アダルトチルドレンというのは、ふとしたときに顔を出すから厄介だ。
つい先日も、何を読み間違ったのか、クソみたいなFtMと同一視されたと勘違いして、一人悶々としていた。
毒親に植え付けられた思想や、毒家庭の価値観は、中々抜けない。
例えば、子供の幸せを願わない家庭に育つと、自分の幸せを考えてくれる人とは居づらく感じてしまう。
本当は、自分のことを考えてくれる人が大事な人なのに、その好意を素直に受け取れない。
気にかけてもらって嬉しいと感じる自分が、親の教えに背いているような罪悪感に襲われるのだ。
だから、この罪悪感を一つ一つ振り払うのに多大なエネルギーを費やす。
数年前、ネットで恋愛相談をしたときに、「傷つき慣れている」と言われたことがあった。
「傷つき慣れる」という表現自体初めて目にしたのだが、言い得て妙だった。
その相談で俺は、相手がその気もないのに思わせ振りな態度で、苦しいと訴えた。
だが、相手の問題点を指摘されると、俺は必死に相手をかばっていた。
中には、「風俗とかで発散しようにも、FtMのあなたには無理だしねぇ」など、セクシュアリティにまで理解を示した同情的な意見も多数あった。
それなのに俺は、自分を応援してくれる意見にむず痒いものを感じていた。
だから、助けを求めて相談したのに、自分を責めてくれと言わんばかりに相手を擁護した。
俺はいつのまにか、自分が責められることに慣れ、それを求めるようになっていた。
苦しくてもそれが慣れ親しんだ空気である以上、責められないと寧ろ不安になっていたのだと思う。
加えてうちの親は、アスペルガーゆえか『信頼』という概念がない。
だから、俺が理解していることを何度も説明する。
これまでの経験から十分に出来ることも、決して一人では任せてくれない。
そうかと思うと、俺が一人では不安なことも、親の関心のないことだと見向きもしない。
彼らに協力はない。
自分の興味に合わせて絡むだけ。
そんなこととは夢にも思わなかった俺は、親から全く信頼されていないと感じていたように思う。
一人で出来ることに手出しされ、助けを求めると唐突に捨てられる。
それがなぜなのかはわからなかったが、自分が無能であると思い込むには十分だった。
安易に「スゴいですね」「尊敬します」などと言うのが、本気でないことはまだ、わかるようになった。
だが、逆が気づきにくい。
信頼とまで行かなくても、それなりに好意があるというのがわからない。
これは、虐められた経験や、差別されたことも影響してるのかもしれないが、常に、本当は嫌われてるのかもと考えてしまう。
俺は、親に静かに見守られた経験がない。
だから、そうして静かに見守る人の言動がどんなか、もう一つわからない。
うちの親は、とにかく俺をいじっていた。
心配してる訳でもないのに、それらしく口出しする。
だけど、絶対に助けてはくれない。
無知な分野なのに、専門家気取りでアドバイスする。
じゃあ、どうやったらそれが出来るのかと聞くと、逆ギレして話をうやむやにする。
そんな仲じゃないのに、俺のものを当然のように共有する。
俺の部屋も親の部屋と同様に出入りする。
誤解を解こうと説明したり、意見を言えば、文句を言うなと言われる。
余りの秩序のなさに放っといてくれと言うと、必要なことさえ知らせなくなる。
「干渉されるのを嫌がるから」と、それらの全てを俺のせいにされる。
俺の都合は関係ない。
俺の感情も関係ない。
親は俺に嫌われてもわからない。
俺に好かれようとも思わないから、言葉や態度を選ばない。
母親は本気で「私は言いたいこと言えないの?」って、驚いてた。
子供の気持ちを全く考えないで、言いたいことを言い続けてる親なんていない。
俺は、親の都合でかまわれるという、自己愛ばかり受け取って育ってきたのだと思う。
だから、心を鬼にして叱られるとか、助けたいのをグッと堪えて見守られるという経験がない。
そのため、理屈ではわかるけれど、他人がそれをしてくれてもそうなのかわからない。
期待されてるから厳しく言われたのに、人格否定ぐらいに感じてしまったり、敢えて何も言わないでいてくれたのに、見捨てられたと思ってしまったり。
自分でも面倒くさいと思う。
ネットなら、コメントしないのも優しさだったりするのに、知った風なことを言う人が、気になり過ぎてしまう。
俺のコメントに返してくれるのも「本当は迷惑なんじゃないか」とか、どこか考えすぎてしまう。
「くだらない奴だと思っていたら、とっくにフェードアウトしてる」
そう言われて、やっと目が覚めた。
ありがとう。
そりゃそうだ。
他人はそんなに暇じゃない。
人を見抜けないほどバカでもない。
うちの親みたいに、何でもかんでも絡んできたりしない。
もう少し、普通に人を信じて、安心して人と関わりたい。
つい先日も、何を読み間違ったのか、クソみたいなFtMと同一視されたと勘違いして、一人悶々としていた。
毒親に植え付けられた思想や、毒家庭の価値観は、中々抜けない。
例えば、子供の幸せを願わない家庭に育つと、自分の幸せを考えてくれる人とは居づらく感じてしまう。
本当は、自分のことを考えてくれる人が大事な人なのに、その好意を素直に受け取れない。
気にかけてもらって嬉しいと感じる自分が、親の教えに背いているような罪悪感に襲われるのだ。
だから、この罪悪感を一つ一つ振り払うのに多大なエネルギーを費やす。
数年前、ネットで恋愛相談をしたときに、「傷つき慣れている」と言われたことがあった。
「傷つき慣れる」という表現自体初めて目にしたのだが、言い得て妙だった。
その相談で俺は、相手がその気もないのに思わせ振りな態度で、苦しいと訴えた。
だが、相手の問題点を指摘されると、俺は必死に相手をかばっていた。
中には、「風俗とかで発散しようにも、FtMのあなたには無理だしねぇ」など、セクシュアリティにまで理解を示した同情的な意見も多数あった。
それなのに俺は、自分を応援してくれる意見にむず痒いものを感じていた。
だから、助けを求めて相談したのに、自分を責めてくれと言わんばかりに相手を擁護した。
俺はいつのまにか、自分が責められることに慣れ、それを求めるようになっていた。
苦しくてもそれが慣れ親しんだ空気である以上、責められないと寧ろ不安になっていたのだと思う。
加えてうちの親は、アスペルガーゆえか『信頼』という概念がない。
だから、俺が理解していることを何度も説明する。
これまでの経験から十分に出来ることも、決して一人では任せてくれない。
そうかと思うと、俺が一人では不安なことも、親の関心のないことだと見向きもしない。
彼らに協力はない。
自分の興味に合わせて絡むだけ。
そんなこととは夢にも思わなかった俺は、親から全く信頼されていないと感じていたように思う。
一人で出来ることに手出しされ、助けを求めると唐突に捨てられる。
それがなぜなのかはわからなかったが、自分が無能であると思い込むには十分だった。
安易に「スゴいですね」「尊敬します」などと言うのが、本気でないことはまだ、わかるようになった。
だが、逆が気づきにくい。
信頼とまで行かなくても、それなりに好意があるというのがわからない。
これは、虐められた経験や、差別されたことも影響してるのかもしれないが、常に、本当は嫌われてるのかもと考えてしまう。
俺は、親に静かに見守られた経験がない。
だから、そうして静かに見守る人の言動がどんなか、もう一つわからない。
うちの親は、とにかく俺をいじっていた。
心配してる訳でもないのに、それらしく口出しする。
だけど、絶対に助けてはくれない。
無知な分野なのに、専門家気取りでアドバイスする。
じゃあ、どうやったらそれが出来るのかと聞くと、逆ギレして話をうやむやにする。
そんな仲じゃないのに、俺のものを当然のように共有する。
俺の部屋も親の部屋と同様に出入りする。
誤解を解こうと説明したり、意見を言えば、文句を言うなと言われる。
余りの秩序のなさに放っといてくれと言うと、必要なことさえ知らせなくなる。
「干渉されるのを嫌がるから」と、それらの全てを俺のせいにされる。
俺の都合は関係ない。
俺の感情も関係ない。
親は俺に嫌われてもわからない。
俺に好かれようとも思わないから、言葉や態度を選ばない。
母親は本気で「私は言いたいこと言えないの?」って、驚いてた。
子供の気持ちを全く考えないで、言いたいことを言い続けてる親なんていない。
俺は、親の都合でかまわれるという、自己愛ばかり受け取って育ってきたのだと思う。
だから、心を鬼にして叱られるとか、助けたいのをグッと堪えて見守られるという経験がない。
そのため、理屈ではわかるけれど、他人がそれをしてくれてもそうなのかわからない。
期待されてるから厳しく言われたのに、人格否定ぐらいに感じてしまったり、敢えて何も言わないでいてくれたのに、見捨てられたと思ってしまったり。
自分でも面倒くさいと思う。
ネットなら、コメントしないのも優しさだったりするのに、知った風なことを言う人が、気になり過ぎてしまう。
俺のコメントに返してくれるのも「本当は迷惑なんじゃないか」とか、どこか考えすぎてしまう。
「くだらない奴だと思っていたら、とっくにフェードアウトしてる」
そう言われて、やっと目が覚めた。
ありがとう。
そりゃそうだ。
他人はそんなに暇じゃない。
人を見抜けないほどバカでもない。
うちの親みたいに、何でもかんでも絡んできたりしない。
もう少し、普通に人を信じて、安心して人と関わりたい。