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【白鵬、審判侮辱一問一答】簡単に取り直しと言わないでほしい

この件、最初から僕は白鵬に同情している。
何でこんなに叩くのか理解できない。
中には、「朝青龍の時と同じで追及が甘い」と批判しているものもあった。
参考⇒白鵬審判批判 朝青龍から何も学んでいない相撲協会の“弱腰” 日刊ゲンダイ

だが、横綱昇進前から品格が問題視されてきた朝青龍と一緒にするのはどうかと思う。
朝青龍はサッカー問題だけじゃなく、勝敗後のダメ押し・にらみ合い、風呂の戸や車の破損、酔って一般人に暴行疑惑など、数え上げればキリがない。
むしろ同じなのは、部屋任せで無責任な北の湖理事長の方だ。
同じ外国人と一括りにしているこの記事の方が、差別以外の何ものでもない。


これまでの大相撲への貢献を考えたら、白鵬が理由もなくこんな批判をするとは思えず、やっと擁護してくれる人がいてホッとしている。
参考⇒松本人志、白鵬に同情「モンゴル人同士なら取り直しなかったかも」


松ちゃんの意見も一理あるし、小錦氏が意見してくれたのは貴重だと思った。
武田鉄矢氏も「腹に据えかねてたんだろう」とフォローしてくれて、正直嬉しかった。
批判した取組の相手は横綱の期待が大きい稀勢の里だったし、注目の遠藤の時にも相当ムキになっていた。
初場所の白鵬は、感情的になりすぎてらしくないことも多かった。

ファンも含め協会が反省しなくてはいけないのは、白鵬に「差別だと思わせてしまった」ことだ。
これだけ相撲を愛し、日本を愛してくれている横綱を、 一人の人間として受け入れていなかったということになる。
「肌の色」まで言及した一連の発言は、これまで溜まりに溜まった被差別感情が吹き出したものに思える。


差別というのは、受けている側は非常に敏感である。
とても繊細な問題なので、発信側が「差別とかそういうつもりはない」としても、無神経な言動を繰り返すのは間違いだと思う。
確かにしてる方に差別意識はないのだが、だったら一々言及する必要がない。
例えば、無関係なところでの区別は、する側が配慮だと思っていても差別になることがある。
その事をもっと知るべきだと思う。

白鵬が何を差別と感じ、何に不満を持っていたのかはわからない。
ただ僕は、日本人の横綱を期待してはいるが、白鵬が横綱で不満ということはない。
彼が外国人だからどうと意識したこともない。
それより、こんなに日本人なんだから他の力士も見習えと思ってきた。

でも、それはこちら側の意識であって、受け手はちょっとした区別も差別のように感じたりするものだ。
白鵬が、同じように頑張っているのに同じには評価されない悔しさを味わってきたとしたら、それは少しわかるつもりだ。
僕の場合、単に男として評価して欲しいのに、「FtMなのにすごいね」なんて言われたら、どんな褒め言葉でも気分が悪い。
土俵に立てば同じ男。
白鵬も同じ一力士として見てほしいに違いない。

今や幕内の1/3が外国人力士。
つい、外国人ばかりだの、日本人の優勝や横綱がないだの言ってしまう。
それは、白鵬が強すぎることへの称賛の裏返しでもあると思うのだが。
言われる側がしんどいときには、そんなちょっとした日本人の愚痴も、「外国人叩き」に聞こえてしまうかもしれない。




【一筆多論】白鵬を初代の外国籍年寄に 中本哲也 産経新聞

それ以上に現実問題としてどうかと思うのが、白鵬の親方問題だろう。
それこそ、日本人なら文句なしで一代年寄になるところが、白鵬は現状では年寄株さえ取得できない。

以前、デーモン小暮閣下が、白鵬が急に引退するようなことになった場合、相撲協会に残れないと心配していた。
その問題は今も解消されていない。

こういう制約は、冷静に見れば十分差別ではないだろうか。
同じ実績を残したのなら、同じ条件で親方になれていいはず。
伝統などという言葉で有耶無耶にして議論さえしない協会に、もどかしさを感じる。




大記録と共に相撲史を掘り起こしてくれた白鵬。
大鵬の優勝記録、双葉山の連勝記録を始め、先輩力士がいかに偉大だったかを改めて知る。
僕は、彼への感謝を忘れたくない。

東日本大震災の直後、炊き出しを提案したのも白鵬だった。
ちょうど不祥事で大阪の3月場所が中止になっていた。
ところが、相撲協会はこんなときも、白鵬の提案をすぐには承認せず及び腰だった。
奇しくも、震災の日の3月11日は白鵬の誕生日である。
彼はきっと、この日の日本の悲しみを一生忘れないだろう。


横綱は強いだけではダメ。人として手本となるような品格を備えていなければ……。
朝青龍には、常々その言葉を持ち出したくなる何かがあった。
あんなに暴れられたら、というより、協会があんなに暴れることを許していたら、もう首にするしかない。
だが、今の白鵬に「強いだけでは……」なんて言ってみたところで、弱い日本人の負け惜しみにしか聞こえない。

今年の初場所千秋楽でようやっと大関陥落を免れた豪栄道といい、最近の日本人の大関昇格は甘すぎる。
横綱どころか、優勝争いも出来ない大関ばかりになって、早10年といったところか。
甘い審議で昇格させてその後勝てないようでは、差別だと言われても仕方ない。
何とか日本人に頑張ってほしいのはわかるが、これでは互助会力士を増やすだけである。

悔しかったら相撲で勝てばいい。
朝青龍を黙らせることが出来なかったあの時から、日本人力士は何も変わっていないのだ。
強い日本人力士の登場を、白鵬も望んでいるはずだ。

僕はこれからも、白鵬から相撲道の素晴らしさを、日本人の心を学びたい。
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女性殺害、名大女子学生の残忍犯好き ツイッターに「酒鬼薔薇聖斗」、麻原彰晃、加藤智大らの名前が...

この子も発達障害なんだろうか。

昨年、佐世保で起きた同級生殺害の女子高生の事件と似ていて、ふとそんなことを思った。
報道で明かされる女子大生の発言は、常人には理解しがたいものばかりだ。

━━「死にたい」とは思わないけど「死んでみたい」とは考える。
「殺したい」人はいないけど「殺してみたい」人はたくさんいる。━━

このツイートだけを見ても、奇妙な表現だ。
だが、発達障害だとすると、ある程度納得してしまう。


念のため断っておくと、発達障害の性質に殺人衝動や猟奇的行動などはない。
人の痛みがわからず結果的に他者の心身を傷つけることはあるが、元々「人を殺してみたい」という感覚を有していなければ、発達障害だけでこうはならないと考える。
殺人に興味を持って生まれた人が発達障害だった場合、実行してしまう確率が上がるのだと思う。

いや、仮に両方を有していても、衝動がそのまま育ち、かつきっかけや機会がなければ実行には移されない。
それでも、先天的資質×教育×環境×きっかけ×タイミング×……のように、相当悪いものが揃わないとあり得ないだろう。


上記の発言にしても、死んだらどうなるのかということに対する興味なら、まだ理解できる。
なので、【「死にたい」とは思わないけど「死んでみたい」とは考える。】という表現は、そんなにおかしくはない。
寧ろ、秀逸だと思う。

だが、【「殺したい」人はいないけど「殺してみたい」人はたくさんいる。】と続くと、些か冷たいものを感じる。
「死んでみたい」は自己完結なのに対し、「殺してみたい」は他者が関わる。
にも関わらず、この文章には他者が感じられない。
それでも、同じ発言をする中に実際に人を殺してしまう人は、まだごく少数なのではないか。




「人を殺してみたかった」というのは、豊川の主婦殺害事件の加害高校生が言った言葉でもあるが、この彼と、佐世保の同級生殺害の女子高生と、今回の名大生は、同じ臭いがする。

彼らは、以前から人の死と殺害に強い興味があった。
そして、生物の死という物理的な変化は理解しているが、人の希望や将来、人生を奪うという捉え方は出来ていない。
それは自分に対しても同じで、自分の人生に対して執着がない。
そのせいか、殺害によって生じる逮捕、収監などを十分に理解している一方、それを恐れるどころか一つの経験として楽しみにさえ思っているようだ。

猟奇的な快楽犯と異なるのは、彼らは罪の発覚を恐れていないということだ。
快楽だけを求めるなら、一度殺害で得た感覚をまた得ようとして、犯行を繰り返す。
そのためには捕まるわけにはいかないので、その辺の準備もする。

しかし、彼らにその周到さはない。
殺害欲求は以前からあったにも関わらず、犯行に及んだのは殺せる機会が巡ってきたその時である。
佐世保の女子高生は、衝動が高まり二人きりの時に、名大生も相手が自宅を訪れたとき。
ターゲットの一人ではあったかもしれないが、この人をこのタイミングで殺そうと決めていたわけではない。

豊川の高校生に至っては「明日、人を殺そう」と思い立ち、当日にその事を忘れ、「そういや、今日、人を殺すんだった」と思い出している。
それから、殺す相手を物色するという始末。
著者の藤井誠二氏の言葉を借りるなら、彼はまるで「コンビニにジュースでも買いに行くような感覚」で、人を殺そうと思い立ったのだ。


通常の人は、「殺したい」と思うことがあったり、「殺したい」と思う人がいても、「殺してみたい」ということはない。
「殺したい」は恨みや金銭など別の目的がある場合で、「殺してみたい」は殺すこと自体が目的という感じがする。
通常、それはない。

「死ね」とか「殺したい」などはネットでは頻繁に目にするし、リアルでも口にしていることはあるだろう。
だがそれは、殺したいくらい憎いとか、死ねばいいと思うくらい許せないとかいう気持ちのことだ。
苦しませたい、思い知らせたいということだろう。
本当に殺してしまうのはほんの一握りで、思い余って殺してしまう人にもそこに至るまでの筋書きがある。

その点彼らには、そこまでの筋書きはない。
では、誰でも良かったのかと言えばそうでもなく、ストレス発散などの突発的なものでもない。
前々からやりたくていつか実現したいと思ってはいたが、チャンスがなく、その機会を得られた日にやったという雰囲気である。
彼らの誰もが、入念な準備もなくふらっと実行し、その後逃げも隠れもせず、また犯罪行為を否認もしない。
命を奪うことを重大事とは捉えていないし、犯行後の逮捕や収監、前科というのも、重い代償とは考えていないのだろう。

豊川の高校生は金も用意して逃走したものの、逃げ切ることは考えておらず、疲れて自首している。
逃走→逮捕→家裁送致→少年院という経過を、彼は経験したいことだったと語った。




事件になってからは何とでも言える。
第三者は、過去の言動が予兆だったと無責任に指摘する。
だが、「死にたい」とか「殺したい」と発言する人の殆どは、少年期から殺人衝動を有していた人間ではない。
上記の誰かに対する恨み以外にも、精神的に不安定な時はそう思うこともある。
思春期がその一つということもあるだろう。
果たして、その中に殺人衝動を持つサイコパスを見つけることは出来るのだろうか。

当然、発達障害の当事者の中からサイコパスを探そうとするのも間違いである。
彼らの言動は奇妙なものも多いが、その奇妙さの先に殺人衝動が生まれるわけではないからだ。
元々殺人衝動を持っていた人間が発達障害だった場合、その奇妙さが浮き立って見えるに過ぎない。

他の事なら、問題が起きてから対処してもまだ間に合うが、殺害だけはそれでは遅い。
ヨルダンの人質拘束事件のせいか、このニュースが佐世保の事件ほど騒がれていないことが気になる。
こんな事件に慣れてしまうのが怖い。




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先日ある板で、娘が買ってきたアイスを父親が食べて、大喧嘩になったという話を読んだ。

これだけ聞くと、どこにでもある家族の日常。

だが最終的には、娘は泣きじゃくり、父親は怒って自室へ籠ってしまった。

きっかけは些細な出来事でも、結果は天と地ほどになるのが発達障害との付き合い。

この家の出来事もその例の一つだろう。




アイスがないことに気づいた娘(小四くらい?)は、その事について父親に尋ねた。

すると父親は、自分が食べたことを素直に認めた。

残念そうに俯く娘。と同時に、「勝手に私のアイス食べないでよ」と父親に抗議した。

だが父親は、「俺はアイス食べたらダメなのか!」と逆ギレ。

娘の残念そうな様子も読み取れず、とんちんかんな答えを返す。


そこに、騒動を耳にした母親が駆けつける。

「この子のなんだから、勝手に食べるのはダメだよ」と注意されるも、「俺は何も自由に食べられないのか!」とまた明後日の方向にキレる父親。

さらに、「こんな高いアイス、子供が食べるなんて贅沢だ!お前は子供に甘すぎる!」とか、とことんベクトルは狂いまくり。


アイスは、娘がテストで目標をクリアしたお祝いに、お小遣いで自分へのご褒美として買ったものだった。

だから、その日だけはちょっと高価なアイスだった。

その事を母親が説明するも、父親は聞いてないのか理解できないのか、不服そうな態度のまま。

娘が「アイス返して」と怒っても、いつまでも「アイスぐらい食べて何が悪い」と、自分の正当性を主張する父親。

気持ちを理解されない娘は、ついに泣き出してしまった。


母親が娘を落ち着かせて話を聞くと、これまでも何度も同じようなことがあって我慢してきたが、対に糸が切れてしまったとのこと。

きっと、父親は謝らないし埋め合わせもしない。

支離滅裂な返しでさらに人を苛立たせる。

幾度となく心を踏み潰されて、もう限界だったのだろう。


娘が泣きじゃくり、母親が諭す様子を父親もそばで見ていた。

だが、それでも父親の態度は何も変わらなかった。

彼の頭の中は「食べたいものを食べて何が悪い」でフリーズしていた。

そして、「アイスぐらいで泣くな!」と言い残して、自室へ籠ってしまった。




この父親は発達障害。

娘のものを、娘の楽しみを奪ったということを、この父親には一生理解できないのかもしれない。

今日のこのアイスだけでなく、これまでの積もり積もった思いがあることなど、想像だにしないのだろう。




この娘の気持ちは痛いほどわかる。

この子は、我慢したのではなく、我慢させられてきたのだと思う。

何をぶつけても明後日の方向の父親に、気持ちの持って行き場を失い、いつの間にか自分の中に抱えすぎてしまった。

諦めたのではなく、諦めざるを得なかったのだろう。


それでも、そのやるせない思いはなくなるわけではない。

消化しなければ、ずっとモヤモヤしたまま残ってしまう。

いやそれどころか、発達障害本人に傷をえぐられて大きくなるばかりだ。

この子は、母親に受け止めてもらえて良かったと思う。

俺はなかったから、本当に良かったと思う。


そして、自分を傷つける人間からは逃げていいということを、母親が身をもって示してほしいと思う。

たとえ実の父親でも、自分を愛さない人間ならいない方がマシだ。




生みの親なんてのは、自分がこの世に生まれてくるきっかけに過ぎない。

発達障害の中には、生んだら育てるということさえ理解していない人がいる。

親が子供を育てないなら、子供は育ててくれる人を親に選ぶ権利だってあるはずだ。

生みの親に義理立てして野垂れ死にするなんて、美徳でもなんでもない。


俺たちは、生きたいだけだ。