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初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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僕は、元女と言われるのが嫌だ。
女性に生まれたとか、女から男になったとか、そういうのも全部嫌だ。
それは、自分の存在がそこにないから。
元女ということは、生まれたときから存在している僕のアイデンティティを否定しているから。
僕は、女から男に生まれ変わった訳じゃない。
何かがきっかけで性別が変わった訳でも、変えたいと思った訳でもない。
生まれたときから何も変わらない。
僕は、ずっとこのままだ。
どんな体をしていても、どんな育てられ方をしても、どんな法律で縛られようと、変わらなかった。
どんなに努力しても女になることは出来なかった。
むしろ、女の体や戸籍に合ったアイデンティティを持てるなら、その方法を教えてほしかったくらいだ。
変わったのは周囲の捉え方。
同性愛を知る人は僕をレズビアンだと言い、性同一性障害を知るものはFtMだと言う。
どちらも関心のない者は、何も考えずに女だと思い込む。
見るものがどう感じようが自由だが、その度に対象となる僕のセクシュアリティが変わることなどあり得ない。
ただの観察と、個々人の本質をない交ぜにされても、それに応える術はない。
同時に、そういう捉え方をする人を信用できない。
僕の本質を見ようともしない人だから。
お互いの本質を理解し合える相手は、数えるほどしかいないかもしれない。
でも、僕にはその本質さえないと決めつける相手とは、関係性など築けるはずもない。
『アルジャーノンに花束を』を読みながら、ふとそんなことを思った。
この作品は、知的障害者の主人公チャーリーが、手術を受けて天才へと変貌する物語。
周囲は、手術を受けて初めて彼の人格を認めるのだが、チャーリー自身は、知的障害者だった時から自分は人間であると感じている。
だから、過去にも自分は存在していたということを、誰かに認めてもらいたいと思うのだ。
僕もチャーリーと同じように、男として生活する前から今の自分が存在する。
過去にも、男の僕はいた。
だから、今の僕にも女の殻の中で必死に男を生きた自分が生きていて、その自分を誰かに認められたいと思っている。
そう、どんなに賢くなっても、知的障害者だった頃のチャーリーが、自分の中に生きている主人公のように……。
僕は性別を越えようと思ったのではない。
自分を生きようとしただけ。
与えられたものの中で生きることだって、大事なことだと思うし。
僕に与えられた身体が女なら、与えられた性自認は男。
だから、その性自認が男として生きることを望むのも、自然なことだと思う。
僕はいつだって自分しか生きられない。
でも、一生懸命自分を生きてきた自負はある。
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僕は、元女と言われるのが嫌だ。
女性に生まれたとか、女から男になったとか、そういうのも全部嫌だ。
それは、自分の存在がそこにないから。
元女ということは、生まれたときから存在している僕のアイデンティティを否定しているから。
僕は、女から男に生まれ変わった訳じゃない。
何かがきっかけで性別が変わった訳でも、変えたいと思った訳でもない。
生まれたときから何も変わらない。
僕は、ずっとこのままだ。
どんな体をしていても、どんな育てられ方をしても、どんな法律で縛られようと、変わらなかった。
どんなに努力しても女になることは出来なかった。
むしろ、女の体や戸籍に合ったアイデンティティを持てるなら、その方法を教えてほしかったくらいだ。
変わったのは周囲の捉え方。
同性愛を知る人は僕をレズビアンだと言い、性同一性障害を知るものはFtMだと言う。
どちらも関心のない者は、何も考えずに女だと思い込む。
見るものがどう感じようが自由だが、その度に対象となる僕のセクシュアリティが変わることなどあり得ない。
ただの観察と、個々人の本質をない交ぜにされても、それに応える術はない。
同時に、そういう捉え方をする人を信用できない。
僕の本質を見ようともしない人だから。
お互いの本質を理解し合える相手は、数えるほどしかいないかもしれない。
でも、僕にはその本質さえないと決めつける相手とは、関係性など築けるはずもない。
『アルジャーノンに花束を』を読みながら、ふとそんなことを思った。
この作品は、知的障害者の主人公チャーリーが、手術を受けて天才へと変貌する物語。
周囲は、手術を受けて初めて彼の人格を認めるのだが、チャーリー自身は、知的障害者だった時から自分は人間であると感じている。
だから、過去にも自分は存在していたということを、誰かに認めてもらいたいと思うのだ。
僕もチャーリーと同じように、男として生活する前から今の自分が存在する。
過去にも、男の僕はいた。
だから、今の僕にも女の殻の中で必死に男を生きた自分が生きていて、その自分を誰かに認められたいと思っている。
そう、どんなに賢くなっても、知的障害者だった頃のチャーリーが、自分の中に生きている主人公のように……。
僕は性別を越えようと思ったのではない。
自分を生きようとしただけ。
与えられたものの中で生きることだって、大事なことだと思うし。
僕に与えられた身体が女なら、与えられた性自認は男。
だから、その性自認が男として生きることを望むのも、自然なことだと思う。
僕はいつだって自分しか生きられない。
でも、一生懸命自分を生きてきた自負はある。