りもしないって…。






ゴニョゴニョ文句言ってるから、一発見舞ってやった。




ゲンコツ(苦笑)。
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


━━━━━━━━━━━━


近年、アスペルガーという言葉が知れ渡り、広汎性発達障害に関する書籍やサイトは、急速に増えたように思う。

だがそのほとんどが、自閉っ子の育て方、当事者発信、研究家の分類といった当事者を支援するためのものだ。


広汎性発達障害と関わる上での笑えない被害や、その被害から身を守る術は説明されていない。

親が発達障害でサポートを受けなかった場合、子供にどれだけ深刻な影響があるかなんて蚊帳の外だ。


同情されるべきは発達障害の当事者で、その周囲の人間は優しくサポートしなければいけないかのような論調。

発達障害を知ったとき、俺がどんなに辛かったとしても、親を責めてはいけないと言われている気がした。




うちの親には何の責任もないのか…

彼らに責任能力がないとすれば、周囲の大人に責任はないのか…


全部俺のせいにされて堪るか。


それが、発達障害を詳しく調べる動機になったように思う。






俺の両親は、知的障害はなさそうだが自閉の特徴はいくつかある。

自閉の症状全てが揃っているわけではないから、特定不能の広汎性発達障害に含まれそうだ。


おおよその傾向から言えば、母親がアスペルガー症候群、父親がカナー寄りの高機能自閉症あたりだろう。




推測の域を出ないのは診断を受けていないからだが、大人になってから診断するのは難しい。

今の医学では幼少期の発達から診断をつけるので、その時期を客観的に知る人間(主に親)が必要になる。

そうなるとうちにはもういないし、本人に受診の意志もない。

何より、診断だけ受けても何も解決しない。


それでも名称を探っているのは、わからないことが多すぎるのと、こちらが対処しないと生活できないからだ。




色々調べてみるものの、それだけではわからないことが多すぎて、当事者やその親が日常を書いてたりする方がよっぽどわかりやすかったりする。


『とても個性的』とか『独特の雰囲気』なんて優しく表現したところで、逆にわかりにくいと思う。






うちの父親は知的にもそう高いレベルにないので、難しい話は通じない。

最近は老化も加わってるので、これ以上の進歩は望めないだろう。


親を侮辱し過ぎだが、ちょっと知ったかぶりをしてる小学生と話してるぐらいの印象なのだ。






男として生活し始めて間もない頃に、友人にぼそっと言ったことがある。

「30歳近くなって、スーツの着こなし一つ知らないなんて、大人の男として格好悪いよな」


それに対し友人は、

「お父さんに聞いてみれば?」




俺は、返す言葉がなかったw


父親に何かを聞くなんて有り得ないことだったから。




言われてみればその通りなのに、うちでは父親が当てにならないのが当たり前だった。

誰もそのことをおかしいと思っていないし、父親自身も自分が頼りにされない存在であることに、何の感情も持っていなかった。


この時、そのことに逆に気づかされた。




変な感覚だったことをよく覚えている。

悲しかったんでもショックを受けたとかでもない。

うちの家庭が、有り得ないくらい治外法権だったことをぼんやりと認知した瞬間だったのだと思う。




俺が中学生にもなると、未熟な父親はもはや親ではなかった。

『父親の背中』と言うが、本人に背中を見せる意志もなければ、実際に子を守りもしないのだから、俺に頼れるものが何もなかったのも当然かもしれない。






一方、母親はというと、語彙は俺よりありそうで知識も豊富なので、一見問題ないように見える。

性格的にも前に出るタイプじゃないので、外面はすこぶるいい。


だが、俺にとってはこれが苦しい材料だったりする。


誰に話しても母親の評価が高いので、そんなはずはないという印象を持たれやすい。




俺だってそう思ってきた。


口では立派なことを言う母親。

教師や他の大人の忠告を素直に聞き入れる。

真面目そうで謙虚で控えめ。


子供の感情を踏み躙ったり、親の価値観を押しつけたりするような、頑固で冷たい母親には見えない。




しかし、父親もそうだが、母親も、我が子が心を持つ一人の人間とは認識していない。


他人は文句も言うし、自分で判断して進むことが出来る。

その点、自分の子供からは大人のように訴えられないし、文句を言われても親の言いなりに出来る。


親の判断が子供にどう影響するかは、彼らの想像の範疇にはないのだ。




母親は、自分の感情や思考は説明しないのに、子供にはそれを当然のように求めた。

言葉が拙いとか、母の表情に怯えて上手く表現できないとか、そういう事がこの人にはわからない。


察知するとか探るということがないので、気づいてもらえない俺としては、もどかしいし怖い。

普通の人なら絶対にわかるはずのことがわからないから、無視されてると思う。


説明しても拙い言葉を拾ってはくれないから、もう何を言っても無駄だと思うようになった。

いつからかすっかり諦めるようになると、たまに沸き起こるわかってほしい感情を押し殺すように、俺は何も感じなくなっていった。


いつ母親が不機嫌になるかわからない。

いつ執拗に鋭い言葉で責め立てられるかわからない。


不測の事態に弱い母親は、自分の予想外のことには常に逆切れする。

それもヒステリックな感じではない。


理屈でじわじわと俺の言動や思考を否定するのだ。

なまじ言葉を知っている分、子供の俺はいつも逃げ場なく追い詰められた。


そして、ひたすら耐えるだけの期間が長かったことが、今でも恨み辛みとなって残っている。






発達障害の当事者も、自分が人と何が違うのか悩んできたという人はいる。

定型の人とどう関わったらいいのか教えてもらえないと、どうしていいかわからないというのはあるだろう。




ただし、それは本人に自覚がある場合に限られるように思う。

父親ぐらい幼稚だと、注意されてもそれさえわからない。

母親のように外面は優等生の場合は、他人は問題に気づかないし、気づいてもこの人なら自分でやれるだろうと判断される。


本人達は全く困っていないのだ。

こうなると直りようがない。




だから、俺が親に子供の頃の辛かった話をしても、それは俺だけの問題で全く意に介さなかった。


父親は鼻で笑ってバカにした。

母親は終始強気で、俺の考えは否定した。


うちの場合は、祖母や叔母までが俺が原因だと思っている。






親が発達障害だとわかっていたら、親の言動を許せたかと言ったらそうではない。

思春期に、「障害だから仕方ないんだよ。許してね」なんて言われたら、不満のやり場がなくなったに違いない。


でも、俺の子供時代はそれ以下だったと思う。

子供の心に全く関心を持たない親が揃っていて、誰もその異常に気づかない。


おかげで、俺はずっと自分が悪いと思ってきた。

ずっと自分を責めてきたんだ。




思春期には、親はもう子供の成長について行けなくなったのだろう。

大人の手本を持たない俺もまた、友達と上手く付き合えなくなっていた。

加えて性同一性障害で、大人の性へと移行する時期には居場所がなくなった。


これらが重なったのは偶然なんかじゃない。

間違いなく必然だ。




発達障害の持つ『人の心に無関心』というのは、定型の比ではない。


定型は、人に心があることくらいは知っている。

だから定型の場合の無関心は、人の心が共感できるものではない場合、興味を示さないという程度だと思う。


それに比べて発達障害は、人に心があること自体を認識していない。

だから、関心がない場合にはその人がいないかのように振る舞う。




この振る舞いは、子供の俺には強烈な破壊力を持っていた。


俺は女の子としては十分に不自然な子だったはず。

だが、普通の親ならパニックになりそうな状況を、両親は華麗にスルーした。


図太いのではなく何もわかっていないと知ったのは、つい最近。


親は幸せだったろう。




一方俺は、一部だけを見た他人でさえわかることを、親がわからないとは思えなかった。

だから、親はわかっていながら無視=否定しているのだと感じた。


そして、親にも認められないこの感情(自分は男として生きるべき)を貫くことは悪なのだと、自分を納得させるしかなかった。






桜を待ちわびる春の日に、スカート姿の俺と母親。

中学の入学式を終えて家路につく俺の胸には、冷たい風が流れていた。


もう、桜は咲かないことを感じて…