初めての方は注意事項に目を通してからお読みください。
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(※2013/3/29 一部修正)
まずはこちらを。
性別変更男性の子「非嫡出子」=戸籍訂正の申し立て却下ー東京家裁(Anno job Logより)
(コメントは辛辣なものもあるので要注意)
医学の進歩と共に、性同一性障害(GID)の問題も複雑になってきたと改めて実感する。
しかし、時間の問題だったと思う。
精子提供(AID)を受けて子供を作ることは随分前から出来たわけで、家族を持ちたい願望だって以前からあったのだから。
5~6年前だろうか。
── 自分達も子供が欲しい。どうしたらそれが可能か。 ──
そんなことを掲示板でやりとりしたことがあった。
例えば、父親になりたいというFtM(男性自認で体は女性の性同一性障害)。
自分と血の繋がった子供は無理でも、彼女の子供なら愛せるという人。
一方、FtMの彼女。
FtMに子供の話は辛いことだとはわかる。でも、女として子供を産みたいと思うのも自然な感情という人。
養子を迎えることは出来るか。
精子バンクから提供してもらうことは可能か。
兄弟や親戚に精子提供を頼めないだろうか。そうすれば、少しは血縁もあるし。
やっぱり、血の繋がった子供がいい。
中には、クローン技術を応用して何とかならないかなんて言い出す人までいた。
私は、技術的に可能かどうかと言うより、それは何の為なのかということがとても気になった。
そうまでして子供を持とうとするのは親のエゴではないのか、子供の心理、成長にはどう影響するのか。
答えは出ないままだった。
性自認に合った戸籍を手に入れるのに精一杯だった時代や、体や名前を変えて少しでも生きやすくしようと頑張っていた時代には、家族なんて夢みたいな話だったろう。
社会の認知もない中では、結婚も子供も持てないことも覚悟の上で、性別移行のみに必死だったのだと思われる。
現在40代以上の諸先輩方は、そういう中を生き抜いてきたのだろう。
また、手術はもちろん、性ホルモンの投与でさえ、生殖機能を喪失させる作業でもある。
本人が自認する性別で言えば、生殖機能は生まれながらにない。
だから、普通の男女と同じ権利や幸せは求めなかった。
同じ権利や幸せまでは求めないからこそ、受け入れられていた部分もあったのだと思う。
それが、今の世代になってくると話は違う。
20代のGIDは、思春期には性同一性障害という概念があり、特例法で戸籍性の変更まで出来る時代に生まれている。
何をどう努力しても性別変更出来なかった時代から、性別違和感があるならルートに乗って医療も法も活用できる時代になった。
周囲からも「ホルモン打たないの?」「早く性別も変えられるといいね」などと、やけに理解のある言葉をかけられることもある。
特例法が出来たときに懸念されていた通り、本当に戸籍の変更まで必要なのか疑わしい人まで、性別を変えられる時代になりつつある。
特例法ありきの時代に生まれ育った当事者にとって、普通の男女と同じように結婚したり子供を持ったりすることは、もはや当たり前なのかもしれない。
そこには、性的マイノリティや障害者という自覚はない。
もちろん、GIDには結婚願望がないわけでも、子供に興味がない訳でもない。
結婚や子供を望む気持ちは性同一性障害も同じである。
その気持ちは誰かに否定されるべきものではない。
だが、性別変更したGIDが子供を望む場合、自然妊娠では不可能という現実を無視する訳にはいかない。
今の国の考えでは、まだまだ生まれたときの生物学的性が性自認よりもずっと重要なのかもしれない。
特例法のない時代、裁判で性別の変更を求めたGID当事者は、「生物学的性、すなわち、染色体XX、XYに基づく性が戸籍に記すべき正しい性である」という判決に屈した。
そこで、新たな法律を作るしか道がなくなり、特例法が出来た。
いくつもの要件を満たし、飽くまで変更という痕跡の残る形でのみ、やっと認められるようになった。
その特例法が出来てもう少しで10年になるが、制定当時から問題になっていた子なし要件でさえ、削除に至っていない。
ここに、生殖や子供、家族に難色を示す国の考えが見てとれる。
この点だけを見ても、国の認識は特例法制定以前とそう変わっていないのかも知れない。
性転換手術から性別適合手術と言われるようになったように、FtM当事者の私も性別を変えたいわけではない。
自分ではない性別が戸籍に記載されていて、そのために間違った性別で認識されるという感覚である。
戸籍に記された性別は、私の身分を証明してはいない。
体の状態を記すなら、確かに「女性」で間違ってはいないだろう。
しかし、私には体以外に女性性は備わっていない。
自身を女性と認識できたこともなければ、女性らしいと評価されて嬉しく思えたこともない。
女性の体に生まれた人間が、男性を生きることは容易くない。
だが、女性の体さえあれば女性を生きるのは容易いのかと言ったら、そうでもない。
女性になろうと20年近く努力し続けて来て女性になれなかったのだから、少なくとも女性という性は私には向いていない。
GIDにとって性を生きるとは、精神性を犠牲にして体の性を生きるか、体の性に逆らってでも精神の性を楽にするか、どちらかしかないのである。
どちらにしても不完全であると知りながら、そのどちらかを、もしくは無数にあるその中間を生きるしかない。
私が女性で生きるということは、もはや、その不向きな性を社会の為に生きてやっているという感覚しか生まない。
これではいずれ朽ちてしまう。
私も生きたい。
だから、消去法で男性しかないのである。
生き抜くために性別適合手術を受け、混乱を避けるために戸籍の性別を変更することは、そんなにも悪だろうか。
体の性に閉じ込めておいたら朽ちてしまう人間を、異端でも生かしておくことで、世の役に立たせることは出来ないのだろうか。
特例法の厳しい要件をクリアし、自認する性別が戸籍に記されても、それは変更でしかない。
今回の嫡出子の問題は、性別変更したことがわかる為に生じた問題である。
家裁は差別ではないと言っているが、性別変更した事実を参考にするというのは、他の男性と異なる扱いには違いない。
そもそも、性別変更の事実を、嫡出子の判断に用いなければいけないという法規定はない。
必要のないものを例外的に参考にしている点では、司法の判断はやはり差別的である。
元からその性別ではないということは、医療行為などを受ける際には開示する方が有用なこともある。
だから、何らかの形で残しておく方がよいだろう。
だが、それが戸籍事務管掌者がいつでも見られるというのは、些か問題である。
法的な取り扱いは、「変更後の性別に変わったものとみなす」というのが特例法の主旨である。
もし、今後も無関係なところで元の性別を考慮されるとしたら、それは無用な区別である。
この無用な区別は、時として当事者の被差別感情をあおることになろう。
そこで、前田良さんというFtMが、自分を父親とした嫡出子として認めるよう訴えを起こした。
この問題の抱える様々な側面について考えていきたい。
★参考
前田良氏ホームページ
「家族の会」
続き⇒ FtM嫡出子問題② 嫡出子とは何か
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(※2013/3/29 一部修正)
まずはこちらを。
性別変更男性の子「非嫡出子」=戸籍訂正の申し立て却下ー東京家裁(Anno job Logより)
(コメントは辛辣なものもあるので要注意)
医学の進歩と共に、性同一性障害(GID)の問題も複雑になってきたと改めて実感する。
しかし、時間の問題だったと思う。
精子提供(AID)を受けて子供を作ることは随分前から出来たわけで、家族を持ちたい願望だって以前からあったのだから。
5~6年前だろうか。
── 自分達も子供が欲しい。どうしたらそれが可能か。 ──
そんなことを掲示板でやりとりしたことがあった。
例えば、父親になりたいというFtM(男性自認で体は女性の性同一性障害)。
自分と血の繋がった子供は無理でも、彼女の子供なら愛せるという人。
一方、FtMの彼女。
FtMに子供の話は辛いことだとはわかる。でも、女として子供を産みたいと思うのも自然な感情という人。
養子を迎えることは出来るか。
精子バンクから提供してもらうことは可能か。
兄弟や親戚に精子提供を頼めないだろうか。そうすれば、少しは血縁もあるし。
やっぱり、血の繋がった子供がいい。
中には、クローン技術を応用して何とかならないかなんて言い出す人までいた。
私は、技術的に可能かどうかと言うより、それは何の為なのかということがとても気になった。
そうまでして子供を持とうとするのは親のエゴではないのか、子供の心理、成長にはどう影響するのか。
答えは出ないままだった。
性自認に合った戸籍を手に入れるのに精一杯だった時代や、体や名前を変えて少しでも生きやすくしようと頑張っていた時代には、家族なんて夢みたいな話だったろう。
社会の認知もない中では、結婚も子供も持てないことも覚悟の上で、性別移行のみに必死だったのだと思われる。
現在40代以上の諸先輩方は、そういう中を生き抜いてきたのだろう。
また、手術はもちろん、性ホルモンの投与でさえ、生殖機能を喪失させる作業でもある。
本人が自認する性別で言えば、生殖機能は生まれながらにない。
だから、普通の男女と同じ権利や幸せは求めなかった。
同じ権利や幸せまでは求めないからこそ、受け入れられていた部分もあったのだと思う。
それが、今の世代になってくると話は違う。
20代のGIDは、思春期には性同一性障害という概念があり、特例法で戸籍性の変更まで出来る時代に生まれている。
何をどう努力しても性別変更出来なかった時代から、性別違和感があるならルートに乗って医療も法も活用できる時代になった。
周囲からも「ホルモン打たないの?」「早く性別も変えられるといいね」などと、やけに理解のある言葉をかけられることもある。
特例法が出来たときに懸念されていた通り、本当に戸籍の変更まで必要なのか疑わしい人まで、性別を変えられる時代になりつつある。
特例法ありきの時代に生まれ育った当事者にとって、普通の男女と同じように結婚したり子供を持ったりすることは、もはや当たり前なのかもしれない。
そこには、性的マイノリティや障害者という自覚はない。
もちろん、GIDには結婚願望がないわけでも、子供に興味がない訳でもない。
結婚や子供を望む気持ちは性同一性障害も同じである。
その気持ちは誰かに否定されるべきものではない。
だが、性別変更したGIDが子供を望む場合、自然妊娠では不可能という現実を無視する訳にはいかない。
今の国の考えでは、まだまだ生まれたときの生物学的性が性自認よりもずっと重要なのかもしれない。
特例法のない時代、裁判で性別の変更を求めたGID当事者は、「生物学的性、すなわち、染色体XX、XYに基づく性が戸籍に記すべき正しい性である」という判決に屈した。
そこで、新たな法律を作るしか道がなくなり、特例法が出来た。
いくつもの要件を満たし、飽くまで変更という痕跡の残る形でのみ、やっと認められるようになった。
その特例法が出来てもう少しで10年になるが、制定当時から問題になっていた子なし要件でさえ、削除に至っていない。
ここに、生殖や子供、家族に難色を示す国の考えが見てとれる。
この点だけを見ても、国の認識は特例法制定以前とそう変わっていないのかも知れない。
性転換手術から性別適合手術と言われるようになったように、FtM当事者の私も性別を変えたいわけではない。
自分ではない性別が戸籍に記載されていて、そのために間違った性別で認識されるという感覚である。
戸籍に記された性別は、私の身分を証明してはいない。
体の状態を記すなら、確かに「女性」で間違ってはいないだろう。
しかし、私には体以外に女性性は備わっていない。
自身を女性と認識できたこともなければ、女性らしいと評価されて嬉しく思えたこともない。
女性の体に生まれた人間が、男性を生きることは容易くない。
だが、女性の体さえあれば女性を生きるのは容易いのかと言ったら、そうでもない。
女性になろうと20年近く努力し続けて来て女性になれなかったのだから、少なくとも女性という性は私には向いていない。
GIDにとって性を生きるとは、精神性を犠牲にして体の性を生きるか、体の性に逆らってでも精神の性を楽にするか、どちらかしかないのである。
どちらにしても不完全であると知りながら、そのどちらかを、もしくは無数にあるその中間を生きるしかない。
私が女性で生きるということは、もはや、その不向きな性を社会の為に生きてやっているという感覚しか生まない。
これではいずれ朽ちてしまう。
私も生きたい。
だから、消去法で男性しかないのである。
生き抜くために性別適合手術を受け、混乱を避けるために戸籍の性別を変更することは、そんなにも悪だろうか。
体の性に閉じ込めておいたら朽ちてしまう人間を、異端でも生かしておくことで、世の役に立たせることは出来ないのだろうか。
特例法の厳しい要件をクリアし、自認する性別が戸籍に記されても、それは変更でしかない。
今回の嫡出子の問題は、性別変更したことがわかる為に生じた問題である。
家裁は差別ではないと言っているが、性別変更した事実を参考にするというのは、他の男性と異なる扱いには違いない。
そもそも、性別変更の事実を、嫡出子の判断に用いなければいけないという法規定はない。
必要のないものを例外的に参考にしている点では、司法の判断はやはり差別的である。
元からその性別ではないということは、医療行為などを受ける際には開示する方が有用なこともある。
だから、何らかの形で残しておく方がよいだろう。
だが、それが戸籍事務管掌者がいつでも見られるというのは、些か問題である。
法的な取り扱いは、「変更後の性別に変わったものとみなす」というのが特例法の主旨である。
もし、今後も無関係なところで元の性別を考慮されるとしたら、それは無用な区別である。
この無用な区別は、時として当事者の被差別感情をあおることになろう。
そこで、前田良さんというFtMが、自分を父親とした嫡出子として認めるよう訴えを起こした。
この問題の抱える様々な側面について考えていきたい。
★参考
前田良氏ホームページ
「家族の会」
続き⇒ FtM嫡出子問題② 嫡出子とは何か