初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


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ご無沙汰です。

体調は悪くないですが、色々忙しくて放置してました。

その間、性同一性障害に関するニュースがいくつかあったようですね。




まず、保険証の性別表記については、松江市のMtFの例を以前も書いた。

今度は、札幌市で性自認の性別表記を認めるようになった模様。

松江のMtFは一転して認可が下りなかったのに対し、こっちは※印をつけて認めるらしい。

つまり、FtMなら男※、MtFなら女※のようにしてくれるようだ。




性別って、日本人が血液型を知りたがる傾向に似てると思う。

日本人は、血液型で性格分類する。

A型に見えるとか、そういうところはB型っぽいとか、洒落で言ってるうちはいい。

それがなぜか、A型なんだから几帳面でしょ?とか押しつけ始めるとしたら、こんなアホらしい話はない。


外国人は、自分の血液型なんて知らないという。

人に血液型を聞く日本人は、不快だとも聞く。

医者でもないのに、人の血液型なんて知ってどうするんだと。


生まれた時の体の性別や治療の経緯も、医療関係者だけが知っていればいいことだと思う。

体の性別を知ってほしい人だけ、明らかにすればいい。

裸の付き合いより、自認と関わる方がはるかに多いのだから。






もう一つ、性同一性障害関連のニュース。

FtMは戸籍上の父親にはなれないという判決が出た。

FtMの人が女性と結婚して人工受精で作った子供は、母親はその女性だが、父親は空欄のまま。

司法の判断は、特別養子縁組をすれば子供は実子と同等の権利を得られるので、養子で登録しろということだった。




この問題、最初は数年前にNHKのニュースで見た。

俺の第一印象は、別にこれ、性同一性障害に対する差別ではないでしょ?だった。


なぜなら、一つには高田延彦・向井亜紀夫妻や野田聖子議員のような例があるから。

現行では、産んだ人が母親とされる。

だから、向井亜紀さんはDNAでは母親だが、産んでいないので戸籍上は母親とは認められなかった。

反対に野田聖子議員は、卵子提供を受けて自分が出産したので、DNAでは親子関係はないが戸籍上は母親になった。

医療技術に、法律が追いついていないのが現状なのだ。


野田聖子議員の例を母親と認めるなら、FtMを父親としても問題なさそうだが、その辺の議論が進んでいないのだと思う。

また、子供を産まない男性の場合、ちょっと状況が違う。


普通の男の場合、精子提供を受けて奥さんが子供を産んだ場合、そのまま夫が父親として戸籍登録される。

それは、元から戸籍が男と女なら体も男と女だろうし、その二人に子供が出来ることはあるだろうから。

夫が不妊とか、ぶっちゃけ他の男の子供でも、そんなことは調べないから、父親になれてしまう。

で、裁判をしてる前田さんってFtMは、他の男は調べないで父親になれるんだから、自分もなれて当然だって訴えてる。


それはわかる。

戸籍を女から男に変更することを認めて結婚も出来たんだから、その子供にとってはそのFtM以外に父親はいない。

法的にはDNAを条件にしていないのだから、FtMであろうと認めておかしくないとは思う。


ただ、訴え方が下手だなぁという印象。

代理母出産でさえまともに議論できていない社会で、性同一性障害なんか絡んだ問題を国が取り合うわけもない。

だって、性同一性障害の戸籍変更の要件に子供がいないことをあげるような国なんだよ。

他国で戸籍変更を認めている場合は、子供なんか言及していない。

元の体の生殖機能の喪失も要件にある。


わかりやすく言うと、普通の男と同じくらいの見た目に手術するなら特別に認めてやる。

ただし、子供が欲しいとか普通の幸せは望むなってことだと思う。


もちろん間違っている。

平等であるべきだ。

これからは、iPS細胞からFtMの精子も作れてしまうかもしれないしね。

FtMが、戸籍上どころかDNA上の父親になる日もそう遠くはない。

性同一性障害の問題を通じて、社会が考えるべき事柄は意外と多いように思う。




ただ、FtMが戸籍上の父親になれないことを、性同一性障害に対する差別として訴えるのは、俺は違うと思う。

性同一性障害を差別してるのではなくて、不妊と最新医療に関することに法律が追いついていないからだと感じる。

男性の不妊もあるのに、子供が出来ないと肩身の狭い思いをするのは、未だに女性の方が多いような気がする。

子供を産まなければ、ひいては男性と結婚しなければ女性ではないような見方は、まだまだ根強いとも感じる。


性とは何か、子供とは何かを皆で考える必要があると思う。


子供に愛情を注げない人、子育てに向かない人というのは、少なからず存在する。

親になる能力がないのに子供を作るくらいなら、子供を作らない勇気を持つ人を応援したい。




FtMの嫡出子の問題は他にも言いたいことが一杯あるのだが、長くなるのでまた。
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FtMは男なのに男の体をしていないから、「ちゃんとした体ではない」という当事者がいる。

間違った体であると強く主張する人もそうかもしれない。


それもトランスの一つの感覚だろう。




でも俺は、「ちゃんとした体ではない」とは思っていない。

不一致というのは社会が生んでいる感覚だとも思うので、俺に不似合いだとは思うけれどこれが自分の原型だ。


ゆえに、俺には体に対する嫌悪感はない。




こう言うと、「それはトランスではないのでは?」と考える人がいるのかもしれないが、ちょっと待ってほしい。

嫌悪感はなくても、確実に違和感はある。

それも、女の体をしていれば「○○のはずである」という期待が、より一層不快である。


そして、この不快感だけなら、自分に合わない女性ジェンダーを期待される女と何も変わりはない。

問題はこの先で、俺は自分に合わない女性ジェンダーを期待されなければいいかと言えば、全くそうではないということだ。

要するに、女として受け入れられることでは違和感が解消されなかった。


女らしくない自分にコンプレックスを持っている女性なら、そういう女として受け入れられた時点で問題は解決する。


これが、性自認の違いと認識している。




俺は、女としての環境は随分恵まれていたと思う。

世間一般で言う女の子らしい子ではなかったのに、そういう女として受け入れられたことは多かった。

確かにいじめられるような経験もしたが、同じくらい評価してくれる人もいた。

バランスが取れていたので、嫌がらせだけを苦にすることはなかった。

批判があるのは、どこに行っても目立つタイプなので仕方ないと思うようになった。


これで満足できれば、間違いなく女だ。




だが、そうして女性として評価が上がっていくことが、俺には他人事に思えてならなかった。

なぜか。

女という性別に所属している意識がなかったから。


俺の中では他の男と同じことをやっただけで、そんなことが称賛に値するとは思えなかった。

本人が女ではない以上、女性の権利やウーマンリブの主導者のように祭り上げられても複雑である。

この立場に満足するようになることに、恐怖感さえあった。




では、女の体をしている俺を、男と全く同じだと思ってほしいと考えているのかと言ったら、それもちょっと違う。


それは無理な話だ。

人として平等、かつ男の一種として接してくれたらとは思う。

どんなに期待されても女ではない。


ただ、見た目も育ちも男ではない人間を普通の男として扱うのは、努力が必要になる。

卑下する意味ではなくトランスは普通の男とは違うのだから、変わった男として認識してくれたらと思う。


トランスだとは知っているが、普段は意識せず普通の男として接してくれていて、男としてもトランスとしても特別な気遣いがないのが理想だろうか。

それには、トランス自身の努力なくしては成り立たない。




性同一性障害とは、自分の体が女であることやそれが意味するものは、しっかりと認識している状態だ。

精神障害などで自分の状態を正しく把握できていない場合は、一先ず診断を除外される。


俺は、自分が他の男の子とは違って女の体をしていることは理解していた。

確かに、思春期以降は体の違いが意味するものにショックを受けたこともあるが、だったら体を変えればいいという発想には行き着かなかった。


そうまでして男であることを証明しなければいけない理由がわからなかった。

体が男だから男として接する人は、結局、俺の内面を見ようとはしない人だと思うから。

リスクを負ってそんな人を増やすことに意味を見出だせなかった。


また、体を男にするだけで解決するとも思えなかった。

どうして、他の男とは違う体をしていたらいけないのだろうか。

誰も自分の意志で作り上げた性別ではないのに、なぜそのままの体で生きてはいけないのか。

手術して出来た男の体よりも、生まれ持った体を誇りたい気持ちの方が強かった。




ただし間違って欲しくないのは、俺は女の体という自分の肉体を好きなわけではない。

今の世の中では女の体はやはり不便であり、中々自信を持たせてももらえない。

この体に生まれてしまったから付き合っているだけで、もはや好きとか嫌いとかを考える対象ではない。


だから、止むを得ず女の体と向き合うことはしても、女性のようなメンテナンスはしない。

女として扱われることに何の興味もないのに、その必要はない。




よく、障害を克服するという言い方をするが、これは定型が作り上げた夢物語だと思う。

完治する病気ならまだしも、治らないから障害なのであって、克服するのではなくいかに付き合うかでしかない。


実は、「女の体は女らしく磨くしかない。男らしく磨き上げたいのなら治療するしかない」と考えていたところに、俺の苦痛の一つがあったようにも思う。

今思えば、女の体で女らしく過ごすか、男らしくするために治療するかの、究極の選択に悩んでいた。


別に、女の体のまま男らしく頑張ってもいいわけだし、治療しても女の良さを維持しようと努めても悪くない。

そう考えられるようになって、違和感とも上手に付き合えるようになってきた気がする。
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。


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イチローが久しぶりに進出したプレーオフ。

黒田も先発することだし、いつになく早起きしてヤンキースの試合を見ることにした。

快適に行かないことは予想していたけど……。




7時過ぎ、父親が起きていつものように菓子パンを手に取る。

朝食というか取り敢えずお菓子というか、朝一はいつもこんな感じだ。


次に冷蔵庫からウインナーを出し、台所のカウンターに置く。

もちろん、直に。


父親は、食べ物は何でも直に置く。

カウンター、テーブル、肘掛け、ダストボックス……。

皿も何も置かず、直接口に入るものを平気でそこら辺に置く。


当然、置いた場所も父親の手も汚れその手であちこち触るので、綺麗で安全な場所などあるのかという感じ。




こないだ母親が注意したばかりである。

その日も俺が朝起きて台所に行くと、なぜかカウンターが汚れていた。

バターかマヨネーズのようなゲル状の脂質が残っている。

どうやら、バターロールにマーガリンを塗って直に置いたと推測される。


その日は面倒で父親の指導には立ち合わなかったのだが、母親が必ず皿を出すように注意した。

さらに、必ず食卓テーブルで食べるようにも言った。




にも関わらず今日も父親は、ウインナーを直に置き、次にウインナーを手に握り締め部屋を出て行こうとしている。

「ちゃんと皿に乗せなさいね」


それを聞いた父親は皿にウインナーを乗せたものの、たかが2本のウインナーに15cmの丸皿。

しかも、普通は果物か生野菜にしか使わないであろう透明のもの。


だが、そこは俺も今は指摘しないことにした。

用途に合わせるなんて難題は、父親にはまず無理。

皿に乗せることを覚えるだけでいっぱいいっぱいなのに、そこに皿の種類まで言ったら何も残らないだろう。




父親は、残りのウインナーを冷蔵庫にしまい部屋を出ようとした。

菓子パンの入った袋を持ち、皿からウインナーを手につかんで……。


『いい加減にしろよ、コラ!』

怒りを通り越して笑える。


「皿に乗せてって言ったよな!?」

もう、歩きながらウインナーを食べ始めている……。


お前は、買い食い途中の小学生か!?

なぜ、皿に乗せたのに皿ごと持っていかないのだろうか。

わざわざ皿を汚して、立ち所にウインナーを握り締めて、一体何がやりたい。


もちろん、ウインナーを直に置いたカウンターを拭いたりもしない。




未だに皿に乗せる意味はわかっていないらしい。

これは、父親にしょっちゅう見られる因果関係の無理解。


また、こないだ注意されたバターロールと同じだとも認識していない。

これも、一般化・抽象化が出来ないアスペルガーの特徴である。






そもそも、食べ物を手で直に触らないよな。

料理で食材に触れたり、お菓子をつまんだりしたら、手を拭くなり洗うなりする。


ポテチつまみながらゲームをやると、よくコントローラーがベトベトになって友人同士喧嘩になったものだ。

その都度手を拭けという話になるが、それが出来ないのは面倒だったりつい忘れてしまうからだろう。


その点、父親の場合は根本が違う。

汚したという感覚がない。

汚れた手であちこち触って、その後自分が手や服を汚したりしても、自分が無精したせいだとはわからない。

もちろん、他人がその被害にあった場合には、自分に汚れとして返ってこないのでもっとわからない。

そのせいで怒られても、逆に不貞腐れる。

経緯を一から説明されないと、自分の行為が原因だと理解できないからだ。




本当はいつも自業自得なのに、本人の感覚はいつも自然災害に見舞われた被害者のよう。

この被害者面は、間違いなく人の反感を買う。

加害者が被害者面して、本当の被害者にキレてるんだからな。






一般化・抽象化出来ないと知った時は、目から鱗だった。

そんなことがあるのかというのと同時に、合点が行くことも多数あり、一つ謎が解けた。


今日の例で言うと、パンだろうがウインナーだろうが『食べ物』として一般化が出来ていない。

置く場所についても、台所のカウンターやテーブルを『食べ物を乗せる場所』として、一般化されていないと思われる。

だから、『食べ物』を『食べ物を乗せる場所』に置く場合には、必ず皿を使うというところに行き着かない。




以前、大喧嘩になったバナナもその例だし、お菓子では何度も同じようなことがある。


柿の種でもピーナッツでも、取り敢えず袋から台所へ直にぶちまける。

それを両手で集めて片手に握ったまま、自室へと向かう。

当然、台所にはお菓子くずが散乱したままだし、歩きながら食してるので絨毯に落ちていることも珍しくない。




普通は、あらゆる予測が成り立つのでこんなことはしないだろう。


直置きすれば汚れ、その汚れの始末という作業が一つ増える。

手で直接つかめば手も汚れるし、その手ではドアノブもさわれないと考える。

当然、触れればドアノブの掃除までしなきゃいけなくなるからね。

第一、柿の種を手に持ったままカウンターの汚れを始末出来ない。


いつぞや、片手にお菓子を握り締めてる父親に、「そこの菓子くず片付けてね」って言ったら、見事にお菓子をぶちまけたっけ。

この辺の感覚は相当鈍いようだ。

取り敢えずお菓子を置かないと、ぶちまけかねないという予測が出来ない。

器用な人でも両手でなければ出来ない作業を、はるかに不器用な父親が片手でやろうとする。






このように、予測が出来ないというアスペルガーの性質は、定型の経験不足などとは全く次元が違う。

日常の些細な手順さえ組み立てられない。


だから父親は、取り敢えず一つを手に取ってから次を考える。

ケーキを手に取り、フィルムを剥がし、両手がベトベトになってから食器棚をあけて皿を探す。


薬を口に含んで上を向いたまま歩きだし、慌ててコップを探し、人が使っていると文句を言う。


普通なら、ケーキは食べようと決めた時点でまず皿を準備する。

薬は、洗面所に持ち込めば一度に済む。






冷蔵庫の取っ手に白い粉が付着しているなんてこともあった。

小麦粉や片栗粉なのか、はたまた除草剤などの類なのか。


犯人は父親に違いないので問い質すも、余裕でしらばっくれる。

本人はしらばっくれてはいないのだが、人の話をきちんと聞かないし、自分が何かしなければいけないという態度が微塵もない。

因果関係を理解できないということは、自分の責任を自覚できないので、いつでも何をやっても余裕綽々である。


この辺は、アスペルガーの性質以前に、父親のどうしようもなく無責任な性格が大きな問題だと思うが……。

自分のことは自分で責任を取るという当たり前の感覚が、この人にはない。




で、粉の正体。

雪見大福。


経緯は同様です。






父親とやりあってる間に、ジラルディ監督退場しちまったし……。