fstoeのブログ -16ページ目

fstoeのブログ

ブログの説明を入力します。

世界精神を個々人が具体的に感じる瞬間がある。それは例えば営業で見知らぬ人の家のチャイムを片っ端から押す瞬間や、飲食店の接客で沢山の見知らぬ人に笑顔を振りまく瞬間などである。この「見知らぬ者から信用を得るために必死になること」こそ、世界精神の具体形である(世界精神とは抽象的概念ではない。また個々人と無関係な概念ではない)。


この世界精神こそ我々個々人の生き死にの決定権を持っており、生きることが許された場合において、その個々人にお金という血液を流し、その個々人はめでたく生き延びることが出来るのである。この点を全く認識せずによく未成年が「何故、子供のときに勉強しないといけないのか」と言う姿が見受けられるが、要はこの我々の生き死にの決定権を持っている者から少しでも「生きろ」と言われるために勉強するのである。それは目の前の映画のワンシーンなんかではない。個々人自身の「生きるか死ぬかの戦い」であって、単なる「安定へのレール」という生易しいものではない。



これは好むと好まざるとに関わらず、事実としてそうなのである。その点を気付いていない者が例えば

世間一般の真理である「生命の神秘」という綺麗ごとを振りかざし始めると、その者は瞬く間に世界精神から迫害を合うことであろう。どこかの国の○○党が綺麗ごとだけを乱発して万年野党でいるのは、そのいい例である。