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初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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『母がしんどい 田房 永子 (著)』
を読んでいたら、母親とのすれ違いの日々を思い出した。
小5の頃「サッカーがやりたい」と言ったら、母親は「どうせ試合には出られないんだよ」と言った。
その少年団では、女の子は入団は出来ても試合には出られない規則だった。
俺の気持ちがどんなに男でも、俺の立場は女の子。
だから、母親は何も間違ったことは言っていない。
だが、俺は反対されてるようにしか思えなかった。
あり得ないくらい無関心なので。
なのに母親は、反対などしなかったと言う。
「あんたの気持ちを考えた」のだと。
偽物のボールを馬鹿にされながら、毎日のように男子とグラウンドでサッカーをしてた俺の気持ちを、どう考えたと言うのだ。
あなたが俺の気持ちを理解してたことなどない。
俺は、母親にサッカーボールを買ってほしいと何度もお願いした。
でも、スポーツ用品店にも連れて行ってもらえなかった。
「どうしてそんなに欲しいのか」と聞かれたこともない。
「どこに行ったら買えるか」「いくらかかるか」などを、相談されたり調べた形跡もない。
アスペルガーだから、単にこういうコミュニケーションが全く出来なかったのだろう。
母親は、自分の知らないことが出てくると途端に無口になり、ひたすら逃げてやり過ごそうとする。
どんなに愛情がある相手でも、知らないことから逃げることにただただ必死である。
所詮、その程度の愛情だった。
でも、そんなこと、俺が知るわけがない。
サッカーボールを欲することは母親を追い詰めただけなのだろう。
デパートでおもちゃのサッカーボールを買い与え、苦痛から逃れられたと思っていたのかもしれない。
だが、母親はそれらを一切説明しない。
感情に関しては昭和初期の男並に無口なので、ただただ顔を歪めるばかりだった。
俺は、そこにいつも無言の圧力を感じていた。
今は野球ファンの俺も、当時はサッカーに夢中だった。
多分に洩れず、キャプテン翼の影響だろう。
小1の頃から、毎月一冊単行本を買ってもらっていた。
それは母親との約束だったのに、この人は子どもが何に関心があるかとか、昔からどうでも良かったのだろう。
小5小6の球技大会がサッカーで、俺はチームのリーダーとしてもう一人のリーダーとよく会議をしていた。
その子は母親も昔からよく知っているし、彼女もちゃんと公式球を買ってもらっていて、母親はその事も知っていた。
俺がこれだけサッカーに関わっていても、その点が線として繋がらない。
十を聞いても一さえ知らない。
その後俺はどうしても諦めきれなくて、大学進学の時に女子サッカー部がある大学を探したほどだった。
当時はまだネットなどの情報もないので、通信添削のコンテンツを利用して、現役の大学生に手紙を書いて聞きまくった。
結局、女子サッカー部のある大学には入れなかったが、入学先には偶然新設する予定があって、俺はそこで初めて本格的にサッカーを始めた。
サッカー漬けの毎日は充実していた。
だが、大学そのものを続けられなくなった俺は、部の方針と合わなくなったことも重なり、中途退学した。
相当精神的にやばい状態だったのだが、この時も母親は一度も俺の様子を見に来なかった。
きっと、面倒くさいとかそんな程度の理由。
これだけの出来事を知っても「私は反対なんかしてない。あんたが試合に出れないのが嫌でやめたんでしょ」の一点張りだ。
俺が本気でサッカーがやりたいという気持ちも、中途半端なボールでバカにされてるという状況も、興味がないし線で繋がらない。
どうしたらこんなに無関心でいられるのか、俺には未だにわからない。
もう一つ、サッカー絡みで忘れられない出来事がある。
ちょうど母親に「試合に出られない」と否定された後ぐらいだったと思う。
俺は、グラウンドの隅で少年団の練習を見ていた。
そこで我慢しきれなかった俺は、誰かのボールを1つ持ってきてしまった。
練習中は、個人のボールはグラウンドの外側に集められていることがあったので、その隙に。
そのボールで家の前で遊んでいた俺は、母親に見つかってしまう。
咄嗟に「知らない人がそこに捨ててった」と言い訳したら、母親はそのまま信じた。
母親がボールに書かれた番号に電話すると、持ち主の息子とお母さんが飛んできた。
さらに後日、大層な礼を言われて高価なメロンまで頂いた。
本当に悲しかった。
ボールを盗んだ自分も、それに気づかない母親も。
そして何より、ボール1つでうちとはこんなにも違う被害者親子が。
ボールは、練習の後、少年団の皆が必死で探してくれたという。
当然それでは見つからず、息子は悲しくなっていた。
そして、見つかって本当に良かったという話を、これまたそのお母さんが一生懸命に話してくれた。
羨ましかった。
涙も出ないほどに羨ましかった。俺にはそんな友達もお母さんもいなかったから。
何より、子どもの大事なものを大事にできるお母さんが、眩しかった。
当時はこの感情を上手く説明できなかったが、出来たとしても母親には絶対にわかってもらえない自信だけはあった。
ボールではなく息子の気持ちを思えるそのお母さんと、ボールを買うことにも向き合えないうちの母親。
今振り返ると、改めて同種の生き物ではないと感じる。
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『母がしんどい 田房 永子 (著)』
を読んでいたら、母親とのすれ違いの日々を思い出した。
小5の頃「サッカーがやりたい」と言ったら、母親は「どうせ試合には出られないんだよ」と言った。
その少年団では、女の子は入団は出来ても試合には出られない規則だった。
俺の気持ちがどんなに男でも、俺の立場は女の子。
だから、母親は何も間違ったことは言っていない。
だが、俺は反対されてるようにしか思えなかった。
あり得ないくらい無関心なので。
なのに母親は、反対などしなかったと言う。
「あんたの気持ちを考えた」のだと。
偽物のボールを馬鹿にされながら、毎日のように男子とグラウンドでサッカーをしてた俺の気持ちを、どう考えたと言うのだ。
あなたが俺の気持ちを理解してたことなどない。
俺は、母親にサッカーボールを買ってほしいと何度もお願いした。
でも、スポーツ用品店にも連れて行ってもらえなかった。
「どうしてそんなに欲しいのか」と聞かれたこともない。
「どこに行ったら買えるか」「いくらかかるか」などを、相談されたり調べた形跡もない。
アスペルガーだから、単にこういうコミュニケーションが全く出来なかったのだろう。
母親は、自分の知らないことが出てくると途端に無口になり、ひたすら逃げてやり過ごそうとする。
どんなに愛情がある相手でも、知らないことから逃げることにただただ必死である。
所詮、その程度の愛情だった。
でも、そんなこと、俺が知るわけがない。
サッカーボールを欲することは母親を追い詰めただけなのだろう。
デパートでおもちゃのサッカーボールを買い与え、苦痛から逃れられたと思っていたのかもしれない。
だが、母親はそれらを一切説明しない。
感情に関しては昭和初期の男並に無口なので、ただただ顔を歪めるばかりだった。
俺は、そこにいつも無言の圧力を感じていた。
今は野球ファンの俺も、当時はサッカーに夢中だった。
多分に洩れず、キャプテン翼の影響だろう。
小1の頃から、毎月一冊単行本を買ってもらっていた。
それは母親との約束だったのに、この人は子どもが何に関心があるかとか、昔からどうでも良かったのだろう。
小5小6の球技大会がサッカーで、俺はチームのリーダーとしてもう一人のリーダーとよく会議をしていた。
その子は母親も昔からよく知っているし、彼女もちゃんと公式球を買ってもらっていて、母親はその事も知っていた。
俺がこれだけサッカーに関わっていても、その点が線として繋がらない。
十を聞いても一さえ知らない。
その後俺はどうしても諦めきれなくて、大学進学の時に女子サッカー部がある大学を探したほどだった。
当時はまだネットなどの情報もないので、通信添削のコンテンツを利用して、現役の大学生に手紙を書いて聞きまくった。
結局、女子サッカー部のある大学には入れなかったが、入学先には偶然新設する予定があって、俺はそこで初めて本格的にサッカーを始めた。
サッカー漬けの毎日は充実していた。
だが、大学そのものを続けられなくなった俺は、部の方針と合わなくなったことも重なり、中途退学した。
相当精神的にやばい状態だったのだが、この時も母親は一度も俺の様子を見に来なかった。
きっと、面倒くさいとかそんな程度の理由。
これだけの出来事を知っても「私は反対なんかしてない。あんたが試合に出れないのが嫌でやめたんでしょ」の一点張りだ。
俺が本気でサッカーがやりたいという気持ちも、中途半端なボールでバカにされてるという状況も、興味がないし線で繋がらない。
どうしたらこんなに無関心でいられるのか、俺には未だにわからない。
もう一つ、サッカー絡みで忘れられない出来事がある。
ちょうど母親に「試合に出られない」と否定された後ぐらいだったと思う。
俺は、グラウンドの隅で少年団の練習を見ていた。
そこで我慢しきれなかった俺は、誰かのボールを1つ持ってきてしまった。
練習中は、個人のボールはグラウンドの外側に集められていることがあったので、その隙に。
そのボールで家の前で遊んでいた俺は、母親に見つかってしまう。
咄嗟に「知らない人がそこに捨ててった」と言い訳したら、母親はそのまま信じた。
母親がボールに書かれた番号に電話すると、持ち主の息子とお母さんが飛んできた。
さらに後日、大層な礼を言われて高価なメロンまで頂いた。
本当に悲しかった。
ボールを盗んだ自分も、それに気づかない母親も。
そして何より、ボール1つでうちとはこんなにも違う被害者親子が。
ボールは、練習の後、少年団の皆が必死で探してくれたという。
当然それでは見つからず、息子は悲しくなっていた。
そして、見つかって本当に良かったという話を、これまたそのお母さんが一生懸命に話してくれた。
羨ましかった。
涙も出ないほどに羨ましかった。俺にはそんな友達もお母さんもいなかったから。
何より、子どもの大事なものを大事にできるお母さんが、眩しかった。
当時はこの感情を上手く説明できなかったが、出来たとしても母親には絶対にわかってもらえない自信だけはあった。
ボールではなく息子の気持ちを思えるそのお母さんと、ボールを買うことにも向き合えないうちの母親。
今振り返ると、改めて同種の生き物ではないと感じる。