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孤独が唯一の真理である。これはゆるぎない。それではそれはどういうものか。

それは巷で言われている「悟りとは衝撃的な意識の変革」みたいなものではない。

それは言うなれば意識が何かに熱中している瞬間のようなものだ。何かに熱中している瞬間は、

その瞬間において過去も未来もない。意識はその対象事物に没頭している。その瞬間は言うなれば孤独だ。特に寂寥の感もなく誰々を思い慕うことも無く、ただただ対象事物に没頭している。真の熱中に「貴方」も「私」もないのだ。ただ瞬間に向かう意識それのみである。


意識が対象事物に熱中している場合は、これは誰もが経験していることではあるが、意識が意識自体に熱中するということ、すなわち無に集中すると、我々の意識がまるで「宇宙の一角」に浮いているように感じる。いや、これは比喩だ。別に浮いていない。意識自体は普段と何ら変わりない。ただ「日常」としての何気ない時間の流れそれ自体があたかも「自明」なものでは感じなくなる瞬間である。それが「宇宙の一角」という表現に収まるのだ。麻薬などの薬物をやっている精神状態にある意味似ているかもしれない。しかし薬物をやっている場合と、「孤独」を真理と自覚している場合とでは、実は雲泥の差があるといえる。


「孤独」を真理と認識している意識は、過去と未来、目に見えていない遠い向こうの出来事、すべてが当たり前と思って何気なく送っている日常を「無常である」と自覚している。よってその無常性によって過去と未来が瞬間という一点に集約され、目に見えていない遠い向こうの出来事が幻影であると悟り、

「日常とは全ての事物に当たり前という烙印を一般大衆が押しているに過ぎない」と自覚し、それらの結果として、麻薬などで体験する精神状態と「孤独」という真理の精神状態が似ているに過ぎない。


言うなればスカイダイビングのようなものである。麻薬はスカイダイビングのインストラクターに抱っこされながら「落下」という快感を味わっているようなものである。スカイダイビングをする際に習得すべき重厚な技術を体得せずに、ただただその上澄みの快感を味わっているようなものである。それに比べてインストラクターは「孤独」という真理を重厚に体得しなければならない。


そういう真理の意識に至ると、この世的なものに「夢」も「希望」もあったものではない。「一切は無常に流れる。ただそれだけ」という無常観に至る。この世的なものの活動というのは、実はたいしたものではない。「日常的に何かを食べ、寝、しゃべり、思い通りになって喜び、思い通りにならなくて悲しみ、、」の繰り返しである。

「まるでそれらは永遠に繰り返されているのではないか」といった感覚の下での繰り返しである。しかしこれは巷で言われているニヒリズムではない。この世に絶望しているのでもない。いや、厳密には絶望しているのではあるが、それは世間一般の意味での絶望ではない。


そもそも、その「孤独」という真理から遠ざけているものは何か?「日常性」というものはもう既に述べた。

その他の分かりやすいものとしては「欲望」「嫉妬」などが挙げられよう。

なお、これらの真理から遠ざけている「欲望」「嫉妬」はもう一つの真理「世界精神」の栄養分であるということに念を押しておく。