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初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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「いじめられる方にも責任がある」という、長谷川豊さんの「自殺」に関する見解に激しい違和感
片岡英彦
日本は「被害者です」と言った瞬間に守られすぎやしないか?
長谷川豊 公式ブログ 『本気論 本音論』
「どんな理由があろうとイジメは絶対にいけない」という人がいる。
確かに正論なのだが、予々、ちょっと待ったと言いたいと思っていた。
イジメはいけないのにイジメが起きるということは、正論で片付けてしまうと根本が解決しないと思うからだ。
とはいえ、長谷川豊氏の「集団無視はイジメではない→無視された側の問題」という意見は、とても賛同出来るものではないと感じた。
長谷川氏の例示したA君は、
話しかけてもネガティブなことしか言わない
イジワルな反応しかしない
やる気もない
思いやりもない
会話は自分の興味ある話しかしない
みんなの会話の流れも全部止めてしまう
のだが、だからと言ってこのA君を集団無視していい理由にはならない。
長谷川氏は「そんなA君といったい誰が積極的に話をしようとするでしょうか?」と言っているが、積極的に関わらないことと集団で無視するのは全く意味が違う。
このA君と気が合わなければ、自分だけが離れればいい。
学校なら、休み時間に友達と話すだけでなく、一人で読書していても早弁してても何でもいいではないか。
友達同士で盛り上がってる生徒は、一見すると学生らしいが、静かに過ごしたい生徒にはうるさいかもしれない。
人に迷惑を掛けなければいいわけで、それには違う価値観や感覚の人間をスルーする能力も必要だ。
ネガティブな人、冗談の通じない人を誘っておきながら「空気を読め」というのは、ただの無理強いである。
長谷川氏の中では明るく社交的な人間が理想で、その理想に向かわない人間は「努力が足りない→本人の問題」として決めつけているように思う。
それこそ、A君のようなタイプにわざわざ近づいて自分の理想を押しつけるのは、長谷川氏の問題である。
しかし、混ぜ返すようだが、このA君のような人の対応に困ることはあると思う。
同じグループになったり、協力して何かをする時に、A君のような反応は不評を買うだろう。
ただそんな時も、最初から皆と同じレベルですんなり出来ないからといって、無視して終わりというのはどうかと思う。
また、A君がアスペルガーの積極奇異と呼ばれるタイプの場合、こちらが関わらないようにしても絡んでくることがある。
こうなると、確かに非常に厄介である。
A君自身は興味が何かに集中したり、その人に愛着を感じただけなのだが、余りに一方的なので絡まれた方は辟易してしまう。
こういうタイプには「今日は別の予定があるので、君と一緒には帰らない」など、キッパリと断るのがいい。
「出来なくてごめんね」ではなく、「しません」という言い方の方がいい。
前者だとこちらが悪いと解釈する場合があるので、定型同士のような気遣いは誤解される。
A君の事例は、単にコミュニケーションを取るのが面倒と感じているタイプから、重度のアスペルガーなど発達障害由来の場合まで様々考えられる。
僕は真ん中より前者寄りぐらいだと思うのだが、いじめられた経験から言うと、ただ避けられても何でこんなことをされるのかわからなかった。
担任も知っていたので、やめさせてほしいというより僕の何がいけないのかを教えてほしかった。
無論、プライドの高い僕が自分の間違いを受け入れられたかはわからない。
学級委員からバイ菌扱いまで落ちたショックも大きかったし。
だが、僕をいじめた側にも言い分はあったと思う。
僕は勉強も運動も割りと器用に出来たので、出来ない子には酷く冷たかった。
同級生から「そんな言い方しなくても……」という注意を何度も受けていたのに、人の痛みなど考えたことがなくいつの間にか嫌われていた。
その事に気づいて、僕も謝る必要があったのだ。
僕はイジメの被害者にはなったが、その前に僕が相手の嫌がることをしたのも事実だと思う。
それには、僕の気持ちと向き合ってくれる大人が必要だった。
だが、これが重度のアスペルガーになると、気づけないし反省出来ないし謝れない。
こういうタイプは、自分にも非があることが理解できず被害だけを訴える。
例えば、相手から「話の腰を折ったり、心ない言葉で責め立てたりするなら、もう君とは話さないから」と釘を刺されていたとする。
アスペ君は、それにも関わらず同じことを繰り返したので、無視されてしまったのだ。
相手からすると、何度注意しても聞き入れてくれないから関わらないようにしただけ。
それなのに「無視された」「イジメだ」と騒がれてしまったら、たまったものではない。
こういう事実認識の違いが繰り返され、教師にイジメと誤解されたりすることで、イジメが激しくなったり、より陰湿になることもあるのではないだろうか。
例え障害者であっても、ルールは守らなければいけない。
どんなに衝動性が強くても、図書館で大声を出してはいけない。
親しみを込めたつもりでも、力任せに頭を叩いたら嫌われて当然である。
変な人だからいじめられるのではない。
嫌がることをやめないから、親切にしてもらえないのだ。
こういうところは、教師も見極めが必要だ。
変わった子だからというだけで言動を否定するのは間違い。
しかし、具体的にルール違反や迷惑行為をしてるなら、それは直させなければいけない。
障害や個性に関係なく、誰もが最低限守らなければいけないルールはあるのだから。
障害だから仕方ないと全てを容認するのは理不尽だ。
アスペルガーは、被害者だと訴える前に、ルールを守れているか、嫌がることをしていないかを、今一度見直してほしい。
大した理由もなく、酷いイジメを繰り返している子もいる。
いじめられる側に非がない場合だってある。
悪ふざけが過ぎたくらいのものから、傷害や暴行など明らかな犯罪まで、本当に様々なケースがある。
十把一絡げには出来ない。
でも、双方の言い分を聞くことは、どんなケースでも必要ではないだろうか。
イジメは、ストレスの溜まった心に刺激が与えられた結果だと思う。
問題は、このイライラやモヤモヤをどう解消するかということ。
人を傷つけないように発散する方法を、僕も知りたい。
岩手の村松くんの件では、生活記録ノートに何度も「死にたい」などの記載があったのに、担任が取り合わなかった。
どういうつもりでそうしたのか、担任が語らない以上真相はわからないが、警察の介入以前に学校内での情報共有に問題があった。
また、仮に村松くんにイジメの要因があったとしても、自殺に追い込まれていいなんてことはない。
加害者に彼を嫌う自由はあるが、だからといっていじめていい訳ではない。
この場合は暴行や傷害という犯罪だし。
村松くんにもその個性のまま生きる自由があり、誰にもそれを阻む権利はないのだから。
また、長谷川氏は自殺した村松くんも「非難されるべき」と言っているが、僕はとても責める気にはなれない。
もちろん、自死は選んではいけない。
それでも、追い詰められていたであろう彼の気持ちを思うと、「非難されるべき」とは思わない。
寧ろ、社会が助けられなかったのだと考えるし、僕もその社会の一員として力になれなかったのだと感じる。
彼と同じような状況にある子供を、これからどうしたら救えるだろうかと思う。
自死を選んでしまった子を責めても、自殺はなくならないだろう。
コメントに指摘があったが、長谷川氏はずっと日向を歩いてきた人なのだろう。
日陰が好きな人、日陰を歩かざるを得なかった人のことは念頭にないようだ。
そんな人に日陰の人間の気持ちはわからない。
わからなくても仕方ない。
だからこそ、スルーして頂きたい。
僕が生徒なら、長谷川先生には絶対に相談しないと思う。
どうにかして生きる道を探しているときに、長谷川先生には話さない。
きっと、もう本気で死にたいと思ったときに、追い打ちをかけてもらうために話をすると思う。
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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「いじめられる方にも責任がある」という、長谷川豊さんの「自殺」に関する見解に激しい違和感
片岡英彦
日本は「被害者です」と言った瞬間に守られすぎやしないか?
長谷川豊 公式ブログ 『本気論 本音論』
「どんな理由があろうとイジメは絶対にいけない」という人がいる。
確かに正論なのだが、予々、ちょっと待ったと言いたいと思っていた。
イジメはいけないのにイジメが起きるということは、正論で片付けてしまうと根本が解決しないと思うからだ。
とはいえ、長谷川豊氏の「集団無視はイジメではない→無視された側の問題」という意見は、とても賛同出来るものではないと感じた。
長谷川氏の例示したA君は、
話しかけてもネガティブなことしか言わない
イジワルな反応しかしない
やる気もない
思いやりもない
会話は自分の興味ある話しかしない
みんなの会話の流れも全部止めてしまう
のだが、だからと言ってこのA君を集団無視していい理由にはならない。
長谷川氏は「そんなA君といったい誰が積極的に話をしようとするでしょうか?」と言っているが、積極的に関わらないことと集団で無視するのは全く意味が違う。
このA君と気が合わなければ、自分だけが離れればいい。
学校なら、休み時間に友達と話すだけでなく、一人で読書していても早弁してても何でもいいではないか。
友達同士で盛り上がってる生徒は、一見すると学生らしいが、静かに過ごしたい生徒にはうるさいかもしれない。
人に迷惑を掛けなければいいわけで、それには違う価値観や感覚の人間をスルーする能力も必要だ。
ネガティブな人、冗談の通じない人を誘っておきながら「空気を読め」というのは、ただの無理強いである。
長谷川氏の中では明るく社交的な人間が理想で、その理想に向かわない人間は「努力が足りない→本人の問題」として決めつけているように思う。
それこそ、A君のようなタイプにわざわざ近づいて自分の理想を押しつけるのは、長谷川氏の問題である。
しかし、混ぜ返すようだが、このA君のような人の対応に困ることはあると思う。
同じグループになったり、協力して何かをする時に、A君のような反応は不評を買うだろう。
ただそんな時も、最初から皆と同じレベルですんなり出来ないからといって、無視して終わりというのはどうかと思う。
また、A君がアスペルガーの積極奇異と呼ばれるタイプの場合、こちらが関わらないようにしても絡んでくることがある。
こうなると、確かに非常に厄介である。
A君自身は興味が何かに集中したり、その人に愛着を感じただけなのだが、余りに一方的なので絡まれた方は辟易してしまう。
こういうタイプには「今日は別の予定があるので、君と一緒には帰らない」など、キッパリと断るのがいい。
「出来なくてごめんね」ではなく、「しません」という言い方の方がいい。
前者だとこちらが悪いと解釈する場合があるので、定型同士のような気遣いは誤解される。
A君の事例は、単にコミュニケーションを取るのが面倒と感じているタイプから、重度のアスペルガーなど発達障害由来の場合まで様々考えられる。
僕は真ん中より前者寄りぐらいだと思うのだが、いじめられた経験から言うと、ただ避けられても何でこんなことをされるのかわからなかった。
担任も知っていたので、やめさせてほしいというより僕の何がいけないのかを教えてほしかった。
無論、プライドの高い僕が自分の間違いを受け入れられたかはわからない。
学級委員からバイ菌扱いまで落ちたショックも大きかったし。
だが、僕をいじめた側にも言い分はあったと思う。
僕は勉強も運動も割りと器用に出来たので、出来ない子には酷く冷たかった。
同級生から「そんな言い方しなくても……」という注意を何度も受けていたのに、人の痛みなど考えたことがなくいつの間にか嫌われていた。
その事に気づいて、僕も謝る必要があったのだ。
僕はイジメの被害者にはなったが、その前に僕が相手の嫌がることをしたのも事実だと思う。
それには、僕の気持ちと向き合ってくれる大人が必要だった。
だが、これが重度のアスペルガーになると、気づけないし反省出来ないし謝れない。
こういうタイプは、自分にも非があることが理解できず被害だけを訴える。
例えば、相手から「話の腰を折ったり、心ない言葉で責め立てたりするなら、もう君とは話さないから」と釘を刺されていたとする。
アスペ君は、それにも関わらず同じことを繰り返したので、無視されてしまったのだ。
相手からすると、何度注意しても聞き入れてくれないから関わらないようにしただけ。
それなのに「無視された」「イジメだ」と騒がれてしまったら、たまったものではない。
こういう事実認識の違いが繰り返され、教師にイジメと誤解されたりすることで、イジメが激しくなったり、より陰湿になることもあるのではないだろうか。
例え障害者であっても、ルールは守らなければいけない。
どんなに衝動性が強くても、図書館で大声を出してはいけない。
親しみを込めたつもりでも、力任せに頭を叩いたら嫌われて当然である。
変な人だからいじめられるのではない。
嫌がることをやめないから、親切にしてもらえないのだ。
こういうところは、教師も見極めが必要だ。
変わった子だからというだけで言動を否定するのは間違い。
しかし、具体的にルール違反や迷惑行為をしてるなら、それは直させなければいけない。
障害や個性に関係なく、誰もが最低限守らなければいけないルールはあるのだから。
障害だから仕方ないと全てを容認するのは理不尽だ。
アスペルガーは、被害者だと訴える前に、ルールを守れているか、嫌がることをしていないかを、今一度見直してほしい。
大した理由もなく、酷いイジメを繰り返している子もいる。
いじめられる側に非がない場合だってある。
悪ふざけが過ぎたくらいのものから、傷害や暴行など明らかな犯罪まで、本当に様々なケースがある。
十把一絡げには出来ない。
でも、双方の言い分を聞くことは、どんなケースでも必要ではないだろうか。
イジメは、ストレスの溜まった心に刺激が与えられた結果だと思う。
問題は、このイライラやモヤモヤをどう解消するかということ。
人を傷つけないように発散する方法を、僕も知りたい。
岩手の村松くんの件では、生活記録ノートに何度も「死にたい」などの記載があったのに、担任が取り合わなかった。
どういうつもりでそうしたのか、担任が語らない以上真相はわからないが、警察の介入以前に学校内での情報共有に問題があった。
また、仮に村松くんにイジメの要因があったとしても、自殺に追い込まれていいなんてことはない。
加害者に彼を嫌う自由はあるが、だからといっていじめていい訳ではない。
この場合は暴行や傷害という犯罪だし。
村松くんにもその個性のまま生きる自由があり、誰にもそれを阻む権利はないのだから。
また、長谷川氏は自殺した村松くんも「非難されるべき」と言っているが、僕はとても責める気にはなれない。
もちろん、自死は選んではいけない。
それでも、追い詰められていたであろう彼の気持ちを思うと、「非難されるべき」とは思わない。
寧ろ、社会が助けられなかったのだと考えるし、僕もその社会の一員として力になれなかったのだと感じる。
彼と同じような状況にある子供を、これからどうしたら救えるだろうかと思う。
自死を選んでしまった子を責めても、自殺はなくならないだろう。
コメントに指摘があったが、長谷川氏はずっと日向を歩いてきた人なのだろう。
日陰が好きな人、日陰を歩かざるを得なかった人のことは念頭にないようだ。
そんな人に日陰の人間の気持ちはわからない。
わからなくても仕方ない。
だからこそ、スルーして頂きたい。
僕が生徒なら、長谷川先生には絶対に相談しないと思う。
どうにかして生きる道を探しているときに、長谷川先生には話さない。
きっと、もう本気で死にたいと思ったときに、追い打ちをかけてもらうために話をすると思う。