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幼少期~小学校入学くらいの期間のことを書こうと思う。
幼少期(生まれてから小学校入学前まで)は
僕が小さいうちに両親が離婚したこともあり、
いろんな親戚が入れ代わり立ち代わり僕の面倒をみてくれた。
(もちろん、その時はかわいらしい女の子だったわけだが・・・
その大人たちが自分に気を使っていることを敏感に察知していて、
「かわいそうな不憫な子」
という意識を向けられていることを感じていた。
もしかしたら、
そいう大人たちに心配をかけないようにと、
無意識に、本能的に
「いい子でいること」を演じていたかもしれない。
そのことがGID(性同一性障害)であることには関係ないと思うが、
ただ、自分の脳内性別を話すときの抵抗にはなっていたことは間違いない。
「自分は男だ」
そういったら、周りの大人たちはどんな反応をするのか。
それを気にしていたのかもしれない。
子供ながらに、言ってはいけないタブーのように感じていた。
それと、両親は僕ができたことにより結婚をした。
世間的に「できちゃた結婚」とか、今風だと「さずかり婚」
若い両親(ともに23歳)は手放しで僕の誕生を喜んだだろうか。
望まれなかったのではないか。
何度も何度もそれを思い、ジブンの生きる価値を示したかった。
それとは反して、ジブンは生きる価値がない。
と思う気持ちも大いにあった。
自分を認めてほしい、でも価値がないんじゃないか。
そういうせめぎあいは、幼少期からずっと大人になるまで続いていた。
大人の顔色をうかがう、空気を読む子供だった僕は、
かわいい女の子ものの服を着せられ、何故かパーマもかけられ、
わがまま放題に育っていった。
小学校入学前に、父が再婚して、新しいおかあさんと3人での生活が始まった。
優しくて美人で料理上手なおかあさんとの生活はほんとに幸せだったが、
小学校入学前に僕は母にこういった。
「●●(自分の名前)、スカート履かないよ」
そういってプレゼントされた赤いランドセルを黒く塗りつぶした。
親は激怒して
また赤イランドセルを買ってきたが、今度はつぶして捨てた。
母はその発言や行為に触れて、
血がつながっていない自分への抵抗・反抗だと受け止めたようだ。
全くそんなことはなく、
単に自分がスカートを履くとか赤いランドセルを使うなんて
考えられないことだったからやっただけだ。
このブログのタイトルも、
このエピソードからとったものである。
男の子に赤いランドセル、プレゼントしますか?
したら、なんでや!ってなるでしょ。
もし、今、周囲にランドセルの色に抵抗を示す子供がいたら
理解を寄せてほしいと思う。
もしかしたら、性の認識が体と違っているのかもしれないと。
今はカラフルなランドセルが普通にあって、
選択の幅が広がり、本当にいい世の中になったと思うが、
当時は男⇒黒、女⇒赤、しかなかった。
ランドセルはしぶしぶ赤をしょって、
でもスカートは履かずに、毎日ズボンで過ごす日々を送った。
これが「性別」を意識した最初のエピソードである。
つづく・・・
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