客観的に物事が永遠に繰り返されるということはない。いや、そういうことではなく、あたかも「永遠に繰り返されるのではないか」という感覚である。世間一般の人々は日々の生活から「将来の夢」というものを大なり小なり持ってその夢のために日々を生きていることが素晴らしいとされている。高校生なら受験合格だったり、大学生だったらいい企業の就職だったり、退職前の会社員だったら年金生活だったり、野球選手だったらリーグ優勝やタイトル獲得などである。
生きる目的こそが、この世で美しいことであり、また「生きる意味」の素晴らしさが説き伏せられている。
生きることに意味を見出さなければならないのが世間一般なのである。
しかしながら、実存的に自己を覚すると、そういうものは幻影であることを悟る。
いや、そういった者でも人間として生きる以上、勿論そういった生きる目的を設定し、そのために努力する。
しかしそういう「生きる希望」的な努力の中に没している中ですら、その実存的自己は
「一切の物事は過ぎ去る。ただそれのみ。喜び、悲しみ、むなしさ、出会い、別れ、などが永遠に繰り返されるという感覚」を悟っているのである。
例えば、我々が物理的に本当に不老不死になったとしよう。そうであったとすると、それこそ文字通り「永遠回帰」になるわけである。