名前に対しての苦悩 | 俺、スカートはかないよ

俺、スカートはかないよ

1977年、俺は女性として生まれ、2008年6月27日、戸籍上の性別が男に戻った。 俺の人生が誰かの役に立つように、誰かの苦悩を癒せるよう祈りながら俺の人生を残す

 

 


■性同一性障害とは、
心が自認にしている性別と、
肉体的・生物学的な性別が一致しないことで苦しむ、
という障害である。

 



セクシャルマイノリティランキング

 


その苦しみにもいろんな種類のものがあるが、
今回は「名前」についての苦悩を記していこうと思う。



ひかる、というのは、
このブログを立ち上げるためにつけた名前であって、
本名は違う。


もともと、この世に生を受けた時、
親から(正確には祖母から)授かった名前は、
いかにも女の子です!という可愛らしい名前だった。

いまだに町中やTVドラマの中でその名前が出てくると、
心臓がバクバクして、体中から冷汗が出る。


その名前で呼ばれるたびに、
自分は男ではない、
ということを突き付けられているように感じていたからだ。


小学校低学年のころ、嫌な思い出がある。

あまりにも自分の名前がいやで、
テストの名前の欄に別の名前を書いた。

たしか、「明」とかいた記憶があるが定かではない。

数日後、テストが返却され、名前のところには先生の赤ペンで、


「??なんですか、これは??」


と大きく書かれて、全問正解にも関わらず、「0点」をもらった。
名前の未記入、と同等の扱いとされたのだ。


その時は大きなショックを受けた。




小学校・中学校・高校・大学と進学するたびに
【自己紹介】の時間がある。
あれもまた苦痛の時間だった。


苗字のあとに、名前をいうのが嫌で、
フルネームを名乗らないことも多々あったし、
ニックネームで呼ぶように自己紹介をしたこともあった。



学生時代に飲食店で働いているときに、
名札をつけていたが、フルネームの職場は下の名前は隠すようにしていた。

それを注意されることもあったが、
そういうバイト先での勤務は長続きしなかった。



社会人になると名刺交換をする機会が増える。
それがほんとうにしんどかった。


「意外とかわいらしい名前なんですね」

と言われたりすると、その渡した名刺をびりびりに破きたくなった。


コールセンターで働いていたときに
電話を終えるときにフルネームを名乗らなければいけなかったが、
いつも苗字だけにしていたので、勤務評定が下がってしまった。


一刻も早く【改名】をしたい。


そう思って準備を始めたのが、23歳のころからだった。

改名に必要な手順については別の記事で書きたいと思う。

 

 

 

*ツイッターもやってます。フォロミー♪

https://twitter.com/ftm_hikaru

 

 

どくしゃになってね!


性同一性障害ランキング