最近、父親の粗相で母親が感情的になっていることがある。
普段はヒステリックとは程遠い冷静な母親が、怒ったり泣いたりと興奮するのは珍しい。
体調不良でも家事を淡々とこなす人が、疲れきった様子である。
それくらい父親は手がかかり、さらに人の感情を逆撫でするような言葉を連ねている。
だから、ある意味当然なのだが。
俺は母親に同情する気にはなれない。
なぜなら、同じように父親の言動に四苦八苦していた頃、母親は我関せずだったから。
それどころか、父親の問題行動を助長させることばかりしていて、母親の無意識の加勢に怒りが蓄積していた。
例えば、裏口を開けたまま早朝に2時間も散歩に出てしまう父親に、俺は何度も注意をし約束をさせた。
不用心だから鍵をかけること。
施錠せずに出掛けたときは家にはいれない。
次からは鍵自体を没収する。
だが、父親は施錠を忘れるのではなく、そもそも鍵を持たずに外出していた。
いつのまにか鍵を持って外に出る習慣さえ失われていた。
それを注意する度に、たまたま忘れただの言い訳のオンパレード。
しかも、俺が閉めて入れなくなっても、その度に母親が中に入れていた。
母親には、「鍵をかけないで出掛けた罰なんだから入れるな」と何度も言ったのだが、父親がかわいそうだと許してしまい、俺が鍵を没収しても母親が合鍵を渡すことが続いた。
埒が開かないので、もう注意するのをやめて実力行使でとことん閉め出すことにした。
母親が外出した時には、内鍵も閉めて、二人そろって反省してもらった。
それでも裏口から母親の鍵で家に入ってきた二人に、俺は一切口を利かなかった。
数日後、さすがに母親は疲れた顔をしていたが、父親は全く何も変わらなかった。
二人とも、何か聞くでも窺うでもなかった。
そんなことを何度か繰り返すうちに、母親だけは俺に謝るようになった。
それでも理由は全く理解していなかった。
だから、経緯を一から説明して、母親が無条件に父親を許すのをやめることと、父親に謝らせるように言った。
そうしてやっと、父親は母親に促されて謝るようになった。
それでも、その後母親から何があったのかを聞いてくることは出来なかったし、指示しなければ父親は謝らなかった。
母親は俺の異変に気づくのが精一杯、父親は指示に従うのが限界なのだ。
アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム・ASD)は、加害者なのに悪びれる様子が全くないことが多い。
だが、彼らは面の皮が厚いとか、打たれ強いとかいう訳ではない。
開き直ったり、ごまかしている訳でもない。
心底、本当に悪いことをしたとは思っていないのだ。
いや、悪いことどころか、何をしたのかもわかっていないのだろう。
それが世間一般にはどういう評価を受けるものか、考えたことさえないのかもしれない。
アスペルガーはとんでもないことをするので、とんでもない意図があるように見えるのだが、その実、何も考えていないことも多いと思う。
客観視出来ず、想像力が及ばず、注意も散漫で何となく行動すると、突拍子もない事になるということなのだろう。
誰かが代わりに客観視して、想像を形にし、注意点をあげて、見守りながら行動させないと、改善されていかないのだと思う。
興奮している母親に、冷静に父親の状況を説明する。
粗相に対し「なぜ気づかない」と怒ったところで、気づけないのだからどうしようもない。
そういう障害だと諭す。
父親がトイレに行く時間を決めて、母親が徹底管理すれば改善されるのではと提案したが、実行する気配はない。
俺が迷惑してた時には、同情どころか加勢した母親を、これ以上助けてあげる気にはなれない。
あいにく、人を頼ることを知らない母親は、俺が何もしなくても文句は言わないので、放置している。
母親に任せておくと俺が困ることだけ、勝手にやっている。
もう、父親のためにも母親のためにもやらない。
自分が満足することだけやることにしている。
それが偶然、親を喜ばせることになればそれで良いし、そうでなくても構わない。
俺が気を利かせて我慢することはしない。
そんなことをしてもわからない人達だ。
意地悪してしまっても自分を責めない。
すっきりしたならそれでいい。
気分が悪いならやめればいい。
親がどう思ったかではなく、自分がどう感じたか。
考えるのはそれだけでいい。
それが、アダルトチルドレンからの脱却だと思うから。
うちの親には、定型家族のような心の交流は出来ない。
その事を受け入れられず、暴れた時期もあった。
事実を受け止めても、寂しさは残った。
だから、親が何の期待も出来ない存在であることが、寂しいのだと思っていた。
だが、自分が親に何の期待もしなくなってきたことに、より寂しさを覚えていたのかもしれない。
時折、よその家族を羨ましく思うことはあるが、それは新しい家族を作って実現しようと思っている。
先日、俺が生の筋子を解して作ったいくらの醤油漬けを、父親はえらく気に入って食べていた。
「手間がかかってるな」「ご苦労さんです」「外ではこんなに食べられないな」と饒舌な父親に、俺は十分満足だった。
俺の方こそ、父親がこんなにいくらが好きとは知らなかった。
普通の父親と、普通の家族と比べなければ、小さな交流はある。
今はそれでいいと思っている。
普段はヒステリックとは程遠い冷静な母親が、怒ったり泣いたりと興奮するのは珍しい。
体調不良でも家事を淡々とこなす人が、疲れきった様子である。
それくらい父親は手がかかり、さらに人の感情を逆撫でするような言葉を連ねている。
だから、ある意味当然なのだが。
俺は母親に同情する気にはなれない。
なぜなら、同じように父親の言動に四苦八苦していた頃、母親は我関せずだったから。
それどころか、父親の問題行動を助長させることばかりしていて、母親の無意識の加勢に怒りが蓄積していた。
例えば、裏口を開けたまま早朝に2時間も散歩に出てしまう父親に、俺は何度も注意をし約束をさせた。
不用心だから鍵をかけること。
施錠せずに出掛けたときは家にはいれない。
次からは鍵自体を没収する。
だが、父親は施錠を忘れるのではなく、そもそも鍵を持たずに外出していた。
いつのまにか鍵を持って外に出る習慣さえ失われていた。
それを注意する度に、たまたま忘れただの言い訳のオンパレード。
しかも、俺が閉めて入れなくなっても、その度に母親が中に入れていた。
母親には、「鍵をかけないで出掛けた罰なんだから入れるな」と何度も言ったのだが、父親がかわいそうだと許してしまい、俺が鍵を没収しても母親が合鍵を渡すことが続いた。
埒が開かないので、もう注意するのをやめて実力行使でとことん閉め出すことにした。
母親が外出した時には、内鍵も閉めて、二人そろって反省してもらった。
それでも裏口から母親の鍵で家に入ってきた二人に、俺は一切口を利かなかった。
数日後、さすがに母親は疲れた顔をしていたが、父親は全く何も変わらなかった。
二人とも、何か聞くでも窺うでもなかった。
そんなことを何度か繰り返すうちに、母親だけは俺に謝るようになった。
それでも理由は全く理解していなかった。
だから、経緯を一から説明して、母親が無条件に父親を許すのをやめることと、父親に謝らせるように言った。
そうしてやっと、父親は母親に促されて謝るようになった。
それでも、その後母親から何があったのかを聞いてくることは出来なかったし、指示しなければ父親は謝らなかった。
母親は俺の異変に気づくのが精一杯、父親は指示に従うのが限界なのだ。
アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム・ASD)は、加害者なのに悪びれる様子が全くないことが多い。
だが、彼らは面の皮が厚いとか、打たれ強いとかいう訳ではない。
開き直ったり、ごまかしている訳でもない。
心底、本当に悪いことをしたとは思っていないのだ。
いや、悪いことどころか、何をしたのかもわかっていないのだろう。
それが世間一般にはどういう評価を受けるものか、考えたことさえないのかもしれない。
アスペルガーはとんでもないことをするので、とんでもない意図があるように見えるのだが、その実、何も考えていないことも多いと思う。
客観視出来ず、想像力が及ばず、注意も散漫で何となく行動すると、突拍子もない事になるということなのだろう。
誰かが代わりに客観視して、想像を形にし、注意点をあげて、見守りながら行動させないと、改善されていかないのだと思う。
興奮している母親に、冷静に父親の状況を説明する。
粗相に対し「なぜ気づかない」と怒ったところで、気づけないのだからどうしようもない。
そういう障害だと諭す。
父親がトイレに行く時間を決めて、母親が徹底管理すれば改善されるのではと提案したが、実行する気配はない。
俺が迷惑してた時には、同情どころか加勢した母親を、これ以上助けてあげる気にはなれない。
あいにく、人を頼ることを知らない母親は、俺が何もしなくても文句は言わないので、放置している。
母親に任せておくと俺が困ることだけ、勝手にやっている。
もう、父親のためにも母親のためにもやらない。
自分が満足することだけやることにしている。
それが偶然、親を喜ばせることになればそれで良いし、そうでなくても構わない。
俺が気を利かせて我慢することはしない。
そんなことをしてもわからない人達だ。
意地悪してしまっても自分を責めない。
すっきりしたならそれでいい。
気分が悪いならやめればいい。
親がどう思ったかではなく、自分がどう感じたか。
考えるのはそれだけでいい。
それが、アダルトチルドレンからの脱却だと思うから。
うちの親には、定型家族のような心の交流は出来ない。
その事を受け入れられず、暴れた時期もあった。
事実を受け止めても、寂しさは残った。
だから、親が何の期待も出来ない存在であることが、寂しいのだと思っていた。
だが、自分が親に何の期待もしなくなってきたことに、より寂しさを覚えていたのかもしれない。
時折、よその家族を羨ましく思うことはあるが、それは新しい家族を作って実現しようと思っている。
先日、俺が生の筋子を解して作ったいくらの醤油漬けを、父親はえらく気に入って食べていた。
「手間がかかってるな」「ご苦労さんです」「外ではこんなに食べられないな」と饒舌な父親に、俺は十分満足だった。
俺の方こそ、父親がこんなにいくらが好きとは知らなかった。
普通の父親と、普通の家族と比べなければ、小さな交流はある。
今はそれでいいと思っている。