このブログでは、発達障害[Wikipedia]の中の自閉症スペクトラム(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)について扱っています。

私の両親がASDやADHDの可能性が高く(診断は拒否)、私はその両親から結果的にモラルハラスメント(精神的虐待)を受けて育ちました。

ですから、ここでは『無自覚な』発達障害者からの被害を訴える内容が、主体となります。


★自閉症スペクトラム(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)を取り上げる趣旨

私は、幼い頃から両親の理不尽な言動に振り回されて来ました。
それが、アスペルガー症候群(AS)当事者(診断済み)の指摘により、両親も同種の障害の可能性が高いことがわかりました。
両親は未診断ではありますが、定型(発達障害ではない)とすると説明がつかない言動が、未だに数多くあります。

当初、障害者としてアスペルガー症候群(AS)や注意欠如・多動症(ADHD)の理解を促す書籍やサイトは多くあったものの、彼らからの甚大な被害を言及するものはありませんでした。

障害者の擁護と周辺者による理解を求めるものばかりで、親が何らかの発達障害で子供を傷つけていても、定型の子供は我慢して理解に努めなければならないのかと、違和感を覚えたのがきっかけです。

アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)と関わりカサンドラ症候群[Wikipedia]に陥ってしまった人や、なりそうな人が参考にできるかもしれません。

自閉症スペクトラム(ASD)の理解や障害者救済が第一目的ではありません。
ASD当事者やASDに理解を求める人には、合わない記事が多数ありますので、不快に思われたら退出してください。


★発達障害、アスペガー、ASD、ADHDなどの表記

記事により、アスペルガー、発達障害、自閉症スペクトラム(ASD)、ADHDと言葉が違いますが、これは両親が未診断で様態も様々であることと、DSM(世界精神疾患分類)などによる名称の変遷によるものです。

ややこしいですが、基本的には知的障害のない何れかの発達障害として、ほぼ同じ意味で用いています。

両親は診断を拒否しており、さらに60歳を過ぎて確定診断は不可能ですので、今後も曖昧な表現になります。
明らかな間違いは指摘して頂けると助かりますが、診断の要求などについてはスルーさせて頂きます。


★発達障害と私との関係

私の両親が何らかの発達障害と思われ、私は当事者ではありません。
遺伝性が高いという指摘もあるので、私にも発達障害の可能性があると思います。
ですが、診断の必要性を感じていないこと、簡易チェックでは定型の範囲内であること等から、私自身が発達障害の立場になることはないと思います。

また、話題の中心となるのは、両親の状態とその両親から受けたネグレクト(養育放棄)や、モラルハラスメント(精神的虐待)についてです。

発達障害の親が必ず虐待する訳でも、虐待している全ての親が何らかの発達障害を抱えているという訳でもありません。
自閉症スペクトラム(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)の問題は子への虐待だけではないですし、虐待原因の全てが先天的な障害ということもありません。

しかしながら、私の家庭ではこれらの発達障害ゆえに虐待を引き起こした側面があり、ここを考察しています。


★発達障害全般の理解について

発達障害の特徴は、個性と受け止められるものもあります。
私には自閉症スペクトラム(ASD)の友人も複数いますが、彼らはユニークな存在として付き合うことが出来ています。

また、周辺者の対応のせいで、ASD当事者が社会不適応を起こしている場合もあると思います。

しかし、ASDの当事者は、自覚がないために自分の言動を省みず、迷惑をかけ続けることがあるのも事実と認識しています。

私が問題として取り上げているのは、こうした現実に目を向けない、自身の発達障害に『無自覚』な当事者や支援者です。
障害と名が付くだけで弱者救済を声高に叫び、当事者の周辺で疲弊する人達の存在に無知な第三者です。

診断や療育を受け自身の障害と向き合っている当事者や、彼らをサポートする人を非難するものではありません。


★場違いなコメント、メッセージについて

以下の内容はスルーします。

発達障害の理解を訴えたり、その当事者を擁護するだけのもの。

特に、友人・知人に対するASDやADHDなどの判断を仰ぐもの。

発達障害当事者として、私の両親等にただ共感したというだけのもの。

重大な間違いなどではないコメントの削除依頼、及び承認要求。



今後も留意点があれば、随時追記させて頂きます。

2012/2/6 記載
2012/2/17 修正・加筆
2012/5/21 修正・削除
2014/9/9 修正・加筆
2017/9/30 修正
子供がいてアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム=ASD)のパートナーと別れられないという人こそ、「子供のために別れろ」と言いたい。


俺も色々しがらみがあってASDの親から離れられないでいるけれど、基本は離れることだと思う。

だから今は、同居しながらも出来る限り距離を取っている。


今すぐ出来なくても離れる準備をしよう。

少なくとも、こちらが平和に暮らせる距離を取ること。

ASDが、こちらの意を汲んで距離を測るなんて、絶対にないよ。


なぜなら、そういう障害だから。

それが障害というものだから。




離婚を留まる理由に、子供がASD親になついているというのをあげる人がいるけど、もうちょっと子供の性質を理解してほしいと思う。


子供なんて、余程のことがない限り親のことは好きだ。

俺もずっと、両親共に好きだった。

嫌っていい相手ではなかった。

そんな選択肢はなかったよ。


いや寧ろ、本来愛してくれるはずの親が愛情を注いでくれないから、ますます愛情を求めて親にしがみついた。

無意識だったけど。




皮肉なことに、子供に無関心な親ほど子供に愛され、子供を支配すると言われている。

子供が気軽に「パパ(ママ)なんて嫌い」と言える関係が、いい親子関係である。

子供は、愛されてる自信があるからそう言える。

愛されてる自信がなければ、見捨てられそうで怖くて言えない。

結果、黙って何でも親の言うことを聞くようになる。




うちの母親は、冗談とも本気ともつかない感じで「だったらよそのうちの子になれば?」と言った。

ASDは、本当に取りつく島もない。

「お母さんって~~だね」「満月満月ちゃんがお母さんのこと~~って言ってたよ」なんて会話も、母親が気に入らないと、酷く暗くなったり執拗に怒ったりした。

俺は母親のことが話題に上がったのが嬉しかっただけなのに。

以来、母親のことは何も話題にできなくなった。




明らかに虐待を受けている子供に親のことを聞くと、親の悪口なんか言わない。

寧ろ、親を庇う。

本当に不思議なくらい、どうしようもない糞親を称える。

週に一度しか食事を作らない親のことを、「今日はご飯作ってくれるんだ」と嬉しそうに話す。

週一で我慢してるのではなく、洗脳されて本当に週一をありがたいと感じている。

そんな洗脳を解くには時間がかかるし、その時は確かに可哀想な感じもする。

でも、その洗脳はいずれ解ける。

他の家庭や一般的な親のあり方を、一生知らないで過ごすことは不可能だから。


それに、必ず体に異変が起こる。

俺は、小学校高学年から不登校の兆しがあったが、大学の途中でついに学校に行けなくなった。

気づく時期が遅いほど毒されていた時間が長く、回復にも時間がかかることになる。

毒環境で培われた価値観を書き換える作業に、時間を費やすから。

子供のためを思うなら、出来るだけ早くASDとは離すことだ。




子供もASDなら、二人のASDの面倒を見ることになる。

一人で参ってるようではとても無理。

それに、療育で対応できるASDの子供も、ASDのパートナーのおかげで台無しにならないだろうか。

ASDは、同タイプならある程度共感できて良い効果もあるようだが、タイプが違う場合にはより悪化させると思う。


同様に、子供が定型ならASD親から虐待を受けることは必至。

今から自分と同じカサンドラ症候群を育てるようなもの。

加えて、既にカサンドラになっている自分の影響も受ける。


愛情もなくASDにイライラするばかりなのに、「あなたのために別れないでいる」なんて、子供には本当に迷惑だと思う。

子供に悪影響だと認識しながらそのままにすれば、子供は放置されたことにも傷つく。

無能なASDの親には無感情になるが、助けてくれない定型の親には恨みが募る。

それでも子供は親を許すしかない。

生きていくためには、殺したい親でさえ受け入れるしかない。




経済的な理由で今は離婚できないという人も、それを理由に諦めてはいられない。

離婚すれば、あなたにとってASDは所詮他人だ。

でも、子供には親。

どんな人でなしのASDでも、親なんだよ。

親を捨てるのはスゴいエネルギーがいる。

俺は、ずっと罪悪感との闘いだった。


関わった時間が長ければ、その分力を費やす。

毒親に踏みにじられた心は、そんな簡単には回復しない。

そもそも、親が間違っていたと認める作業が、半端なく大変。

だから、出来るだけ早い方がいい。

記憶に残らないうちに、傷が浅いうちに、トラウマにならないうちに。




それに、こんな親を頼って、こんなASDの金で自分が生きているというのは、すごい劣等感を生む。

それは、ASDのパートナーも同じじゃないだろうか。

僕の稼ぎで、私の家事育児でと、事あるごとに自分のおかげだと押しつけがましいのがASDだし。


子供からすると、こんな親から生まれてこんな奴のおかげで生きている自分って、何だろうと思うよ。

アイデンティティを確立するのがメチャクチャ大変になる。




経済的には厳しくても、心にエネルギーがあれば何とかなると思う。

心がなくて金だけある生活は虚しいだけ。

金や物があっても、気力がなくなったら動けない。

無自覚のASDは心を食い尽くす。

それはあなたが一番よく知っているはず。


心の回復には、とにかく離れるしかない。
最近、父親の粗相で母親が感情的になっていることがある。

普段はヒステリックとは程遠い冷静な母親が、怒ったり泣いたりと興奮するのは珍しい。

体調不良でも家事を淡々とこなす人が、疲れきった様子である。

それくらい父親は手がかかり、さらに人の感情を逆撫でするような言葉を連ねている。

だから、ある意味当然なのだが。


俺は母親に同情する気にはなれない。

なぜなら、同じように父親の言動に四苦八苦していた頃、母親は我関せずだったから。

それどころか、父親の問題行動を助長させることばかりしていて、母親の無意識の加勢に怒りが蓄積していた。




例えば、裏口を開けたまま早朝に2時間も散歩に出てしまう父親に、俺は何度も注意をし約束をさせた。

不用心だから鍵をかけること。
施錠せずに出掛けたときは家にはいれない。
次からは鍵自体を没収する。

だが、父親は施錠を忘れるのではなく、そもそも鍵を持たずに外出していた。

いつのまにか鍵を持って外に出る習慣さえ失われていた。

それを注意する度に、たまたま忘れただの言い訳のオンパレード。

しかも、俺が閉めて入れなくなっても、その度に母親が中に入れていた。

母親には、「鍵をかけないで出掛けた罰なんだから入れるな」と何度も言ったのだが、父親がかわいそうだと許してしまい、俺が鍵を没収しても母親が合鍵を渡すことが続いた。


埒が開かないので、もう注意するのをやめて実力行使でとことん閉め出すことにした。

母親が外出した時には、内鍵も閉めて、二人そろって反省してもらった。

それでも裏口から母親の鍵で家に入ってきた二人に、俺は一切口を利かなかった。

数日後、さすがに母親は疲れた顔をしていたが、父親は全く何も変わらなかった。

二人とも、何か聞くでも窺うでもなかった。


そんなことを何度か繰り返すうちに、母親だけは俺に謝るようになった。

それでも理由は全く理解していなかった。

だから、経緯を一から説明して、母親が無条件に父親を許すのをやめることと、父親に謝らせるように言った。

そうしてやっと、父親は母親に促されて謝るようになった。

それでも、その後母親から何があったのかを聞いてくることは出来なかったし、指示しなければ父親は謝らなかった。


母親は俺の異変に気づくのが精一杯、父親は指示に従うのが限界なのだ。




アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム・ASD)は、加害者なのに悪びれる様子が全くないことが多い。

だが、彼らは面の皮が厚いとか、打たれ強いとかいう訳ではない。

開き直ったり、ごまかしている訳でもない。

心底、本当に悪いことをしたとは思っていないのだ。

いや、悪いことどころか、何をしたのかもわかっていないのだろう。

それが世間一般にはどういう評価を受けるものか、考えたことさえないのかもしれない。


アスペルガーはとんでもないことをするので、とんでもない意図があるように見えるのだが、その実、何も考えていないことも多いと思う。

客観視出来ず、想像力が及ばず、注意も散漫で何となく行動すると、突拍子もない事になるということなのだろう。

誰かが代わりに客観視して、想像を形にし、注意点をあげて、見守りながら行動させないと、改善されていかないのだと思う。




興奮している母親に、冷静に父親の状況を説明する。

粗相に対し「なぜ気づかない」と怒ったところで、気づけないのだからどうしようもない。

そういう障害だと諭す。

父親がトイレに行く時間を決めて、母親が徹底管理すれば改善されるのではと提案したが、実行する気配はない。


俺が迷惑してた時には、同情どころか加勢した母親を、これ以上助けてあげる気にはなれない。

あいにく、人を頼ることを知らない母親は、俺が何もしなくても文句は言わないので、放置している。

母親に任せておくと俺が困ることだけ、勝手にやっている。




もう、父親のためにも母親のためにもやらない。

自分が満足することだけやることにしている。

それが偶然、親を喜ばせることになればそれで良いし、そうでなくても構わない。

俺が気を利かせて我慢することはしない。

そんなことをしてもわからない人達だ。


意地悪してしまっても自分を責めない。

すっきりしたならそれでいい。

気分が悪いならやめればいい。

親がどう思ったかではなく、自分がどう感じたか。

考えるのはそれだけでいい。


それが、アダルトチルドレンからの脱却だと思うから。




うちの親には、定型家族のような心の交流は出来ない。

その事を受け入れられず、暴れた時期もあった。

事実を受け止めても、寂しさは残った。

だから、親が何の期待も出来ない存在であることが、寂しいのだと思っていた。

だが、自分が親に何の期待もしなくなってきたことに、より寂しさを覚えていたのかもしれない。


時折、よその家族を羨ましく思うことはあるが、それは新しい家族を作って実現しようと思っている。




先日、俺が生の筋子を解して作ったいくらの醤油漬けを、父親はえらく気に入って食べていた。

「手間がかかってるな」「ご苦労さんです」「外ではこんなに食べられないな」と饒舌な父親に、俺は十分満足だった。

俺の方こそ、父親がこんなにいくらが好きとは知らなかった。

普通の父親と、普通の家族と比べなければ、小さな交流はある。

今はそれでいいと思っている。