人生に疲れた人へ 其の壱


加藤諦三先生には、いつも助けられる。

そう、「頑張った」と言ってほしかった。




自分のセクシュアル感に言葉が与えられたとき、皆はどう思ったのだろう?


俺が、性同一性障害という言葉を知ったのは21歳の時。

間違いなくこれだと思った。

こんなふうに物事を確信したのは、後にも先にもこれが始めてだ。




でも、そのVTRを見終わった瞬間、「俺の人生返してくれよ」と思った。


「俺の方が正しかったじゃないか!!」




俺は、女で生きれば幸せになれると教えられてきた。

いや、母親の世界観の中で生きることが正しいのだと示された。


それは、俺が自分らしく生きることは悪であるということ。

自分のままでは生きる資格はないということだった。


一本道しかないということは、それが嫌なら死ぬしかない。

死ぬのも嫌だから一本道を生きてきた。

他の道は、誰も教えてくれなかった。




だから、騙されたと思った。

世界中の人間に謝ってほしかった。

「ごめんなさい。あなたは男でした。今まで勝手に女扱いして、申し訳ありませんでした。私は間違ってました」と。


特に母親には、「あんたの為に努力して女をやってきてやったのに……。あんたの為に優等生でいてやったではないか!」という気持ちで一杯だった。




物心ついたときには、俺も中身は男なんだと証明すれば「男だとわかってもらえる」と信じて努力してきた。

だが、そんな日は来なかった。


「自分らしく生きることは、俺には許されないんだ」と悟って諦めた。

「誰にどんな自由があっても俺にだけはないんだ」と、納得できないものを納得するしかないくらい疲れていた。

これが中学に入学した頃だ。




俺は必死に女になる努力をしてきた。

自分がなくなるまで努力した。

文字通り、死ぬまで頑張った。


もう一度同じことをやるとしたら、今度は人を殺すと思う。

地獄だと知らないから出来た。




「女らしい」ではなく、「頑張ってる」と言ってほしかった。

俺の女らしさは努力の成果だから、努力を評価して欲しかった。


女らしくなるのは、自分の為ではなかった。

自分の為に努力していいなんて知らなかったのだから。

母親の為に、世の中の為に、女らしくいれば、褒められると思っていた。

見返りが欲しかった。

その見返りが全てだった。




結果は何もなかった。

誰も気づいてくれなかった。

誰も無理してるとは思ってくれなかった。

まるで、生まれつき女らしいかのように褒められ、そうするのが好きかのように讃えられた。


女らしくなろうと思って努力してきたのに、その通りに評価されるほど哀しくなった。

本当は、こんなに頑張っているのに女になれない自分に、気づいて欲しかったのだと思う。




母親は、評価どころか俺を見てもいなかった。

見てもいないくせに、「あんたが勝手にやった」と言った。




まさに、こんな結果は予想だにしていなかった。

努力している時は、行き詰まることなんて考えていない。




学年3位、5教科中3教科で98点でも、母親は「もったいない。何で100点じゃないの?」としか言わなかった。

自己ベストを喜んでくれると思った俺は、そこから頭が真っ白になった。

どうしたら母親を満足させられるのか、途方に暮れた。


珠算2級をあと1問で不合格になったときも、「もっと頑張れば」と言われた。

先生には、2級は無理だからと準2級を勧められた上での結果だったのに。

準2級など意味がないと宣った母親の意向を汲んで受検したのに。


母親にとって重要なのは、100点や合格というわかりやすい結果だけだった。

物事の経緯や俺の努力になんて、興味がなかった。




こんな思いを何度繰り返しても、親が悪いとは思わなかった。

「言い返す」ことが出来ない権威主義的家庭というのは、正しい思考を奪う。

どこまで行っても、期待に応えられない自分が悪いとしか思わなかった。




女になれると思ったことはなかった。

それなのに女にならなければいけないことに、不安で一杯だった。

でも、母親が「女が正しい」と示せば、それが絶対だった。

従うしかなす術がなかった。


母親は、もう決まっていることだからと捨て置くだけだった。

性別だけでなくいつも無理難題を突きつけるが、それをクリアするための困難には絶対に付き合わなかった。

結果に文句は言うが、経過には見向きもしない。




だから、女の体なのに男で生きている人を知ったとき、一瞬で脱力するのを感じた。

自分を信じられなかったことが、情けなかった。

悔しくて仕方なかった。

何で俺は、今も女で生きてるんだろうと思った。




母親は正しくなかった。

それでも、俺は母親に従って女で生きてきた。

ちゃんと責任を取って欲しかった。

間違って俺に女を押し付けたことを、謝って欲しかった。




俺は今でも、女で生きた地獄の時間を「よく頑張った」と賞賛してほしいと思っている。

でないと、報われない気がしている。


矛盾してると思う。

埋没して普通の男として暮らしたいのに、FtMならではの努力を認めてもらいたいなんて。


でも、あの時間を「頑張った」と言ってもらえないと、何のために生きてきたのかわからない。

あんな地獄を与えておきながら、何も感じていない母親が許せない。




俺は頑張った。

俺は頑張ったんだ。
FtMの嫡出子問題(⇒参考『FtM嫡出子問題①~⑩』)を考える中で、改めて取り上げたいと思っていた内容がいくつかある。

その一つが、義理の親子関係と真実の告知だ。


子の出自を知る権利について強く主張してきたが、それは、告知する親にとっても覚悟とスタミナのいる作業だろう。

一口に義理と言っても様々なケースがあり、一概にどうとは言えない。

だが、当事者それぞれに複雑な思いを抱かせることは多い。


AID(精子提供)は、その義理の関係を作り出す方法でもある。

それゆえ、このような生殖医療に携わろうとする者は、一度立ち止まって考えてほしいと思っている。

自分の欲しているものは何なのか、命とは、家族とは、自分が生まれてくる子どもの立場ならどうして欲しいのかを。

性同一性障害(GID)が子どもを望む場合、生殖医療の助けが必須である以上、避けては通れないテーマと考えている。




そこで、私事で申し訳ないが、一例としてうちの家系の話をしたいと思う。




以前も少し触れたが、俺と母方の祖父とは血縁がない。

祖母が俺の母親を連れて祖父と再婚したからだ。

その事実を知ったのは、ちょうど10年くらい前。

俺が20代後半の頃だ。


祖母と叔母が話している雑談からだった。

その場に母親もいた。

俺の「えっ?そうなの?」という反応に、祖母は「あら、とっくに知ってると思ってたよ」と言った。

すると、母親は子どもには話してないと正直に言った。




その時の感情はよく覚えていない。

ショックだったわけではない。

ただ、特に何も感じていないように見えた母親が、なんだか奇妙に思えた。




その日、自宅に帰って母親を問いただした。

なぜこんなに大事なことを伝えないで来たのか、怒りを伝えたつもりだった。

だが、母親は事も無げにこう言った。


「気づくと思った」

もちろん、気づけばいいという話ではない。


血縁が家族の絆に絶対に必要だと思っていたからではない。

むしろ、祖父が母の養父だと知っても、義理の関係だと納得できるものがないくらい、ずっと自然な親子に思えていた。

祖父母の家族にぎくしゃくしたものが一切ないのに、なぜこれまで話さないで来たのか釈然としなかったからだ。


あるとすれば、年の差だけだった。

母親と祖父は15歳差。

中学生にもなれば、男はいくつで結婚できて…とわかるわけで、なぜだろうとは思っていた。

だが、そこで俺は誰かを疑ったのではなく、「きっと昔は法律が違ったんだ」と思った。

それで終わってしまうくらい、疑いようのない関係だったと言えるのかもしれない。


だからこそ、俺は早くに真実を知りたかった。

血縁がなくてもこれだけの関係を築いてきた祖父を、誇りに感じて生きてきたかった。


母親も隠す必要はなかったはずだ。

なのにほったらかしだったことに、酷く腹が立った。






最近になって、改めて真相を追及した。


すると、母親は言おうと思っていたと言った。

だが、これは明らかな嘘だ。


いつ、どう説明するつもりだったのかと聞いても、「子どもだったから、言ってもわからないと思って」と言うばかり。

いつの話だ?

一体、俺はいつ大人になるのか。
何だそのバカにした言い方は。

血縁がないくらいで、どうにもならんわ。

人を見くびるな。


具体的に答えられないのは、準備したことがないからではないのか。




母親は、かつて失敗例を経験している。

幼かった叔母(俺の母親の妹)が、家族から聞く前に隣人から真実を知ってしまったのである。

全くそんなことを勘ぐったことのなかった叔母は、とても驚いたようだ。


だが、隠していたというより、この家は良くも悪くも血縁など気にしていないのである。

忘れてしまったのか、祖父と母親は養子縁組さえしていない。

ある意味、無頓着すぎる。




その経験からか、叔母は自分の子どもに祖父のことを話していた。

それなのにうちの母親は…と思ったのだが、そこには複雑な事情があることもわかってきた。




母親は、自分とよく遊んでくれていたお兄ちゃんが、お父さんになるんだと思ったらしい。

俺も祖父にはよく遊んでもらったので、若いときから子どもの相手は上手だったのが窺える。


一方で、祖母の元夫(母親の実父)はというと、女を作って逃亡したらしい。

いなくなるまで、祖母は浮気には気づいていなかった。

元夫は数ヶ月して祖母に会おうとしたが、祖母の両親が断固として拒否したため、それきりとなった。


母親は、これらの事実を自分の祖母や曾祖母たちの会話から知ったという。

まだ4、5歳だった。

周囲の大人たちの真摯な告知を受けるまでもなく、事態を察し、ただ飲み込むしかなかったのだろう。

祖母の親たちの怒りもわかるが、その夫の子である母親の気持ちは、拾われずに来たのではないだろうか。




祖父は連れ子のいる祖母と結婚した後、実の子も出来た。

だが、実の子である叔母から見ても、実の子とだけ一緒のときに態度が変わるということもなく、本当に同じように接したという。

俺から見ても、連れ子と実子の違いを見つけるのは本当に困難であった。


祖父は、孫に対しても同じだった。

初孫の俺を筆頭に、いとこ(祖父の孫)皆が本当によく遊んでもらった。

いとこが子連れの相手と結婚したら、そのひ孫にまで好かれるくらいだった。

本当に不思議なくらい、分け隔てなく接する人だった。




母親は、高校生の時に実父と会った。

だが、「うちのお父さんの方がいいなぁ」と思ったらしい。

母親は、涙をこらえながら、声を絞り出すようにそう言った。


この再会が、母親にとっても一つの区切りだったのだろう。


母親が俺に真実を話しそびれてしまったのは、過去の傷が癒えていなかったと同時に、祖父との関係があまりに自然だったからではないか。

実際俺も、「祖父は母親の養父で、実父は……」なんて聞いても、ちっともピンと来なかった。

母親にとって本物のお父さんが祖父ならば、俺のじいちゃんもこの人しかいない。

養父とか血の繋がりがないという現実の方が、嘘臭い。






俺は怒っている。

こんないい父親を持っておきながら、ちゃんと伝えてくれなかったことに。

母親が一人で苦しんで来たことに。


じいちゃんに、一度も言ってやれなかったではないか。

「あんたは本物だった」と。






「人のものを盗んではいけない。でも、どんなに盗んでも咎められないものがある。それが知恵だ」

知的な遊びは全て祖父から教わった。

オセロ、将棋、囲碁、麻雀、知恵の輪、あやとり。

祖父が札を書いた百人一首まであった。


倒れるその日まで、祖父は新聞から囲碁の対局譜を切り抜いていた。

らしいと言うのか、いつまでも研鑽を積むことを忘れていなかった。




人は二度死ぬという。

一度は肉体が滅びたとき。

二度目は、人の心から消えたとき。


俺は、祖父の棺桶に九蓮宝燈の聴牌型を入れた。

麻雀好きならお馴染み、上がると死ぬと噂されるレアな役満だ。

そして、祖父への手紙にはこう書いた。


「上がり牌は俺たちが全部持っている」と。




この牌は、ずっと握りしめておく。
発達障害に関する本などには、よく「アスペルガーの人は嘘をつきません」と書いてある。


これは、はっきり間違いだと言いたい。




発達障害は嘘を「つかない」んじゃなくて、嘘を「つけない」だけである。


それは、嘘をつくべきところでも嘘をつけないという意味である。

知らないふり1つ出来ない場合がある。




「嘘をつかない」というと、何だか誠実でいい人そうだが、そんな印象を持たせることは罪だと思う。

それは表層を捉えただけで、発達障害の内実を示していないからだ。


「嘘をつかない」なら本人が意識的にやっていることだが、「嘘をつけない」というのは意図が存在しない。


つまり、見聞きした情報をそのまま表現しているに過ぎない。

言葉や相手を選ぶとか、状況を踏まえて伝えることを考えられていないということなのだ。


うちの両親なんかは、それらを踏まえて物事を考えることを知らないまま、大人になってしまっている。


「嘘をつけない」ことを無邪気だとか純粋だと許されるのは、子どもだけである。




嘘をつかないというと、「思ったことを正直に表現してしまうだけ」とか「純粋で真っ直ぐな人」とフォローされることがある。

悪い人じゃない、悪気がないのだから許してやれと……。


でも、それは発達障害と関わったことのない人のセリフだ。

彼らは、悪気がなくても毎日悪い言動のオンパレードある。

定型の悪い癖より、遥かに頻度が高い。

うちの父親なんかは、基本スタンスが、「言いたいこと、やりたいことをそのまま実行する」であるから、放っといたら状況に合わない言動だらけだ。


これを許していたら、聖人君子も倒れる。




発達障害の持つ正直さというのは、子どもが思ったことを口にするのと一緒で、ムゴい側面があることを忘れてはいけない。

悪事を隠したりミスをごまかしたりもしないが、善意や優しさから嘘をつくこともない。


これはうちの父親の例だが、(足腰の悪い高齢者を前にして)「遅いなぁ、邪魔くさい」、(自分が汚して掃除してもらったのに)「お前、随分汚いな」なんていうのが、正直だと誉められるだろうか。


これでも本人は、批判しているつもりはないのだ。

感じたことを口にしただけである。

しかし、それを聞いた人がどう感じるかという視点がないままに言葉を発すると、それだけ冷たい響きになる。




嘘をつくようになるのは、子どもの成長の証だと言う。

人や状況を見て、相手の機微を感じなければ嘘はつけないだろうから、意外と高等技術なのかもしれない。


発達障害は「嘘をつかない」なんて評価をせず、「嘘もつけない」ことにもっと目を向けるべきだと思う。

嘘一つつけないというのは、それだけ未熟な現実があるわけだ。


2~3歳の子どもでも嘘はつくだろう。




正直だし、真面目だから許すという発想は、発達障害の人間を見下している感じもする。

障害者理解にありがちな間違いだが、子ども扱いして高見の見物をするのは、理解ではないだろう。

誠実だから容赦するのではなく、必要なサポートをすべきだと思う。


*参考 ニキ・リンコの例
嘘をついた自覚がないアスペルガー