fstoeのブログ -15ページ目

fstoeのブログ

ブログの説明を入力します。

さて、哲学とは「この世的な或る物」に対する考察というよりかは「この世そのもの」に対する考察である。それは、個々人にとってはあまりにも具体的であるがゆえに表現が抽象的になってしまう。或いは、言葉でなかなか表現しづらいものに対して言葉の表現を施すため、それは大変抽象的で分かりにくい文章となってしまうのである。


例えば「神」を言葉で表現しようとしよう。神は言葉という表現を超える或る者であるため、「神とは○○であり、○○である」といういった表現にどうしても耐えうるものではない。逆説的ではあるが、そういった言葉の表現を超える者の表現としては「詩的」な表現が歴史的に一番適していることが示されている。聖書然り、コーラン然りである。


さて、ここで論じたいと思っているのはそういった言葉の表現を超えるものではなく、むしろ「この世的な或る物」、より具体的には「赤字国債」について哲学的に考察したいと思う。これはこの世的な物なので、言葉の表現に耐えうる。ウィキベディアでしっかりと定義されている。なぜそのような物に限定して哲学的考察を展開するのか?それはその「赤字国債」がそういった哲学的考察に十分耐えうるほどに興味深い対象事物だからである。それは「お金」や「労働」や「搾取」といったものの共産主義哲学的考察とは少々違った視点を提供する。