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初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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高畑裕太容疑者の人柄については、事件が起きてから詳しく知った。
それまではわりと好印象。
最近よく見る役者としても、バラエティーで見せる母親に似た濃いキャラクターも、嫌いではなかった。
こんなに問題児とは思わなかった。
事件と障害を安直に結びつけるのは良くないが、報道を聞いている限り、裕太容疑者にはアスペルガーの積極奇異やADHDの多動を思わせる行動が多い。
特に、女性タレントに本気で嫌がられている異常な馴れ馴れしさは、他人との距離を計れていない節がある。
しかしそれも、ダウンタウンの松本氏の言うように、ちょっと売れてきて「どんな女でも口説き落とせる」ぐらいに勘違いしている若い頃であれば、誰にでも見られる態度だろう。
親の教育をはじめ、甘やかされた結果、世の中を舐めていると見ることも出来よう。
ただし発達障害の場合は、経験や状況による一過性のものではない。
幼少期から衝動を抑えられなかったり、中学生くらいになっても自分の置かれた立場や役割に関係なく暴走することが多い。
衝動や欲求をコントロールする力が弱いのと同時に、顔色や空気を読み取る力も低いためだ。
母淳子氏の友人であるピーター氏が、バイキングで語っていたエピソードが印象的だった。
彼の舞台を見た10歳の裕太容疑者は、楽屋に来て初対面のピーター氏の肩を叩き「すごい良かったよ」と言い放ったそうだ。
この時ピーター氏が感じた「いきなりタメ口かよ」「生意気なガキだな」「でも正直な子だな」「本当に感動してくれたんだ」
このどれもが、発達障害の特徴を顕著に表しているように思えてならない。
まず挨拶もできない。
突然、近い距離に飛び込みすぎる。
母親の先輩に対し失礼な態度。
言葉を選ばない(選べない)。
相手の動揺もなんのその。
嘘偽りはない。
感じたことには素直。
発達障害は先天的な脳の機能障害である。
親のしつけでなるものでも、直せるものでもない。
しかし、対症療法的なことはできる。
裕太容疑者は、10歳ですでに徹底した療育が必要だったと思われる。
そこに向き合わなかった時点で、母親の淳子氏には事件の責任もあると思う。
ピーター氏の「生まれっぱなしみたいな子」という表現もまた、放置されてきた発達障害を言い得て妙だ。
発達障害にも、性欲が強いタイプもいれば殆ど関心のないタイプもいる。
同様に、人に積極的に関わろうとする人、逆に人見知りが激しい人。
他人からどう見られるか全く気にしない人、気にしすぎる人。
色んなタイプがいるが、問題は、程々ということがなく極端に出てしまうことだ。
裕太容疑者の強姦も、性衝動の強さや度を超えた積極性が絡み合った結果だろう。
しかし、人生の全てを失うような犯罪である。
普通ならそれをわからないはずがない。
母親も役者で、その母親が作ってくれた仕事である。
自分も仕事が増え、犯罪はおろかトラブルやちょっとした誤解にも気を遣う時期ではなかったのか。
もしそんなこともわかっていなかったのならば、余程のバカか全く判断力の育っていない発達障害ぐらいしか考えられない。
裕太容疑者は、母親との面会で「申し訳ない」と繰り返し述べていたようだが、これも被害者に対する謝罪とは思えない。
逮捕されてようやっと大事(おおごと)だと気付いたのではないか。
自分の置かれた状況に狼狽していただけだと思う。
母親の高畑淳子氏の会見についても、息子の今後への不安が強く出ていて、被害者に対する謝罪は少なかった。
そのため「もっと息子を叱るべきだった」という厳しい声もあるが、事件直後のあのタイミングではあれが精一杯だったと思う。
だが、そもそも会見は必要だったのだろうか。
私が被害者の立場なら、一切の会見をしないよう要求したいくらいだ。
なぜなら、こうしてニュースになることにより二次被害を受けるからだ。
もちろん会見をしなければ、母親はマスコミに追われるだろう。
母親としての責任を問う声も上がるのかもしれない。
だが、そうした喧騒に何も言わずただ受け入れることが、高畑親子に今できる贖罪なのではないだろうか。
謝ることは簡単だ。
母親が代わりに謝罪をすれば、さすがにかわいそうだと同情も集まる。
私も淳子氏の会見は見るに忍びなかったし、あれを演技だと非難する気にはなれない。
成人した息子の事件である。
母親だって迷惑をかけられた被害者の1人だ。
そんな母親が1人で何百人の報道陣に立ち向かった。
息子の性癖まで問う下衆な輩にも、真摯な受け答えで通した。
被害者への謝罪といっても、事件直後の混乱の中、絞り出せる言葉などない方が普通だ。
だからこそ、会見してはいけなかったのだ。
なぜなら、それによって被害者は加害者を許してあげるべきという空気になるからだ。
それに対し、被害者は反論することさえ出来ない。
母親としてはいてもたってもいられなくてあの会見になったのだろう。
親ではない私の想像をはるかに越えるものだろうが、毒親育ちの私でも相当なショックであることはわかる。
それでも、加害者側がどう償うべきかは、被害者の意向が最大限汲まれるべきではないのか。
事件を知った我々第三者が、謝るべきとか誰がどう責任を取るべきとか決めるものではない。
被害者は、加害者の母親に謝られても許せないものは許せないだろう。
そんな時に、会見という加害者側が世間の同情を買ってしまう行為は、実は卑怯であり加害者が楽になる選択だと思う。
あの会見を見て淳子氏に同情し、我々第三者が被害者に何かを望むとしたら、それこそが、被害者の心の傷をえぐるセカンドレイプ(二次被害)になりはしないか。
被害者をわかった気になり、勝手な怒りを加害者にぶつける行為は、本当に被害者の為だろうか。
我々も被害者心理について、正しく理解する必要がある。
そして何より、この母親の苦しみが、被害者の悲しみが、裕太容疑者に理解できるのか疑問である。
逮捕されたから、仕事を失ったから、母親にまで迷惑をかけたから悪いのではない。
人を深く傷つけるこの行為は、訴えられなくても重罪である。
裕太容疑者が被害者目線で事件を理解することは、彼の一生に課せられた義務ではないかと思う。
母親に今後出来ることがあるとすれば、その義務に息子一人で立ち向かわせることである。
心の底では息子の味方をしつつも、大人にするべく冷たく突き放すいい機会だろう。
贖罪は、息子を哀れむことでも被害者に許しを請うことでもない。
被害者が望むならともかく、母親が代わりに謝罪するという行為はやってはならないと思う。
問題は、彼が発達障害であれば、被害者心理を理解し反省することは相当な困難を伴うということ。
淳子氏は、息子に何かある度頭を下げて回っていたという。
そんな母親の思いが伝わらなかった人間である。
誰でも天狗になることはあるが、発達障害の場合、もともと調子に乗りやすく、人の表情を読めず怒りを買ったり、本気の叱責も意に介さないということも珍しくはない。
この性質を踏まえた指導が必要なのだ。
彼を起用してきたメディアの罪も重い。
以前から感じてきたことだが、何でもキャラクターとして許す土壌は、発達障害に対する誤解を生むばかりか、当事者にとんでもない勘違いを生む。
他にも発達障害と思われる芸能人はいる。
冗談の通じない彼らに、そのイジリは大丈夫かと心配になることが多々ある。
今回は、そのメディアの扱いが裕太容疑者の慢心を生み、暴走を助長したのではないか。
「20歳を過ぎたら本人の責任」という話が盛んに言われるが、そもそも責任の意味がわからないのが発達障害である。
親だけで教育しきれる障害でもない。
発達障害には「人に迷惑をかけないように」等という漠然とした忠告では、効き目がない。
具体的に何をしてはいけないかをその都度注意する必要がある。
それを「過保護だ」とか「自分の頭で考えるべき」というのは、発達障害を理解していない。
同じやり方、同じ努力では上手く行かないからこそ、障害ではないのか。
責任能力、判断能力のない発達障害を監視することは、社会のためにも必要なことだ。
裕太容疑者のような加害者を生まないことが、被害者も生まないことになるのだから。
子供に保護者が必要なように、発達障害者にもサポートは必要だ。
逮捕を機に、しっかりとした医療プログラムで矯正されるといいのだが、そういうことはないのだろうか。
仮にあったとしても、発達障害を知らない人達の猛反発に遭うことは想像に難くない。
だが、ただ刑罰を課しても何の意味もない。
彼のしたことは犯罪で、相手は嫌がっていたと教えなければいけない。
自分の気持ちと相手の気持ちが必ずしも一致しないこと、そういう場合は何らかのシグナルがあり、それを読み取らなければいけないこと。
シグナルを無視した行動を取れば、相手に本気で嫌われたり、時には訴えられることもあると叩き込まなければいけない。
この事件を聞いて、以前、私に発達障害を教えてくれた友人の話を思い出した。
「本人は仲良くなろうとしただけでも、いきなり女の子に抱きついたりしたら捕まっちゃうし」
彼女はそう言ってアスペルガーの息子を心配していた。
初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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高畑裕太容疑者の人柄については、事件が起きてから詳しく知った。
それまではわりと好印象。
最近よく見る役者としても、バラエティーで見せる母親に似た濃いキャラクターも、嫌いではなかった。
こんなに問題児とは思わなかった。
事件と障害を安直に結びつけるのは良くないが、報道を聞いている限り、裕太容疑者にはアスペルガーの積極奇異やADHDの多動を思わせる行動が多い。
特に、女性タレントに本気で嫌がられている異常な馴れ馴れしさは、他人との距離を計れていない節がある。
しかしそれも、ダウンタウンの松本氏の言うように、ちょっと売れてきて「どんな女でも口説き落とせる」ぐらいに勘違いしている若い頃であれば、誰にでも見られる態度だろう。
親の教育をはじめ、甘やかされた結果、世の中を舐めていると見ることも出来よう。
ただし発達障害の場合は、経験や状況による一過性のものではない。
幼少期から衝動を抑えられなかったり、中学生くらいになっても自分の置かれた立場や役割に関係なく暴走することが多い。
衝動や欲求をコントロールする力が弱いのと同時に、顔色や空気を読み取る力も低いためだ。
母淳子氏の友人であるピーター氏が、バイキングで語っていたエピソードが印象的だった。
彼の舞台を見た10歳の裕太容疑者は、楽屋に来て初対面のピーター氏の肩を叩き「すごい良かったよ」と言い放ったそうだ。
この時ピーター氏が感じた「いきなりタメ口かよ」「生意気なガキだな」「でも正直な子だな」「本当に感動してくれたんだ」
このどれもが、発達障害の特徴を顕著に表しているように思えてならない。
まず挨拶もできない。
突然、近い距離に飛び込みすぎる。
母親の先輩に対し失礼な態度。
言葉を選ばない(選べない)。
相手の動揺もなんのその。
嘘偽りはない。
感じたことには素直。
発達障害は先天的な脳の機能障害である。
親のしつけでなるものでも、直せるものでもない。
しかし、対症療法的なことはできる。
裕太容疑者は、10歳ですでに徹底した療育が必要だったと思われる。
そこに向き合わなかった時点で、母親の淳子氏には事件の責任もあると思う。
ピーター氏の「生まれっぱなしみたいな子」という表現もまた、放置されてきた発達障害を言い得て妙だ。
発達障害にも、性欲が強いタイプもいれば殆ど関心のないタイプもいる。
同様に、人に積極的に関わろうとする人、逆に人見知りが激しい人。
他人からどう見られるか全く気にしない人、気にしすぎる人。
色んなタイプがいるが、問題は、程々ということがなく極端に出てしまうことだ。
裕太容疑者の強姦も、性衝動の強さや度を超えた積極性が絡み合った結果だろう。
しかし、人生の全てを失うような犯罪である。
普通ならそれをわからないはずがない。
母親も役者で、その母親が作ってくれた仕事である。
自分も仕事が増え、犯罪はおろかトラブルやちょっとした誤解にも気を遣う時期ではなかったのか。
もしそんなこともわかっていなかったのならば、余程のバカか全く判断力の育っていない発達障害ぐらいしか考えられない。
裕太容疑者は、母親との面会で「申し訳ない」と繰り返し述べていたようだが、これも被害者に対する謝罪とは思えない。
逮捕されてようやっと大事(おおごと)だと気付いたのではないか。
自分の置かれた状況に狼狽していただけだと思う。
母親の高畑淳子氏の会見についても、息子の今後への不安が強く出ていて、被害者に対する謝罪は少なかった。
そのため「もっと息子を叱るべきだった」という厳しい声もあるが、事件直後のあのタイミングではあれが精一杯だったと思う。
だが、そもそも会見は必要だったのだろうか。
私が被害者の立場なら、一切の会見をしないよう要求したいくらいだ。
なぜなら、こうしてニュースになることにより二次被害を受けるからだ。
もちろん会見をしなければ、母親はマスコミに追われるだろう。
母親としての責任を問う声も上がるのかもしれない。
だが、そうした喧騒に何も言わずただ受け入れることが、高畑親子に今できる贖罪なのではないだろうか。
謝ることは簡単だ。
母親が代わりに謝罪をすれば、さすがにかわいそうだと同情も集まる。
私も淳子氏の会見は見るに忍びなかったし、あれを演技だと非難する気にはなれない。
成人した息子の事件である。
母親だって迷惑をかけられた被害者の1人だ。
そんな母親が1人で何百人の報道陣に立ち向かった。
息子の性癖まで問う下衆な輩にも、真摯な受け答えで通した。
被害者への謝罪といっても、事件直後の混乱の中、絞り出せる言葉などない方が普通だ。
だからこそ、会見してはいけなかったのだ。
なぜなら、それによって被害者は加害者を許してあげるべきという空気になるからだ。
それに対し、被害者は反論することさえ出来ない。
母親としてはいてもたってもいられなくてあの会見になったのだろう。
親ではない私の想像をはるかに越えるものだろうが、毒親育ちの私でも相当なショックであることはわかる。
それでも、加害者側がどう償うべきかは、被害者の意向が最大限汲まれるべきではないのか。
事件を知った我々第三者が、謝るべきとか誰がどう責任を取るべきとか決めるものではない。
被害者は、加害者の母親に謝られても許せないものは許せないだろう。
そんな時に、会見という加害者側が世間の同情を買ってしまう行為は、実は卑怯であり加害者が楽になる選択だと思う。
あの会見を見て淳子氏に同情し、我々第三者が被害者に何かを望むとしたら、それこそが、被害者の心の傷をえぐるセカンドレイプ(二次被害)になりはしないか。
被害者をわかった気になり、勝手な怒りを加害者にぶつける行為は、本当に被害者の為だろうか。
我々も被害者心理について、正しく理解する必要がある。
そして何より、この母親の苦しみが、被害者の悲しみが、裕太容疑者に理解できるのか疑問である。
逮捕されたから、仕事を失ったから、母親にまで迷惑をかけたから悪いのではない。
人を深く傷つけるこの行為は、訴えられなくても重罪である。
裕太容疑者が被害者目線で事件を理解することは、彼の一生に課せられた義務ではないかと思う。
母親に今後出来ることがあるとすれば、その義務に息子一人で立ち向かわせることである。
心の底では息子の味方をしつつも、大人にするべく冷たく突き放すいい機会だろう。
贖罪は、息子を哀れむことでも被害者に許しを請うことでもない。
被害者が望むならともかく、母親が代わりに謝罪するという行為はやってはならないと思う。
問題は、彼が発達障害であれば、被害者心理を理解し反省することは相当な困難を伴うということ。
淳子氏は、息子に何かある度頭を下げて回っていたという。
そんな母親の思いが伝わらなかった人間である。
誰でも天狗になることはあるが、発達障害の場合、もともと調子に乗りやすく、人の表情を読めず怒りを買ったり、本気の叱責も意に介さないということも珍しくはない。
この性質を踏まえた指導が必要なのだ。
彼を起用してきたメディアの罪も重い。
以前から感じてきたことだが、何でもキャラクターとして許す土壌は、発達障害に対する誤解を生むばかりか、当事者にとんでもない勘違いを生む。
他にも発達障害と思われる芸能人はいる。
冗談の通じない彼らに、そのイジリは大丈夫かと心配になることが多々ある。
今回は、そのメディアの扱いが裕太容疑者の慢心を生み、暴走を助長したのではないか。
「20歳を過ぎたら本人の責任」という話が盛んに言われるが、そもそも責任の意味がわからないのが発達障害である。
親だけで教育しきれる障害でもない。
発達障害には「人に迷惑をかけないように」等という漠然とした忠告では、効き目がない。
具体的に何をしてはいけないかをその都度注意する必要がある。
それを「過保護だ」とか「自分の頭で考えるべき」というのは、発達障害を理解していない。
同じやり方、同じ努力では上手く行かないからこそ、障害ではないのか。
責任能力、判断能力のない発達障害を監視することは、社会のためにも必要なことだ。
裕太容疑者のような加害者を生まないことが、被害者も生まないことになるのだから。
子供に保護者が必要なように、発達障害者にもサポートは必要だ。
逮捕を機に、しっかりとした医療プログラムで矯正されるといいのだが、そういうことはないのだろうか。
仮にあったとしても、発達障害を知らない人達の猛反発に遭うことは想像に難くない。
だが、ただ刑罰を課しても何の意味もない。
彼のしたことは犯罪で、相手は嫌がっていたと教えなければいけない。
自分の気持ちと相手の気持ちが必ずしも一致しないこと、そういう場合は何らかのシグナルがあり、それを読み取らなければいけないこと。
シグナルを無視した行動を取れば、相手に本気で嫌われたり、時には訴えられることもあると叩き込まなければいけない。
この事件を聞いて、以前、私に発達障害を教えてくれた友人の話を思い出した。
「本人は仲良くなろうとしただけでも、いきなり女の子に抱きついたりしたら捕まっちゃうし」
彼女はそう言ってアスペルガーの息子を心配していた。